第13話 闇夜の火

 そこから桔梗ききょうは夕陽が山を染めるまで、家に閉じこもった。


 忠相ただすけとかいう男が追って来るかも。

 その不安に、がたがたと震えたが。


 一方で。

 大鴉おおがらすを待つ気持ちもあった。


 このところ、彼は毎日この家にやって来てくれる。そして夕ご飯を作り、桔梗の帰宅を待ってくれているのだ。


 だが。

 大鴉が来ない。


(そういえば、大鴉は、私に都の噂を教えなかった……)


 家の隅で膝を抱え、小さくなりながら、桔梗は胸の奥に不信感の熾火おきびがともるのを感じる。


(なぜ、黙っていたのだろう。自分が、運命さだめ姫巫女ひめみことやらの外見にそっくりなのを……)


 そして。


(おじいさまは何か知っていたんだろうか……)


 執拗に自分の顔を隠させた祖父。


 当初は。

 醜いからだ、とおもっていた。


 来訪神らいほうしんの容姿を色濃く継いだ自分の顔と髪が無様だからだ、と。


 だが。


(……知っていたのでは……?)


 桔梗は、がばり、と立ち上がった。

 恐ろしい考えが冷や汗を噴き出させる。


(知っていて……。あの忠相とかいう男のように利用しようとしたんじゃ……。それまではだから、隠そうと……)


 こんな山に、潜み続けていたのかも。

 その思い付きは、心の熾火を一瞬にして燃え上がらせた。


(みんな、敵なんだ……)


 震えながら、ぎゅっと、一度だけ目を固くつむる。


 瞼の裏に浮かぶのは、景親かげちかの顔。


 彼だけが。

 彼だけが、桔梗に『逃げろ』と命じてくれた。


(……ここから、出よう)


 桔梗はありったけの貨幣と当座の保存食だけをずた袋に入れた。


 床板を引き剥がし、土を掘っただけの「収納庫」に保存食や薬草を入れた壺を次々と埋め、土で覆う。


 また、ほとぼりが冷めたら戻ってくる。

 それまで、盗まれないように。壊されないように、と埋めたのだが。


 たぷり、と壺の中でかりん酒が揺れた時。

 これを景親さまに飲んでいただこう、とおもっていたあの午前中ののどかさを思い出して、涙が出てきた。


 ぐい、と拳で涙をぬぐい取り、桔梗は床板を戻す。

 そして。

 住み慣れた家を出て、狩人小屋へと向かった。





 煙の臭いに気づいたのは、狩人小屋でうとうとと船を漕いでいたときだった。

 爆ぜる音はしないが、かすかに臭いは漂ってきている。


(山で、火を……?)


 狩人は火を嫌う。

 この山には炭焼き小屋もない。


 桔梗は背中にずた袋を背負ったまま、そっと狩人小屋の扉に近づく。


 もう、冬に差し掛かるこの時期。

 小屋を使う狩人はいない。

 来年春に向け、綺麗に掃除された小屋は、桔梗にとって絶好の隠れ家となった。


「……家が……」


 そっと木戸を開けて外を伺う。


 まるで。

 夕ぐれのような〝赤〟が、森の一角を染めていた。


 家。

 あれは。

 方角的に。

 自分の家。


(……燃やされた……)


 茫然と桔梗は見つめる。


 焼き殺すために燃やしたのか。


 それとも。


 どこかに隠れていると踏んで、自分に見せつけるために燃やしたのだろうか。


 桔梗は。

 がくがくと震えながらも、ただただ、闇夜を焦がす橙色の灯りをみつめる。


(か、隠れなくては……。どこかに行かなくっちゃ……)


 なんだか腰のあたりがふわふわと心もとないまま、桔梗は狩人小屋の戸にしがみつく。


 ほとんど倒れこみながら、中に入った。


「桔梗」

 突然呼びかけられ、悲鳴を上げてうずくまる。


「わしだ。驚かせたな。すまん」


 真っ暗な室内に目を凝らす。


 夜目とはいえ。

 さっきまで燃え盛る炎を見ていたせいだろう。暗闇に目が慣れない。


 肩をこわばらせ、土間にうずくまったまま、桔梗は声の主に呼びかけた。


大鴉おおがらす、なの?」

 見当はついていたものの、あえて呼びかけてみた。


「ああ、そうだ」


 大鴉はゆっくりと頷き、それから立ち上がって桔梗に近づこうとする。


「来ないで!」


 金切声に、大鴉は頑強な肩を震わせて止まった。闇が、戸惑いを伝える。


「わしだ、桔梗。大鴉だ」

「……どうして、黙ってたの」


 大鴉が発する困惑を多分に含んだ声を、桔梗は断つ。視界の悪い中、大鴉ののどぼとけが、ごくり、と動くのが見えた。


「あんなに都のことに詳しいあなたが……。運命さだめ姫巫女ひめみことかいう噂を知らないわけがない」 


 言いながら、だんだん腹が立ってきた。


 騙された。

 騙していた。

 この男は、自分を。


「私の容姿も知っている。きっと……」


 ぎり、と奥歯を噛んだ。歯ぎしりするようにして、言葉を吐く。


「利用しようとしていたんでしょう。有利な状況で私を売り飛ばそうとでも?」


 あの忠相とかいう男があれほど自分に執着を見せたのだ。

 想像すらできない主上とかいう天子さまは、よほど自分を欲しがっているのだろう。


 この男は。

 自分の値が上がるまで、この鄙地に隠しておこうとでも思ったのだろうか。


「利用しようと、確かに思っていた」


 大鴉はゆっくりと。

 あえて、言葉を区切るように言った。


 言われて。

 ごつり、と胸に重い石を投げつけられたような気になる。


 自分で聞いておきながら。

 想像しておきながら。


 はっきり言われるとやはり心に堪えた。


「だが、今は違う。お前を心の底から案じてんだ。じじ殿が不在の今、お前はあまりにも無防備だ」


 大鴉の声は決して急かさない。


 ゆっくり、ゆっくり。

 単調ともいえるほど言葉の調子を落としている。


 それに伴って。

 あれほど激しくたぎった怒りが。


 徐々に力を失っていくのを感じていた。


「桔梗。お前を、母上のところへ連れて行ってやろうと思う」

「は、……母上?」


 想像もしないことを言われ、尋ね返してしまった。


「じじ殿からは、『両親は死んだ』と聞かされてたんじゃねぇか? だがなぁ、お前の母上は生きておられる。高浜寺こうひんじというところで尼僧として仏に仕えておられんだ」


「尼僧……」


 せわしなく視線を揺らす。

 視界はだいぶん戻ってきていた。


 ちょうど。

 雲が切れ、月光が屋内に入ってきたことも幸いしたのだろう。


 大鴉が、首を縦に振るのがはっきりと見えた。


「じじ殿はもともと、賀仙かせんの地を治める領主だった」

「……は……?」


 喉から洩れたのは、息なのか、それとも問いだったのか。


「知ってるか? 賀仙を?」

 ゆるやかに問われる。


 その顔には。

 いつものあの、柔和な笑みが浮かんでいた。


 幼いころからよく知る大鴉の笑顔。

 がっしりとした腕や広い胸が大好きだった。


 父とはきっとこういう男なのだろう、と勝手におもっていた。


「知らない……」


 桔梗は首を横に振る。なぜだか声が涙で濁る。


「海に面した温暖な地区だ。蜜柑が名物でな。これがまぁ、甘くてうめぇんだ。わかめと共に、天子さまへ納める献上品として指定されているほどだぜ」


 大鴉は胸を張る。

 自慢しているようなその様子に、桔梗の口元もほころんだ。


「じじ殿はそれを大層誇りにおもっておられてな。なにしろ、わかめは昔からあの地にあったものだが、蜜柑は違う。土地を改良し、品種を選定し、それはそれは慈しんで育てていた。だが」


 彼はそこで、言葉を切った。一拍置き、静かに話し始める。


「ある日、海から外国とつくにの船が3隻やってきた。あとからわかったことだが、奴らは奴らで漂流し、水も食料もなにもかもを失ってようやくこの地にたどり着いたらしい。そして奴らは」


 ぐい、と大鴉は口をゆがめた。


「賀仙の地で、略奪を開始した」

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