行きます! タック!
@J2130
第一話
もう20年近く前の夏。
蝉がよく鳴いていた真昼。
2歳の娘と妻と僕はとあるお寺の駐車場に車を停めた。初めて来たその寺院は広くその敷地の大きさからもかなり由緒あるものと思われた。
静かな境内に蝉の声が響いていた。
「無理だな…お寺の人いるかな…」
僕は二人を連れて寺務所へ入っていった。
「すいません…お墓の場所を知りたいのですが…」
住職と思われる30代の男性が
すぐに対応をしてくれた。
「去年の夏に亡くなられた田代恭子(仮名)さんというのですが、結婚されて名字は変わられたけれど、実家の田代家のお墓に入られたと聞いているのですが…」
「そうなのですね…」
ちょっと困った感じ…
「戒名とかわかりますか…」
「いや…あの…わからないのですが…」
わからない…そこまでの情報はなかった。
「探してみますが…」
何か台帳を持ってこられて
ページをめくりはじめた。
「すいません…でも…お手数ですよね…」
ご住職さんの迷惑になるのは申し訳ない…
「ちょっと自分達で探してみます…お墓のほうに入ってもいいですか…」
「はい…いいですよ…」
と言ってくれたが…
その表情には
広いですよ…と書いてあった。
「わかりましたらお知らせします」
「すいません…お手数をおかけして…」
僕ら3人は
寺内のお墓が並ぶ敷地に入っていった。
白い日差しが途方もない数の墓石に反射して
眩しかった。
***
大学二年生の春、僕はある女子大の前にいた。
周りには同じサークルの同期が数人おり、そのさらに周りには見知らぬ大学の人間が大挙むらがっていた。
今はどうなのか…
昔は他大学の…とくに女子大の新入生目当てにチラシを持参し、横断幕までつくり我がサークルに勧誘するため、4月のはじめに校門前に列を作っていたものだった。
僕は大学ではヨット部、実態はヨットサークルに入っており、2年生になったので仲間といっしょにここに立っていた。
元来シャイな性格だし…男子校出身だし…背も低い眼鏡の僕に女子大生を勧誘なんて無理だから、おとなしくチラシを笑顔で配るくらいにしていた。
同期のケンタやコウは積極的に…
「ヨット乗らない? 」
「試乗会ってやっているんだ…」
「来てよ…めったに乗れないよ…」
と声をかけている。
すごい…尊敬だ…。
「ねえ、君のこの服さ…」
ケイスケも負けずとちょっと髪の毛の茶色い女子に声をかけている。
「ヨットパーカーっていうんだぜ! ヨット俺たち乗っているんだ…試乗会やるから来ない? 」
なるほど…そうくるか…
コウがかわいい女子に声をかけている。
「今度の日曜日空いてる…? 休みかな…? 」
「すごい偶然…! 奇遇だね…俺も休みなんだ…! ヨットに来なよ」
日曜は…
おおよそ…
学生は…
休みだ…
それを偶然、奇遇にしてしまうコウを僕はやはり尊敬した。
誘い方って…
いろいろあるんだ…
***
そうやってチラシを配り連絡を待っていると数人興味を持ってくれたりして、何人かの勧誘に成功する。
僕らの大学は名前だけは知られているが憧れるようなところではないので応募は少ない。
そんな勧誘で珍しくお嬢様大学として有名なある短大から入部してくれたのが田代恭子(仮名)だった。
ショートカットでスタイルもよく短パンからのびる細い脚は日焼けしてもきれいだった。
気取ったところもなく汚れ仕事も進んでやってくれる、気さくで面白い女の子でもあった。
「先輩…なんか面白いこと言ってください」
ヨットの練習中にそんなことを言われた。
基本的に二人乗りの470クラスという船なので、海上では二人のペアになる。
「あのな…俺は確かにヨットの上でヨットの話をほとんどしないけれどさ…」
「なんか面白いことないんですか…」
「すぐにでないよ…」
「どうしてですか…」
「あのな…」
あのな…本当にさ…
実際他の女子だと面白い話はでるのだけれど、この田代恭子と乗る時はなんか緊張して…
「なんでですか…みんな言うんですよ…先輩と乗るとすっごく面白いって…」
「あのな……」
「私のこときらいなんでしょう」
笑っている。
「あのな……」
そんな女の子だった。
***
写真が数枚残っている。
日に焼けた学生達。
なぜかどれも中央付近に彼女が写っている。
当時は何とも思わなかったが
見返してみると不思議だ。
その場に自然におさまっている。
誰も狙ったわけでもなく、
僕もわざとそうしたのではないのだけれど…
明るいけれどキャピキャピしたものでなく、花があるというよりなんとなく彼女がいるとその場が落ち着く…そんな感じ。
飲み会でもミーティングでもどこにいるかすぐにわかってしまう、そんな雰囲気があった。
後輩女子の吉田は吉田君とかヨッシーと呼ばれていたが、彼女と仲がよくいつもいっしょにいた。
「先輩…恭子ちゃんかわいいでしょ…今度いっしょに3人で飲みましょうよ」
ヨッシーからそんなことを言われたことがあった。もてない自分を気遣ってくれたのだけれど…
「気持ちはうれしいよ、ありがとう」
みなさんいい人ばかりだった。
***
練習中…いつもはクルー(乗員)として船のバランスをとったり、2枚目の補助セイル、ジブセイルの調整をやってもらっていたが、だいぶ慣れたし動きもいいし思うところもありスキッパー(艇長)を教えようと思った。
スキッパーはメインセイルと舵の操作をする。
まさに艇長の役割。
「田代…やってみなよ…田代ならできるよ…」
「いいんですか…やっちゃいますよ…」
これも笑いながら応えた。
他の女子なら
「えーまだいいです」
「やめてください…怖いです」
「もうすこしクルーやってからにします」
と返されるのだが…
場所を交換して彼女に簡単に舵とメインセイルの操作を教えた。
「行きますよ…沈しても怒らないでくださいね」
沈とは “ちん” と言ってヨットが転覆すること
よく例えるのは
「スキーで転ぶようなもの…」
と言うのだが、沈をするとその後に船を起こさなくてはならず、これは疲れるしライフジャケットをつけているとはいえ海に入らなくてはいけない。
誰もがあまり好きではない。
でもね…先輩としては…
「いいよ…沈でもなんでもしてみなよ…ちゃんと起こしてあげるから…」
こう言わないといけない。
「えへへ…じゃあ行きますね…いっしょに沈しましょうね…」
ゆっくりと風に合わせて船を進める田代。
しずかに動き出す船。
「タックしてごらん…ティラー(舵を操作するスティック)を押すんだ…ゆっくりとね…」
風上に一度バウ(船首)を振って逆方向へ転舵する方向転換をタックと言う。
「はい…タックいきます…タック! 」
船が風上に向けて回転し、セイルがシバー(ばたつくこと)したとたんすぐに風をはらみ同時に先ほどとは逆方向の風上に進路をとり、ヨットはほとんど止まることなく海面を滑りだした。
「田代…」
「なんですか…」
振り返ると田代恭子は、右手にティラー、左手にメインセイルを操作するメインシート(ロープのことをシートといいます)を握りこちらを珍しく不安そうに見ている。
こんな表情するんだな…
「うまいじゃん…」
「そうでしょ! 」
予想どおり照れた様子なんて見せず当然でしょ、という感じで応えた。
表情は一瞬にしていつもの屈託ない笑顔にもどっていた。
「もう一回やってみて…タック…」
「はい…行きますよ…先輩の準備はいいですか」
「大丈夫だよ…やってごらん」
「行きます! タック! 」
後方からしっかりとした艇長の声がした。
僕はこの声を今でも覚えている。
今度もうまくほとんど停止せずに回転した。
きれいなタックだった。
救助艇が近づいてきた。
「あれ…田代がスキッパーやってんだ…きれいなタックだと思ったら…すげえな…」
僕と同期のタカが船外機のスロットルを握りながら言った。
「うまいでしょ! 」
田代はこれまた笑顔で救助艇に向い大きな声でさけんだ。
「もう少しスキッパーの練習する…そのあと俺が救助艇を代わるから…」
タカにそう言うと
「オウ、了解…」
救助艇は他の船の様子を見るため離れていった。
「よかったな…褒められたよ…田代は動きがいいし運動神経もよさそうだからすぐにできると思ったんだ…よかったな…」
僕は振り向きそう言うと他の艇の確認とこれからどちらの方向に走らせるかを判断するため田代から目を離し前方の海面を見渡した。
支障になるものはなさそうだ…
浮遊物とか定置網とか…
まあ…田代なら避けられるし…
「教え方がうまいから…」
ちいさく聞こえたような気がした…
僕はやはり気が利かない。
風と波の音がじゃまをして
よく聞こえなかったふりをした…
***
短大の彼女は僕らが3年生のときに卒業した。
「先輩、私卒業したんですよ! 」
「おめでとう…」
と彼女が合宿所に遊びに来た時に
言った記憶がある。
今思えばなにかお祝いをあげるべきだった。
僕は肝心なところで気が利かない。
僕からもらっても…と変に考えてしまうのだ。
もう一度来た時
「みなさんでどうぞ…」
とビールやお菓子をたくさんもってきてくれた。
近くにご両親と車できたとのことだった。
細い体で海岸の駐車場から合宿所まで持ってきてくれたようだ。
「お礼言わないと…」
すでに幹部になった僕ら同期はあわてて立ち上がり海岸に向おうとしたが…
「恥ずかしいからいいです!
本当にいいです! 」
と頑なに断わりヨッシーだけを連れ逃げるように合宿所を後にした。
彼女の姿を見たのはそれが最後になってしまった。
卒業後は銀行に就職したらしい。
明るく屈託のない彼女なのですぐに見初められ結婚したとの知らせがきた。
披露宴にはヨッシーも呼ばれなかったので海外挙式とか身内だけだったのかもしれない。
僕らは4年生までヨットに乗りみな卒業しそれぞれの道を進んだ。
僕はベビー用品メーカーに勤め、彼女もいないのでよくヨット部の練習の手伝いに海に行った。
それも2年後輩が卒業するとあまりいかずになり、同期数人でヨットを買い江の島でセーリングを続けていた。
昔みたいに冬なんか乗らず夏だけ…
寒い思いまでして社会人はヨットに乗らない…
やっと結婚できたのは32を少し過ぎた春。
すぐに子供が産まれ、
2年の月日がたった時だった。
コウとケイスケ、ケンタと話す機会があった。
なんだろう…OB会か忘年会…
「田代恭子っていたじゃない…
亡くなったって知ってる…? 」
コウの兄は僕らと違い名門大学出身で銀行に勤めている。
たまたま田代恭子と同じ銀行だった。
「え…」
ケイスケとケンタと僕は
同じ反応をするしかなかった。
「兄貴がさ…教えてくれて…」
大きい銀行内でどのような情報の連絡があるか知らないがコウの兄は何かしらのつてで田代恭子のことを知ったようだ。
コウが前もって後輩のこうゆう女性が入行すると言ってはいたらしいが…
「病気だって…癌だって…」
***
僕はヨッシーに会社のメールから
連絡をとってみた。
ヨッシーはすぐに返してくれた。
「最近連絡をとってなくて…本当じゃないことを祈ります。ご両親とも知りあいなのですぐに連絡してみます。情報ありがとうございました」
数日後、悲しいメールがあった。
「やはり癌でお亡くなりになったそうです。若かったので進行が速かったそうです」
「お骨は田代家が引き取り田代家のお寺、お墓に納められているそうです」
「ヨッシーありがとう。ショックだ」
と僕は短い返信しかできなかった。
自分より年下の後輩がすでに亡くなっていた。
ご両親はまだご健在だろう…
一人娘をもつ同じ親だ。
切ない…やるせない…
この世界にもうあの田代恭子はいないのだ。
僕らはその世界にまだ住んでいる。
取り残された気分がなぜか心の中に降りてきた。
「お寺がわかりました」
一か月くらい後、ヨッシーから再度メールがきた。
「この前行ってきました。大きいお寺でした。旦那が仕事なので電車とバスで」
ヨッシーはやはりいい人だ。
ヨット部では彼女だけだろう…
お墓参りに行ったのは。
メールにはお寺の名前と住所が記されていた。
「悪いねヨッシー、調べてくれたんだ、
本当にありがとう。
今度新大久保あたりの焼き肉屋でもいこうよ」
メールの最後に
「行ってみる、田代に家族を見せにいく
ありがとう、
本当にありがとう」
そう返信し、メールをプリントアウトした。
***
「今度の週末さ…伊豆の別荘に行くときに寄りたいところがあるんだ…」
僕は妻に田代恭子のことを話した。
後輩で…面白くて…屈託がなくて…。
でも去年の夏に癌で亡くなってしまったこと、
最近それを知りお墓に行きたいことを。
「どこにあるのそのお寺…」
「遠回りになるけれど、一回高速降りれば行けるんだ…」
どこのインターで降りて、ちょっと戻るかたちだけど一般道を10キロくらい走れば…
そんな説明をした。
「いいよ…お花買っていこうね…」
***
お墓が並ぶその敷地に僕ら家族は
そろって入っていった。
ところどころに大木があり
やさしい日陰をつくっていた。
「どの辺りかな…
田代っていう名前を探せばいいのかな…」
人力では見つからない…たぶん、
切り上げる時間を考えながら
僕は奥さんに言った。
「広いね…でも見つかるかもしれないよ…」
霊感というか、何か奥さんは持っている。
石とかも好きだし、占いも大好きだ。
後になってわかったが娘も少しは感じるらしい。
僕は思うところをふらふらと歩き
石碑に彫られている名字を見てまわっていた。
たぶん見つからない…
そうしたらお寺にお花を預けて帰ろう。
田代は許してくれるだろう…
「やっぱり先輩は気が利かないですね…」
とあの笑顔で言うだろう。
娘はまだ小さい、炎天下ではかわいそうだ。
妻といっしょに短い歩幅で
ちょこちょこと歩いている。
お帽子をかぶり白いフリルのついた
ワンピースを着せられている。
きっと昔…田代もこんな時期があったのだろう。
「ねえ、ママ、多分見つからないからさ…
時間を決めよう…」
「うん…でももう少し探そうよ…
せっかくきたし
田代さんきっとパパに会いたいよ…」
「うん…」
田代恭子が僕に
会いたいかどうかはわからないけれど、
それは口には出さなかった。
***
面白い子だった、屈託のない、
裏表のない子だった。
運動神経がよく、
スキッパーもすぐにうまくなった。
面倒くさいヨットの掃除やセイルの修理も
嫌な顔をせずにやっていた。
「田代は料理つくるのか…」
合宿の最中、彼女の料理当番のとき訊いてみたことがあった。
「えへへ…今日の夕食で確かめてください、
わかりますよ」
どっちともとれる言い方をされた。
夕食時、
「うまいぞ田代! 家でもやっているんだろう」
ケイスケに先を越された。
めずらしくカレーでもハヤシライスでもなくシチューが…しかもビーフシチューだった。
ホワイトシチューはよく出るがビーフシチューは初めてだった。
「やってますよ! 」
彼女は笑顔で僕のほうを向いていた。
聞こえなかったが
「えへへ」
と笑っていただろう。
そんな子だった。
僕に会いたいかどうかはわからないけれど。
***
探したがやはり見つからなかった。
難しい…多いから…日差しもきついし。
でも娘はあいかわらず妻にくっついて
歩いている。
石の敷かれた通路の端にお花が生えてると
たまに母の手を引っ張り見せてあげている。
僕は中央のほうに足を向けた。
妻と娘は塀沿いを歩いている。
夏だ…暑い夏だ…
昔はほとんど海にいた。
浜辺にたくさんいる家族連れや
若い男女のペアを見ながらヨットに乗っていた。
「お盆すぎるとさ…それこそ潮がひくようにみんないなくなるんだ…」
救助艇の上だった。
僕は田代に浜辺を彩るビーチパラソルを眺めながらそう言った。
「秋も冬もヨットに乗るんですよね…先輩は…」
彼女は僕のほうを見ながら言っている。
「うん…」
風を切って走るヨットを監視しつつ僕は応えた。
「先輩は『にわか海好き』ではないんですね…」
「うん…」
秋や冬は駐車場も道路もすいていて快適だ。
でも冬は寒いけれど。
「冬ぐらい友達や彼女と都会で過ごせばいいじゃないですか…」
「田代…俺なんかと誰も遊んでくれないから大丈夫だよ、それに本当に海が好きだしね…」
「わからないですよ、
誰か遊んでくれるかもしれませんよ」
「俺と遊んでくれるそんなボランティアみたいな女の子はね…田代より長く生きてきたけれどいなかったから大丈夫」
ふと見ると少しあきれた顔で、
でも笑っている田代。
今日はえんじ色のキャップをかぶっている。
少し見える髪が海風になびいていた。
「俺はね…きっと結婚すること自体がライフワークになるんだ」
当時は本当にそう思っていた。
「田代だって乗るんだよ…真冬にヨット…」
「寒いの嫌です、都会がいいです」
***
「パパ…このお墓じゃない! 」
奥さんの声がした。
塀際のお墓の前に娘と立っている。
まさか…見つかるか…普通。
「わかりました! 」
後ろから男性の…
そう先ほどの住職さんの声がした。
速足で近づいてくる。
「わかりました…田代恭子さん…わかりました…」
汗びっしょりだ…申し訳ない…
「あちらです…
奥様がいられるあの辺りの塀際です…」
***
田代家のお墓は本当にそこ…
奥さんと住職さんの示す場所にあった。
住職さんにお礼を言って僕と家族は
そのお墓の前に立った。
うすい灰色の墓石。
砂利もきれいに敷いてある。
足元にちいさく名刺入れの石塔があった。
花立に奥さんと娘が花を生ける。
お線香を買ってきて香炉にそえた。
白い煙がゆっくりとあがり、香りが立つ。
10年ぶりの対面がこんな形になるなんて。
僕より若い田代が先にお墓に入るなんて。
まだご両親もご健在だろう。
暑さも蝉の声も忘れ
僕はしばらくその場にたたずんだ。
「パパのヨット部の時の後輩さんなんだって…ご病気でなくなったんだって…」
奥さんがまだちいさい娘にお話をしている。
「のんのんしようね…」
のんのんして欲しい、奥さんも…
田代に見せて欲しい。
田代…
かわいいんだぜ、俺の娘は
近所で評判なんだ
こちらが奥さん
あいかわらず俺はもてなかったのでね
ご紹介された人なんだ
美人だろ
そんな美人が
なぜか俺なんかを気にいってくれてね
薬剤師さんなんだ、実家が薬局を経営していて
別荘だってもっているんだよ
今日はそこに行く途中、悪いね、ついでみたいで
ヨッシーに聞いて来たよ
こんな形だけど来られてうれしい
会えてうれしい
田代がどう思っているかはわからないけれど
でもきっと田代なら…
こんな暑い日にこなくても…
お嬢さんかわいそうだよ…
お花はいいからお供物おいてってよ…
来るならもっと早く来てよ…
なんて言うのかな…
ただね…
見せたかった…
俺はしっかりではないけれど
仕事も続けていて
信じられるかい…?
結婚できたんだ
子供ももいるんだよ
こんな俺でもね…
報告したかった
なんとなく…
心配してくれていたんじゃないかな…
そんな気がしていたから
していませんから…
思い過ごしですから…
と言われそうだけれど…
田代に
「ご結婚おめでとうございます」
「お嬢様ができたのですね、
おめでとうございます」
と言ってもらえたら
きっとすごく嬉しかった
僕は手を合わせながらそんなことを思った。
目を開けると
石の墓誌が左側にあった。
今となっては俗名の田代の名前、
旧姓というか本名というか
それが刻んである。
一行だけの墓誌。
「田代だけなんだ…」
奥さんに僕はつぶやいた。
田代のご両親は彼女のために
このお墓を立てたのだ。
喉の奥がひどくひどく熱くなった。
つばを飲み込んでこらえた。
じゃあ行くから…
そのうちにまたな…
来られてよかった…
本当によかったよ
墓石に向い僕はお辞儀をしながら
そう小さく唱えた。
「行こう、りほもママもありがとう」
「彼女に会えて、お墓だけど会えてよかった…」
「ありがとう…」
僕は娘を思わず抱き上げた。
そんな気分だった。
お墓を後にして歩きだした。
この角を曲がったらもう田代の墓石は見えない…そんな場所で振り返った。
献花した花が揺れていて、
香から白い煙がたっていた。
急にひどい暑さが全身を包んだ。
蝉の声が思い出したように響いてきた。
数十年前の暑い夏の日、
家族と僕は後輩に会いに行った。
了
行きます! タック! @J2130
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