第10話 報復

◇◇◇◇


 田中が、佐平さへいを連れて建屋にやって来たのは、次の日だ。

 桔梗ききょうが掃除や洗濯を済ませ、さて、今日は水瓶を清めようかと両手首を擦ったころだった。


 腕の痛みは昨日よりましだ。

 帰宅すると同時に大鴉おおからすがやって来て治療してくれたからに他ならない。

 事情を説明し、「不安だから今日は泊まってほしい」と伝えると、気さくに応じてくれた上に、貼り薬も用意してくれたのだ。


 心強くはあったが、あっさりと桔梗の家に宿泊する彼の様子に、ひっかかりを覚える。


 当初、「仲間に悪いから」と彼は桔梗の提案を断っていたのだ。


 今回は特別な事情があったから、と言われればそうなのだが……。


(なぜ、仲間に相談しないのかしら)


 普通なら、桔梗の説明を受け、「とりあえず仲間に連絡して、また戻って来る」。そう返答するのではないだろうか。


 だが、大鴉は、「そりゃあもっともだ。いいぜ。今晩、一緒にいてやろう」と快諾してくれた。


 まるで。

 桔梗が願い出ることを知っているかのように。


(……普段、大鴉達って、どこでなにをしているのかしら……)


 本来は山伏だ。山で修行をしているのだろうが。


 桔梗は、彼らが滝行を行っていたり、それらしい行為をしているところを見たことがない。


 貼り薬のお陰で、痛みはともかく腫れが大分引いた両手首をぼんやりと眺めていたときだった。


 木扉が開いてすぐ、玄関から誰かが入って来る気配がした。

 衝立越しに顔を覗かせると、田中と佐平だ。


「………」


 挨拶をすべきなのだろうが、佐平の姿を見て身体が竦む。


 だが。

 桔梗以上に、佐平は身体を硬直させ、そして禿頭から盛大な汗を噴き出していた。


景親かげちか様! 田中にございます。佐平めを連れてまいりました!」


 田中は佐平の背後にぴったりと張り付き、そして佩刀はいとうの柄を握ったまま大声で言った。まるで佐平が逃げ出せば斬る覚悟があるようだ。


「ご苦労であった。これへ。桔梗はおるか?」


 のんびりと景親が応じる。ちらりと田中が顔をこちらに向けるので、おずおずと桔梗は返事をする。


「はい。ここに」


 茶でも用意するのだろうか。

 残念ながら「茶」はなく、毎日景親に出しているのは、桔梗が家から持ってきた自家製の薬湯なのだが。


「では、一緒に」


 穏やかな声に促され、田中と佐平の三人で景親の居室に向かった。


 先頭を歩くのは佐平だ。

 その後ろにつき歩く田中を見上げる。目が合うと、無言のままうなずかれるのだが、意図がわからない。


「失礼いたします」


 襖の前で三人は膝をつき、田中が声をかけた。


「入るがいい」


 相変わらずの口調に、桔梗はやっぱりなにがなんなのかわからない。


 緊張で強張る佐平と。

 静かな景親の声は、まるで対照的だ。


「お申し付け通り、村長の佐平を連れてまいりました」


 襖を開け、最初に入ったのは田中だ。

 佐平と桔梗は平伏したままだったのだが。


「おもてをあげ、ふたりとも前へ」


 促され、佐平と二人、部屋に入室する。

 桔梗は正座したまま格子の向こうにいる景親を見た。目が合うとにこりと微笑まれる。

 だが、彼の瞳はするりと佐平に向けられた。


「佐平。もう少し前へ」


 脇息にもたれ、だらしない姿勢ではあったが、直垂ひたたれや袴に乱れはない。

 どこか色香のある笑みを目元ににじませ、景親は手招く。


「佐平。前へ」


 おずおずと。


 いや。

 身を竦ませながら。

 佐平はじりじりと膝立ちで進んでは、止まる。


 止まるたびに。


「もそっと、前へ」


 景親に命じられ。

 最後には格子に頭頂部をつけるように平伏していた。


「さて、佐平。まずは、お前に礼を言わねばな」


 ぎしり、と軋み音がするので何かと思うと、深く脇息にもたれかかったらしい。景親は笑みを深めて目を細めた。


蟄居ちっきょの身である、わたしの世話を引き受けてくれて、感謝する」


 一重の。

 小刀を横に引いて切ったような目が、まっすぐに佐平を見ている。


 その佐平は、というと。

 まるで踏みつぶされたカエルのごとく畳に額をこすりつけていた。


「公から頂戴した食料を預かり、適宜運んでくれることについては、その手間を含め、まったくありがたい。本当に世話をかけている。いずれ、田中を通して礼を伝えようとはおもっておった」


 部屋の出入り口で控えていた田中が深々と頭を下げる気配があった。


「また」


 するり、と視線が上がり、部屋の中央にいる桔梗を見た。

 ぱちぱちと目をしばたかせると、景親は柔らかく笑む。


「桔梗と引き合わせてくれたことには本当に感謝している。これは良い娘だ」


 褒められ、頭巾の中で頬を赤くした。


「さて、佐平よ」


 しゅる、と衣擦れの音がしたと思うと、景親が立ち上がったらしい。懐から取り出したのは、昨日桔梗が手渡した手紙だ。


 ぱん、と小気味良い音を立てて広げた手紙の末尾は、焦げている。やはり、昨日の手紙らしい。


 景親は、ゆっくりと格子に近づく。


 いや。

 格子の前で平伏する佐平に、というべきか。


「わたしには友人がおってな。霜藤しもとう家の三男で忠相ただすけという男だ」


「し、霜藤家でございますかっ」


 がばり、とようやく佐平が顔を上げる。


「おお、知っておるか」


 するり、と手紙を両手で広げながら、景親は優美に微笑む。


「代々右大臣家を輩出する名家だ。忠相は、わたしのような者とも親しくする変わり者ではあるが、光条こうじょう親王を介して互いにやりとりをしておってな。今回も、このように手紙をよこしてくれた」


 目を剥いた佐平が桔梗を振り返るから、咄嗟に身構えた。


「桔梗がこの手紙を届けてくれたのだが、一体、どこでどのような経緯があって、このように焦げたのかを全く語ってくれぬのだ。お主は知っておるか?」


 さらり、と手紙を揺らし、景親が首を傾げる。

 佐平は、ただただ、額から汗を噴き出しながら、その顔を見上げていた。


「まぁ、だがしかし、手紙はわたしの元に届いたのだからよしとしよう。さて、その内容なのだが……」


 景親は片膝をつくと、格子越しに佐平を見やる。


「忠相によると、わたしを案じた光条親王が、ありがたいことに、いろいろな品を手配して送ってくださっているそうだ」


 ぱらり、と手紙が伸び、畳へと広がった。


「米、塩、みそ、しょうゆ。砂糖、反物、菓子。そうそう。『売れば金になるだろう』と刀や貴石まで送ってくださったようであるなぁ」


 桔梗の脳裏に咄嗟に浮かんだのは、佐平の腕輪念珠と、弥吉の刀だ。

 息を呑み、眼前の背中を眺める。


(だからこの手紙を焼こうとしたのね)


 だが、こんなことをしたらどんな目に遭うのか、少し考えればわかることだ。

 なぜ、と考えるも。


(あ! すぐ、お沙汰さたがくだるとおもった……?)


 大鴉も言っていたではないか。


 あまり情をうつすな、と。

 景親は屠られる家畜なのだ、と。


 佐平自身も桔梗に、「世話の期間はそんなに長くないだろう」と言っていたのを思い出す。


 きっと都からの裁きが下り、すぐにでも処分されると踏んだのだ。


 だから。

 景親へと贈られた品を、自分のところにとどめ置いていたのだ。


「別に、その品をどうこう言うつもりはない。最前も伝えたように、わたしをこの屋敷に住まわせてくれるだけで感謝している」


 ガタガタと小刻みに震えている佐平に、景親は微笑みかけているが。


 その顔が。

 刃物のような鋭さと危うさをはらんでおり、佐平でなくとも、見るものすべての動きを止める。


 夜叉、と。

 戦場では呼ばれる男なのだ、と。


 改めて桔梗は身体をこわばらせる。


「反物も刀も貴石も。いくらでもくれてやろう。だがな」


 景親の語尾を飾ったのは、鈍く重い音だった。同時に、潰されたような佐平の悲鳴が響く。


 桔梗は身を震わせて景親を見る。

 背後では、田中が片膝立ちになっていた。


「桔梗に暴力をふるったことは許さぬ」


 佐平の悲鳴の奥で、低い景親の声が沈む。


 景親は。

 腕を伸ばし、佐平の胸ぐらをつかんで引き寄せていた。


 両者の間には当然格子がある。


 ぐい、と景親が佐平を引っ張れば。

 必然と佐平の顔は格子に押し付けられる形となった。


 ぎちぎち、がたがた、と。

 景親が佐平を掴んで揺するものだから。


 佐平の悲鳴と共に、格子が軋む。


 右腕一本でつかみ上げているとは思えぬ力だ。格子がわずかにたわんでさえいる。


「か、景親様っ! おやめくださいませっ」


 声を張ったのは田中だった。

 素早くいざると、佐平から景親の指をはがそうと必死になる。


「佐平が死んでしまいまするっ」

「なぁに、田中。大丈夫だ」


 声は鷹揚なのに、氷のように冴え冴えとした笑みを浮かべて、景親は腕を揺すって何度も佐平の顔を格子に打ち付けた。


「死なぬ程度にはやっておる。のう、佐平。お前もそうであったろう?」


 がん、とひと際大きな音を立てて佐平は格子に右頬骨を打ち付けられた。


「この程度では骨は折れるまい、死ぬまい。そう思って桔梗に暴力をふるったな?」


 佐平はなにか否定するような言葉を吐いたようだが、顔を格子に押し付けられた上、どうやら口の中を切っているようで、明瞭な言葉が出ない。ぼたぼた、と畳に血を落とす佐平を見て、桔梗も我に返った。


「おやめくださいませ! 村長様が……っ」


 駆け寄り、田中と一緒になって景親の手を佐平から引き離しにかかった。


「村長様になにかあれば……っ。景親様が新たな罪に問われてしまいますっ!」


 大きく筋肉の張った景親の右腕にしがみつき、桔梗は格子越しに彼の目を見た。


「そんなの、私はいやっ!」


 それは。

 村長の佐平がどうなろうとかまわないが、そのことにより景親が不利益をこうむることの方が嫌だ、と明確に伝えていた。


 まじまじと。

 景親が桔梗を見る。


 桔梗もまっすぐに彼の目を見つめていた。


「……なるほど」


 くすり、と景親がほほ笑む。吐息が桔梗の頬を撫でた。


「桔梗の嫌がることはすまい」


 言うなり、佐平から手を放す。

 いきなり拘束をほどかれたからだろう。


 佐平は、どっ、と膝から頽れると、せき込み始めた。薄暗い室内でもわかるほど、その顔も首も紅潮している。


「さて、佐平よ」


 だが意にも介さず、景親は言う。立ち上がり、興味なさそうに床に落ちた手紙と佐平を見比べた。


「手紙の末尾が焦げておるのでわからぬが……。近々、忠相が来るようだ」

「は!?」


 喉元を押さえ、佐平はかすれた声を上げた。


「品がちゃんと届いておるか。わたしの生活に不便はないか確認に来るような内容であったな」


 くつくつと景親は笑う。


「まったく。蟄居の身であるから、不便があって当然であるというのに……。おかしな男だ」


 慣れた手つきで手紙を懐にしまうと、冷めた笑みを口元に浮かべて見せた。


「光条親王から頼まれてここに来るのだそうだ。さて。どうするつもりなのだ、お前は」


 低く呻き、佐平はがばり、と畳に額をこすりつけた。


「力の限り、接待をさせていただきます!」

「そうか。ならばよろしく頼む」


 さらりと応じると、佐平は一度も振りかえることなく、居室を後にした。


「き、肝が冷えました……」


 そう声を漏らしたのは田中だ。がくり、と畳に座り込むと苦笑いを景親に向ける。


「本当に、殺してしまわれるのではないか、と」

「最前も言うたろう? 加減ぐらいは知っておる」


 すました顔で景親は答えると、いつもの定位置に戻り、また脇息にもたれかかった。


「お前に傷を負わせた奴に仕返しがしたくてな。田中に依頼して調べてもらったのだ」


 ぱちぱちと瞬きをする先で、田中が頭を掻いた。


「調べるなど……。狭い村のことであるから、すぐに村長の下男から話を聞けたのだ」


 景親の処遇改善の件で桔梗が来たこと。

 自分は字が読めないからわからなかったが、景親への手紙を桔梗が必死に守ろうとしたこと。


 結果的に、佐平の怒りを買い、棒で打ち据えられたこと。


「わたしのせいで済まぬことをした」


 肩を落として詫びる景親に、桔梗は慌てて首を横に振る。


「私の方こそ……。気にかけていただいて、本当にありがとうございます。これからも、精一杯お世話させていただきます」


「そうだな。沙汰があるまで、今しばらく、よろしく頼む」


 目を細める景親の顔を。

 桔梗はぼんやりと眺めた。


 そうだ。

 永遠に世話をするわけではないのだ。


 あくまで。

 彼の罪が確定するまでなのだ、と。


 桔梗は改めて実感した。

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