第11話 酒席

 それから3日後のことだ。


 桔梗ききょうは、ふぅと息を吐くと、満足げに長机に並んだ素焼きの壺を眺めた。


 それぞれに、銀杏、栗、クルミが詰められている。

 陶器の甕には、かりんとコケモモを、それぞれ酒につけこんでいた。毎年祖父が楽しみにしていたので、供養のつもりで作ってみたのだが。


(うまくできたら、景親かげちか様に召し上がっていただこう……)


 額ににじむ汗を手の甲でぬぐい、ちらりと窓の外を見る。のきには、干し柿とともに、薬草を束ねてつるしていた。


『明日は来なくていい。暇をやろう。お前も家ですることがあるだろう』


 帰り際に桔梗に告げたのは、相変わらず、さむらいごっこをしている弥吉やきちだ。


 何故いきなりそんなことを言うのかと目を細めたのだが、彼は小ばかにしたように笑った。


『客人が来るのだそうだ。それなのに、そんなずた袋を頭からかぶった女に給仕などさせられるか。おれの嫁と、妹が世話に来る』


 なるほど、と桔梗は目をまたたかせた。

 手紙で伝えてきていた〝忠相ただすけ〟とかいう景親の友人が来るのだろう。


 佐平さへいはあの日以来、怖がっているのか、それとも忙しいのか。屋敷にも桔梗にも寄り付かない。それで、弥吉が代理をしているのだろう。


『わかりました』


 ぺこりと頭を下げると、顔を覆った布がざわりと首と頬を撫でた。


 当たり前だ。

 こんな奇妙な娘が接待などしたら、景親に恥をかかせてしまう。


 ほう、と、また吐息を漏らす。


 屋内とはいえ、窓や玄関戸をあけ放っていると、やわらかな秋の日差しが桔梗の頬を撫でた。太陽が頬にあたるのは久しぶりだ。


 このところ、日中は景親の世話をしていたため、ずっと頭巾をかぶっていた。


(なんとか、夕方までに終わらせられたなぁ)


 遅れていた冬支度を着々と済ませられたことに満足する。


(あとは、衣類を……)


 寒さが厳しくなる前に、綿入れを出して干しておこうか、と立ち上がった時。


「ごめん。桔梗はおるか」


 聞きなれた声が玄関から響く。


(田中様……?)


 あわてて懐から頭巾を取り出し、頭からかぶる。そのあと玄関に向かった。


「……これは。どうされました」


 彼がこの家を知っていることにも驚いたが、わざわざ彼のような身分の者が、自分を呼びに来ることにもたまげた。


「なぁに。景親様がな」

 頬を掻き、田中はにやりと笑った。




 半刻のち、「失礼します」とおそるおそる景親のいる建屋の玄関をくぐると。


「あ。桔梗」

 ずいぶんと着飾った小夜さよが、上がりかまちに腰かけ、足をぶらぶらさせていた。


「交代、交代」


 言うなり、小夜はひょいと立ち上がった。

 同時に、しゃり、と頭につけていた彼女のかんざしが鳴る。派手な模様のついた振袖といい、一体何事だと桔梗は目を丸くした。


「わたしたちは、およびじゃないんだって」


 肩を竦めて彼女は言うが、衝立の向こうから出てきた弥吉の嫁は随分とご立腹の様子だ。


 こちらも上等な着物を身にはまとっているが、台所仕事をしていたのか、前掛けをつけている。


 それを乱雑に取ると、叩きつけるように上がり框に放った。


「帰りましょう、小夜さん」


 睨みつけられて、身が竦む。

 なにがどうなっているのか、とおろおろとしていたら。


「桔梗? 参ったのか」

 景親の声が居室から響いて来る。


「はい。あの……。何用で……」


 今日は都から客人が来る日ではなかったか。


 景親が佐平に暴力を振るって以降、厨房は一気に華やかになった。


 米にみそ、塩、しょうゆまで届けられ、ほくほくと桔梗は壺に入れては、戸棚に仕舞った。干物などは籠に入れ、風通しのいい日陰に入れておいたのだが。


 手伝いの者が、わからなかったのだろうか。

 勝手がわからず自分が呼ばれたのか、と思ったのだが。


 小夜も、弥吉の嫁も、さっさと帰ってしまった。


「こちらに参れ。遠慮はいらぬ」

 呑気な声が廊下に響く。


(遠慮はいらぬ、って……)


 ごくり、と桔梗は息を呑んで上がり框を見る。


 そこには。

 上等な靴がひとくみ。揃えられていた。


 絶対にこれは、都からの客人に違いない。


(どうしよう……)


 頭巾の端をおもわずつまむ。いいのだろうか。こんな恰好で出て行って。


 だが。

 見せられる顔とも思えぬ。


 としたら。

 無様なものは、隠している方がいいだろう。


「桔梗?」

 名を呼ばれ、はい、と返事をし、廊下を進んだ。


「あの……。今日は何用で?」


 珍しく、襖は開かれたままだ。

 敷居の側で平伏し、うつむいたまま声をかける。


 しゅる、と。

 案外近くで衣擦れの音がした。

 位置的に客人だろう。


「……はぁん?」


 驚いたような。

 呆れたような。

 戸惑ったような。


 そんな声が漏れ聞こえた。


「休みだと聞いた。呼び出してすまなかったな」


 いたわりの言葉に、桔梗はそのままの姿勢で首を横に振る。もさもさ、と頭巾が揺れる。


「村長が奮発したようだ。膳があるので、共に食べよう」

「はああああああああ!?」


 おもわず、がばりと顔を起こした。「おお」と愉快そうな声が聞こえてきたが、桔梗はいざりながら部屋に入る。


「な、ななななな、何をおっしゃって……っ」

「わたしが命じたわけではない。村長が勝手に3膳分用意したのだ」


 格子の向こうでは、相変わらず脇息にもたれかかった景親が、閉じた扇で順に膳を刺していった。


「わたし。忠相。それから、もうひとつ用意されているようだったから、お前のだろう?」


「いや、どう考えても違うでしょう!」


 咄嗟に浮かんだのは、小夜だ。


 あれだけ着飾らされていたのだ。

 きっと同席し、酌や話し相手になれ、ということだったのではないだろうか。


「さ、小夜です、きっと!」

 膝立ちになって叫ぶ。


「今ならまだ、そんなに遠くに行っていないでしょうから、呼び戻して……」

「よいよい、桔梗とやら」


 笑いを含む声が制止した。


 桔梗は。

 そっと、声の主に顔を向ける。


 そこにいたのは、体格の良い青年だった。


 景親と同じく、仕立ての良い直垂ひたたれを身に着け、髪は総髪そうはつに結い上げている。きりりと太い眉が意思の強さを感じさせたし、日に焼けた顔がまた、彼を精悍にも見せた。


 彼が霜藤家の三男。忠相、という男なのだろう。


 ぐい、と桔梗に向かって盃を突き出し、ニッと陽気に笑って見せる。


「酌ができるのなら誰でもかまわん」


 言われて桔梗は慌てる。

 視線を彷徨わせて瓶子へいしをつかむと、そっと近寄って酒を満たした。


「おい、忠相。酌をさせるために桔梗を呼んだのではない」


 不機嫌な声に、忠相は快活に応じる。


「お前が格子から出てこんから、代わりに酌をさせておるのだ。この娘に酌をさせたくなくば、そこから出てこい」


 盃を呷り、もう一度桔梗に差し出すから、おそるおそる、再度満たす。


「わたしは主上おかみより、蟄居ちっきょを命じられているのだ。たやすく出るわけにはいかん」


 主上ねぇ、と忠相は鼻を鳴らした。その様子を目で制し、景親は一転にこやかな笑みを桔梗に向ける。


「よいよい。もう座って食すがいい。瓶子など、その辺においておけ」

「お前、もてなすきがないだろう。おれを」


 忠相が口を尖らせるが、景親は無視だ。

 桔梗はおずおずとうなずくと、誰も座っていない膳へと移動した。


 座布団がちゃんと用意されているが。

 なんとなく、座れない。


 本来、自分のために用意されたものではない、とおもっているだけに、そっとそのわきに座り、膳を眺める。


 今日も雨戸を閉め切っているとはいえ、客人のために普段より行燈を増やしているらしい。


 つるり、と朱塗りが濡れたような光沢を帯びている。


 椀もの、煮物、焼き物、香の物。それから、もち米がまざった白米。

 ごくりと喉が鳴る。

 なにより、桔梗が目を奪われたのは。


「エビだぁ……」


 おもわず声が漏れて、忠相からは爆笑された。

 頭巾の中で湯気を出すほど真っ赤になった桔梗だが、景親は上機嫌だ。


「なんだ。桔梗はえびが好きか。ならば、わたしのものも……」

「滅相もない!!」


「遠慮することはない。ほら。口を開けなさい」


 膳を持ってじりじりと格子に移動し、和え物の中にあるえびを箸でつまんで格子に近づこうとするから、汗だくになって首を横に振った。


「いえ、もう! 本当に!!」


 実は以前、「この魚はうまい。桔梗も食してみよ」と、同じようにして差し出されたことがあった。


 その時の川魚は、大鴉おおがらすが獲ってきたもので、「貴人にやんな」と言われたものだった。


 焼いているときからいい匂いがしたし、身もしまって美味しそうではあった。


 なんとなく。

 家事の合間も話し相手になったり、ふたりで過ごすことが多かったため。


 つい気安く。

 頭巾の下部分をすこしめくり、箸につままれた身をぱくり、と食べたことがあった。


 よく考えれば、無礼打ちにあってもおかしくはなかったのに。


「美味しいですね!」「焼き加減もちょうどよい。これはなんという魚なのだろう」


 ふたりで、おいしい、おいしい、と。

 喜び合ったのを思い出す。


(……失態だった……)


 今になってひたすら恐縮する桔梗だが、「ふぅん」と興味深げな声に、上目遣いに忠相を見た。


「ずいぶんと、この娘を気に入っておるのだな」

 目をすがめ、顎を撫でる。まるで品定めをするめつきに、桔梗の背が伸びた。

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