第15話 襲撃者

◆◆◆◆


 明け方近くのことだ。


「誰だ? 誰かいるのか」


 聞きなれた声に、桔梗ききょうははっと目を覚ます。

 反射的に上半身を起こしたが、その肩をがっしりと掴まれる。


 目を上げると。

 大鴉おおがらすだ。


 安心させるようにニッと笑うと、目だけを狩人小屋の扉に向ける。


 そこにいるのは。

 桔梗もよく知る山伏たちだ。


 山鳩と、つぐみ

 そう呼ばれる、大鴉と年が変わらぬ男たちだ。


 扉の左右に片膝立ちに控え、錫杖しゃくじょうを構えて剣呑けんのんな顔をしている。


(……朝……?)


 大鴉にしっかりと肩を抱かれたまま、首を巡らせた。


 狩人小屋には、朝陽が満ちていた。

 大鴉から、自分の出自のことを聞いたあのあと、


『わしらは、闇夜でも問題ないが……。お前は危なかろう。朝、目が覚めたら山を出ようか』


 そう声をかけられ、大鴉に見守られて眠ったのだ。


 いろいろと慌ただしく、緊張していたせいだろう。

 大鴉と少し会話したような気もしたが、気づけば寝ていたようだ。


「無礼な! 誰に対してものを申しておる!」


 扉の向こうから高圧的な男の声と武具が立てる金属音に、桔梗は怯える。


 なだめるようにそっと大鴉は背を撫でてくれるが、扉の側にいる山鳩と鶫は、まったく動揺を見せない。


「その誰かがわからんから尋ねておる」

「馬鹿じゃということはわかったの」


 挑発するように言葉を発するから、桔梗は手指が冷える。罵詈雑言が扉の向こうから響き渡ったが、それを打ち消す陽気な笑い声が響いてきた。


「別に隠すこともなかろう。おれだ、桔梗。そこにいるのだろう? 霜藤しもとう家の三男、忠相ただすけだ」


 大鴉は目を細め、小さく舌打ちする。


「その、霜藤家の忠相様がかように小汚い小屋に何用で?」


 のんびりと大鴉が声を張ると、はは、と扉の向こうで笑い声が聞こえる。


「自宅を訪ねたのだが、おらぬのでなぁ。いろいろと探していたのだ。ああ、ついでに。山が暗くて困った故、灯りをともした」


 かっ、と桔梗は瞬間的に怒りを抱く。


(なにが灯か……っ。燃やしたくせにっ)


 だが、肩を抱かれた腕に力を籠められる。目を上げると、大鴉がやわらかく笑っていた。


「桔梗に何用です。ただのひなの娘でしょう。戯れに追いかけるなら、他の娘をどうぞ」


「その娘でなければならぬ。都に連れて行き、主上おかみに対して託宣たくせんを行ってもらいたい」


「託宣などと」


 はっ、と大鴉は笑う。


「ただの娘だ、と申し上げた」

「金の髪で緑の瞳をした娘が、か? おい。男。その娘をどうするつもりだ」


「どうするもこうするも。今まで通りの生活をさせるのですよ」

「嘘を申せ。どうせ、主上に売ろうとしておるのだろう。おれが買う。いくらほしいのだ」


 咄嗟に身体をこわばらせるが、大鴉は馬鹿らしい、とばかりに肩を竦める。


「どれだけ金を積まれても、こいつは、やれねぇ」


 砕けた口調ではき捨てる。


「こいつぁ、可愛いわしの娘だ。娘を売る父親はクズって決まってんだ。わしはクズじゃねぇ」


「おいおい、大鴉。わしらの、だ」

「複数形にしろ、複数形に。そしてお前は結構、クズだ」


 山鳩と鶫がヤジを飛ばし、かか、と大鴉はさらに笑った。


「さぁさぁ、帰ってくれ! わしらは今から旅に出るんだからな!」


「桔梗、お前はそれでいいのか? 景親かげちかはきっとお前が側にいることを望んでいるぞ?」


 景親の名前に、びくり、と桔梗は身体を震わせる。


 気配を察したのか。

 たたみかけるように忠相は話し出す。


「今の主上ではこの世がどんどん悪くなる。上を変えねばならんのだ。われらの光条親王ならば、この世界を変えてくれる。この世界をよくするために、景親はわざわざ主上に苦言を呈し、そして、あのような目に遭っているのだ。桔梗。景親を助けたいとおもわんのか? お前なら、助けられるのだ」


(私なら……、助けられる)


 ごくり、と息を呑む。


 脳裏に浮かぶのは、脇息にもたれかかり、緩く笑う景親の顔だ。

『桔梗』と、優し気に自分の名前を呼ぶ姿だ。


 だが。


「景親様は……」

 掠れた声しか出ず、桔梗は何度も咳ばらいをした。


「景親様は、二度とここに来るなとおっしゃいました。来てはならぬ、と」


 それが、きっと答えなのだ。


 利用されるな、と。

 行け、と。

 景親は桔梗に言ったのだ。


「私はそれを、守ります」


 きっぱりと言い切る。


 はぁ、と。

 扉の向こうから吐息が聞こえた。


「仕方ない。ぶち破れ」


 ぱちり、と指を鳴らす音が聞こえた。


 戸の側にいる小鳩と鶫が錫杖を構える。しゃり、と頭部の環飾りが緊張した音を立てた。


 大鴉は桔梗の肩を抱いたまま立ち上がり、そっと窓枠の方へと移動をする。


 そのとき。


「申し上げます!!」


 緊迫した男性の声が扉の向こうから響いてくる。荒い息のまま、何事か告げている様子はわかるのだが、桔梗の位置からは、何を言っているのかまではわからない。


 扉の側にいる山鳩と鶫が耳をそばだてている。


「景親は!?」


 唐突に忠相が叫んだ。


(か、景親さま……?)


 なぜ彼の名前がここで出るのだ。


「わかりませぬ!」


 その語尾は、忠相の舌打ちに消える。


「行くぞ! まずは景親の身を確保する!」


 その言葉ののち、いくつも足音と武具が打ち鳴らす金属音が続く。


「村でなにかあったようだな」

「なんだ?」


 山鳩と鶫が顔を見合わせているのを、桔梗は茫然と見つめる。


「……処分が、決まった……?」


 ひょっとして沙汰がくだったのではないのか。

 そして刑場に引っ立てられようとしているのではないか?


 震える声で呟いたが、それは誰の耳にも止まらなかったらしい。

 大鴉が桔梗から離れ、山鳩と鶫はそんな彼に近づいてくる。


「どうする?」

「今のうちに移動するか」

「まだ、村の状態がわからん」


 そんなことを話し合っている。

 桔梗はぼやり、と三人を見つめた。


 扉の向こうでは。

 伝令が来ていた。


 忠相が慌てている。

 その彼が、景親の名前を言った。


(きっとそうだ……)


 桔梗は奥歯を噛み締めた。

 景親の処分はいつ決まってもおかしくない、と言っていた。


 きっと。

 あの警護係の武士たちが移送を始めたのではないのか。


 処刑のために。


「………景親様っ」

 気づけば、桔梗は狩人小屋を飛び出していた。


「桔梗!」

「待て! 戻れ!」

「桔梗!」


 自分を追いすがる山伏たちの声を振り払い、山道を駆けた。


(……なに……? どういうこと)


 だが異変は、里に下りた途端感じた。


 ものすごい煙くさいのだ。

 目を凝らし、遠方をのぞむ。


 いくつか、火柱が見えた気がした。

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