足を引っ張る 全六話

足を引っ張る 一話

 朝日に照らされ、男は目を覚ます。

 八月の早朝、少し肌寒さを感じ、ズボンのポケットに手をいれた。

 左手に携帯電話の硬質な感触。

 そのまま取り出し、時間を確認した。


「六時半か」


 男は仰向けのままゆっくりと肺に、新鮮な空気を取り込んでいく。

 空気に含まれた水分で口の乾きが少し和らぎ、脳に酸素がめぐり、頭痛が少し収まった。

 ゆっくりと息を吐き出すと、火照りの残る体が冷めていくのがわかる。

 アルコールの混じった吐息は、周囲の空気を汚染した。

 男の放つ酒気のせいか、鳥の鳴き声は聞こえてこない。


 男は体を起こし、周りを見回した。

 男がいたのは駅前にある広場。

 先月、この広場で変死体が発見され、縁起が悪く、訪れる人が極端に少ない。


 その隅に設置された大きなベンチの裏で男は寝ていた。

 ベンチの背もたれが大きく、そのお陰で風をしのげる。

 泥酔した男が辿り着く、いつもの場所だった。


「また……やってしまった……」


 男はかすれた声で後悔した。




 男が初めてお酒を呑んだのは、二十歳の誕生日。

 半年前のことだった。

 

 その日は、先に二十歳を迎えた友人の奢りで、居酒屋に連れて行ってもらった。

 

 友人におすすめを教えてもらい、男は初めてアルコールを口にした。


 アルコールを体内に取り込むたび、崩れていく理性と思考力。

 悩みも、不満も、後悔も、認識できず、ただ刹那的に、今だけを楽しむことができた。


 顔を赤くした友人は「喉越しを楽しめ〜」と、男のコップにビールを注いだ。

 しかし、男はすでにお酒の味や喉越しなどに興味がなかった。

 男が夢中になったのは、アルコールを摂取し、自分を溶かすこと。

 その後も、友人に勧められるままに飲み続け、その結果、男の意識は蒸発した。



 体内のアルコールが薄まり、男の意識が元の形を取り戻すと、洋式便器に顔を突っ込んでいた。

 頭はまだアルコールに浸っているのか思考が定まらない。

 便器の内側に顔をつけたまま、男は呆然とした。

 

 肺から熱気を吐き出す。

 その呼気は口内の水分を連れ去った。

 喉は乾燥し、焼けるように痛む。

 乾いたスポンジのような舌には、酸味と苦みが残っている。


 体を起こそうにも力が入らず、動けずにいると、抱きついている便器に体温を奪われ、身体の震えが止まらない。

 

 それが原因なのか、今まで経験したことのない痛みが男の頭を襲った。

 頭の中で脈に合わせポンプが膨らみ、爆発する、そんな想像を男にさせる痛み。


「……っぁ」


 唾液の一滴も出ない渇いた口では、痛みに悲鳴を上げることもできない。

 

 男はこの時、二十年の人生で初めて死を覚悟した。


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