第8話 焚火
◇◇◇◇
三日後。
下働きの小僧に言われた通り縁側に回ると、そこにいたのは若い娘が三人ばかりだ。
いずれも桔梗と年の変わらぬ娘たちだったが、髪型を見るに、ひとりは既婚者らしい。縁側に腰かけ、楽しそうに笑っては肩を小突いていた。
「……えっ!?」
桔梗の姿に気づいたのだろう。細面の娘が這うようにして座敷の奥に逃げようとする。
「化け物!」
悲鳴に似た声に、他の娘たちも驚いて立ち上がる。
だが。
「やだ、桔梗じゃない」
おっとりと声をかけたのは、丸顔の娘だ。
村長の娘、
「驚かせないでよ」
細面の娘が睨みつけてくるが、こちらは知らぬ顔だ。村に嫁いできた誰かだろうか。
「何用です。無礼な」
ぱしり、と鋭い声を叩きつけてきたのは、既婚らしい女だ。目が吊り上がり気味で、余計にきつく見える。
弥吉の嫁だ。
(……良いところのお嬢様だったのかしら)
桔梗は目をしばたかせた。
帯留めやつけ襟が随分と洒落ている。
その視線に気づいたのか、ふん、と自慢げに顎を上げて見せるから、なんとなく興ざめだ。
「村長様に折り入ってお話がありました。下働きの小僧に尋ねると、縁側の方にいらっしゃるとお聞きしたので」
訥々と、できるだけ抑揚のない声で答えた。
「父様ならさっき蔵の方に行ったわよ。お役人様が見えたの」
のんびりと応じ、小夜は盆の上の干菓子をつまんだ。
ぱくり、と口に放り込み、満面の笑みを浮かべる様子に、細面の娘が慌てる。
「もう、何個食べてるのよ。ずるいわ」
「だったら、あなたも食べればいいじゃない」
けらけらと笑う様子を、弥吉の嫁は鷹揚に見ていた。
「……失礼します」
桔梗は頭を下げ、三人の娘たちの側から離れる。
なんだか。
自分とは住む世界が違いすぎる。
食うに困らず、働くこともなく。
ただ着飾り、笑い、日々過ごしていく。
そんな人間がいることが、桔梗には不思議だ。
ふ、と。
重い息をひとつ吐いて。
足を、藏に向ける。
(……だけど、誰か都にでも行ったんだろうか)
干菓子など、こんなところで売ってはいない。神社詣での土産か。はたまた、やはり弥吉の嫁が金持ちで、取り寄せたのか。
あんなもの、どこから手に入れたのか。
首を傾げながら、村長の敷地内を歩く。
(そういえば、あの刀……)
弥吉の腰に下がっていた刀。
あれだってそうじゃなかろうか。この辺りに刀を扱う業者などない。
質屋にあったものを買い取ったのだとしても、逆に、じゃあ誰が質屋にいれたのだ、ということになる。
なんだか。
嫌な予感がする。
不快さに、眉根を寄せた時、鼻先を焦げ臭いにおいがかすめた。
ひょい、と建屋と建屋の合間を覗く。
下男が枯れ葉を集めて焼いているところだった。
「なんだ桔梗か。どうした」
長い棒で枯れ葉の山を崩しては、火勢を見ていた下男が、桔梗に気さくに声をかける。
「村長様に相談があってね」
言いながら、近づいた。
というのも。
視界が枯れ葉の中で「白」を捕らえたからだ。
なんだろう。
枯れ葉は当然茶色い。白など……いったいそれはなんなのか。
「村長様に? なんの」
「ほら、あのお屋敷の貴人よ」
口早に言ってから、桔梗は目を剥いた。
「ちょ……っ! え!? これ!」
慌てて手を伸ばして、枯れ葉の上に乗せられた紙を取り上げた。
その最後尾を火が舐めたから、焦って両手でつかみなおした。ぱんぱん、と紙を叩いて火を消す。
「なにやってんだ。あぶねえぞ」
男が呆れて言い、がさがさと枯れ葉を棒で揺すった。
ふわり、と風に舞い上がるのは、真っ黒になった紙片だ。
「か、紙を焼いてるの!?」
驚きすぎて声がひっくり返る。
紙は高級品だ。おいそれと処分はしないし、本などは厳重に保管される。
下男はその価値を知らないのだ。
(え。……なに。これ、どういうこと)
桔梗は火から守った紙を丁寧に折れ線で畳んでいく。
ちらり、と文字に目を走らせてさらに絶句した。
冒頭には景親の名前がある。
「旦那様が、ゴミだから枯れ葉と一緒に焼けってさ。もったいねぇよな。これなんなんだ?」
呑気な口調で下男は言い、がさがさと木の棒で枯れ葉の山を突き崩す。
ふわり、と。
また、紗のような煤が舞い、それがすでに焼却された紙なのだと知って、桔梗は手紙を懐にしまうと、がばり、と地面に膝をついた。
「なにすんだっ! あぶないぞっ!」
下男が大声を上げるが、桔梗は迷わず枯れ葉の山に手を突っ込む。
勢いよく灰が舞い上がり、煙が目に染みる。せき込みながらも、枯れ葉の山から。
いや、火から手紙を守ろうと、痛みをこらえて手を這わせた時だ。
がつん、と。
こめかみのあたりに衝撃を受けて、桔梗は横倒しに転んだ。
「なにをしておるのだっ」
咄嗟のことに、なにがおこったのかわからない。
ぼわり、とゆがむ視界と波状にくる鈍痛を堪えていたら。
がつん、と再度今度は右手首を打たれた。
今度こそ悲鳴を上げ、桔梗は飛び起きる。
頭巾がずれたのだろう。
視界が聞かず、左手で直そうとしたら。
今度はその左手を
「旦那様っ!」
下男が大声でわめき、それでようやく桔梗は佐平が近くにいることに気づいた。
痛みで思うように動かない手で、必死に頭巾を直す。
やはり。
目の前にいるのは、佐平だ。
怒りのためか、頭頂部まで真っ赤に染めて、桔梗を睨みつけている。
「なにをしているのかっ、この無礼者がっ」
彼が右手に持っているのは、さっきまで下男が焚火をするのに使っていた長い棒だ。
それで、桔梗をぶったらしい。
「……景親様の……」
しゃべると、こめかみに激痛が走った。
一撃目にくらった傷だ。桔梗は顔をゆがめながらも、地面に座ったまま、佐平を見上げる。
「景親様の、食材をいただきにまいりました。村長様の家にある、とお聞きしたのです」
「ない」
返事は短い。おまけに、彼が見ているのは桔梗の顔ではなかった。
手だ。
右手に握る、紙の端。
「これは、景親様への手紙ではないですか」
自分の手を見ていることを自覚しながら、桔梗は言う。
いや、呻く。
「なぜ、焼くのです」
「お前の勘違いだ。それはそのようなものではない」
佐平は棒を振り上げる。
「火にくべろ。それはゴミだ」
「あの菓子も、刀も、反物も。その手にある念珠の水晶も」
ぎゅ、と桔梗は紙片を握り込んだ。
「景親様への荷物ではないのですか!」
怒りのためなのか。それとも打撲の痛みなのか。
自分の声すら水面下で聞くように、ぼわん、としていた。
吹き上がる感情に行動が制御できない。
(この、盗人!)
桔梗は睨みつける。
この男は。
殿様や景親の領地から送られてくる品をすべて自分のものにしていたのだ。
ひょっとしたら当初は上前を撥ねる程度だったのかもしれない。
だが、景親が何も言わないことを良いことに、どんどん大胆になり、今では米と塩しかよこさない。
門番たちも知っているのだろう。
いや。
袖の下を渡されているに違いない。
でなければ。
弥吉の「さむらいごっこ」の相手などしないのだから。
「あ、あっしがよく言い聞かせておきますっ!」
どん、と右から衝撃が来た。
だが、棒で打擲されたときのような痛みはない。
顔を向けると、下男が桔梗を抱きしめ、ついで、ぐいと頭を押さえつける。
意に反して桔梗は佐平に土下座をする形になった。
「これも、燃やしますからっ」
ぐいっと右手の紙片を奪い取られる。
なんとか持ち上げた顔の前で。
紙片は。
ぼう、と一瞬で火にまぎれて消えた。
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