第7話 桔梗と景親

 桔梗ききょう景親かげちかのところに通うようになって二十日が過ぎたころのこと。


 門扉のそばに立つ佩刀はいとうの男が弥吉やきちだと気づき、桔梗は目を丸くした。


「………おはようございます」


 しばらく呆然と彼の姿を見ていたが、得意げに顎を上げられて、挨拶を口にする。


「ご苦労だな」


 尊大な態度で言う彼はどこか滑稽だ。

 身なりだけ必死に取り繕って武士に似せている。

 矜恃きょうじも、仕草も。まるでちぐはぐで。


 桔梗は無様だとおもったが、彼と同じ仕事を拝命している武士はもっとそう思っていることだろう。まるで空気のように扱っている。


「……警護ですか」


 じっとりと見つめられるので、気味悪い思いをしながら、桔梗は渋々尋ねた。

 この屋敷に通って二十日。

 弥吉が武士のまねごとをしているのなど、初めてのことだ。


「新田様の配下になったのだ」

 胸を張って答えるが、まず、新田様を桔梗は知らない。


「はぁ、そうですか」


 肘にかけた籐籠に視線を落として答える。


 興味などない。それよりも早く、景親の朝ご飯を準備しなければ。平坦な声で応じたつもりなのに、延々と弥吉が自慢を始めた。


 佩刀の価値。袴を仕立てた嫁の手際。これからは侍として名を上げたいのだ、というに及び、呆れた。


 そんなこと、出来るはずがない。


 まじまじと、弥吉を見る。

 あまりにも景親と違いすぎる。


 立ち居振る舞い。身のこなし。筋肉の付き方。

 通い始めて桔梗も知ったが、景親は鍛錬たんれんを欠かさない。


 居室を掃除したときに気づいた。

 景親がいつもいる畳の一部分だけ、やけにささくれ立っているのだ。


 その理由は彼が毎日素振りをしているからだった。

 格子の中に閉じ込められているというのに、彼は常に「外に出たとき」のことを考えている。


 木刀を振り、槍の演武を行い、様々な書籍を読む。


 もし今、招集がかかれば。

 自分の腕を乞われたら。

 知識を尋ねられたら。


 いつでも万全の態勢で応じられるように、彼は準備している。


 対して。

 弥吉はどうだ。


 外見ばかり取り繕い、それでなんとなく満足している。


「今日も、宜しくお願いします」

 桔梗は武士の方に頭を下げ、門扉をくぐった。


(……あの羽振りの良さはなんなのかしら)


 なんとなく鬱屈うっくつした思いで桔梗は玄関に向かう。

 景親の台所事情がひっ迫しているだけに、余計におもうのだろうか。背後では木戸が閉まる音がした。


(そういえば……)


 弥吉の父親であり、村長の佐平さへいも水晶の腕輪念珠をしていた。


 村長とはいえ。

 急にそんなにカネが儲かるものなのだろうか。なにか、売れるものがあったのだろうか。


 訝しみながら、玄関をくぐる。


「おはようございます」


 室内は。

 相変わらず、薄暗い。


 朝日が透明度の高い陽を降り注いでいるというのに。

 雨戸がそれを遮り、屋内にまでは及ばない。


「今日も世話になる」


 一番奥の部屋から聞こえるのは景親の声だ。

 最早聞き慣れた声に、少し心が高ぶる。


 誰かが自分を待っている。

 そんな状況がこんなに嬉しいことだとは思わなかった。


「すぐにお伺いいたします」


 声だけを返し、桔梗は衝立の向こうに入る。


 籐籠を長机の上に置くと、竈の上の格子窓を開ける。つっかえ棒を使って閉じないようにしておくと、昨日笊にあげていた白米を持って一旦外の井戸に向かう。


 手早く洗って釜に仕掛けると、火打ち石で火をつける。


 小枝から薪に火が移動するのを確認すると、木桶に水を汲み、手ぬぐいと小さなカミソリを持って廊下を歩いた。


 襖の前で両膝を突き、木桶を置く。


「失礼します」

「ああ」


 いつも通りのやり取りのあと、桔梗は襖を開いて入室し、畳に両手をついた。


「おはようございます」

「おはよう」


 穏やかな声に顔を上げると、格子越しに緩く笑んだ景親の顔が見える。


「清拭用の水と手拭いを持ってまいりました」


 立ち上がって進み、品を出し入れする小窓に木桶と手拭いを押し入れる。

 ついで、部屋の脇の行李こうりから着替え用の着物を取り出した。


「今日はお召し物も洗いますので、お着替えをどうぞ」


 行李や着流しの着物、下着も、桔梗が用意したものだ。


 当初。

 洗濯をしようにも、換えの衣類がないことに驚いた。


 今着ている服を洗おうとしたら、景親が裸でいるしかないのだ。 


 桔梗は慌てて家にとってかえし、祖父の着物の中で一番ましなものを持ってきた。それでも粗末には違いなく、恐縮しながら差し出したのだが、当の本人は済まなそうに何度も頭を下げるからまたたまげる。


『なにからなにまで、本当に済まぬ』

 肩を落として景親は言い、頭を掻くのだが。


(……一体、お殿様から送られた品はどこに……)


 桔梗は困惑するしかない。

 この屋敷内にあり、景親が持っているものは本当に限定的だ。


 布団一組、木刀、刃の無い槍。それから今着ている直垂ひたたれと袴。書物が五冊。


 それだけ。


「これはまた、桔梗のおじいさまの物か?」


 行李の蓋を閉めていると、声がかかった。

 視線を転じると、景親が立ち上がって着流しを眺めている。


「いえ、それは田中様からお借りしたものです」

「田中?」


 首を傾げる景親の顔は、光の乏しい室内でもはっきりとわかるほど美しい。まるで陶磁のような肌だ。


「も、門番の……。お侍様です。六十ばかりの」


 おもわず凝視しそうで、桔梗は顔を逸らし、早口に言う。


 景親に初めて会った日の夜、門番をしていた年かさの武士だ。

 当初、祖父の着物を着換えに使用していたが、どうしても寸足らずだ。衣類が乾くまでとはいえ、つってんてんのその様子は、滑稽というより痛ましい。


 そのことを田中にこぼすと。

 こっそりと彼は「わたしのもので申し訳ないが」と衣類を提供してくれた。


「そうか。では今度彼に会ったときに礼を伝えなくては」


 押し頂いたのちに、景親は無造作に服を脱ぎ始める。


 ぎょっとした桔梗は慌てて平伏し、「それでは」とその姿勢のまま、ずるずると出入り口に後退した。


 われながら不格好だと思うのだが。目を伏せて下がるにはそれしか方法がない。


 とにかく、この景親という男は人の目が気にならないらしい。


 貴人は着替えから何から人に世話をされるという。


 だからなのか。

 裸を見られることに抵抗がないようだ。


 桔梗がいようがいまいが、下着さえ外そうとする始末で、普段は全く手のかからない彼の世話だが、この習慣にだけは閉口していた。


「お時間を見て、また参ります」


 すごい勢いで襖を閉め、声をかける。「あいわかった」。のんびりした声に、自分だけ顔が赤いのはなんだかおかしいな、と腑に落ちぬまま、厨房に向かう。


 向かうにつれ。

 米の炊ける良い匂いがしてきた。


 たたきに降り、草履をひっかける。


 竈に仕掛けた釜からは、しゅんしゅんと小気味よい音と湯気が噴き出していた。


 ざっと手を洗い、長机の上に置いた藤籠から、陶器の小瓶をいくつか取り出す。


 いずれも桔梗が作業の合間に作った漬物だ。

 それに今日は、栗の渋皮煮を持参している。


(景親様、お好きかしら)


 秋の山は食材の宝庫だ。栗にきのこ、果物でにぎわう。


 昨日差し出したアケビに喜んでいたので、きっと甘いものはお好きなのだろう。

 空いているもうひとつの釜で味噌汁を炊きながら、小鉢に漬物を盛る。


 箱膳を用意し、濡れ布巾でざっと拭っていると米が炊けたようだ。


 そっと蓋を開けると、蒸気がもわりと顔を撫でた。


(よし)


 濡れ布巾で釜を持ち上げ、長机の上に置く。

 味噌汁をよそい、竈の火をひっかき棒でかき消す。


 お米をよそい、小鉢を添えて箱膳を持った。


(今朝もいつもどおり)


 肩口で額の汗を拭おうとしたら、頭巾ずきんに気づく。


(あ、そうだ……)


 家の外だというのに、ついつい頭巾をしていることを忘れてしまう。


 それは。

 景親の態度が多分に影響していた。


 桔梗が頭巾をかぶると、いつも村のみんなに蔑むような眼でみられる。

 その目を見て、「ああ自分は頭巾をかぶっているのだな」と気づくのだ。


 だが。

 景親は違う。


 まるで自分が素顔のように接するのだ。


(だめだ、だめだ。勘違いしちゃだめだ)


 ぷるぷると首を横に振りながら、箱膳を持って廊下を歩く。


 景親はきっと貴人だから広い心で自分に接してくれるのだろう。


 自分が、普通になったわけではない。

 景親が、特別なのだ。


「失礼します、景親様。朝ご飯をお持ちしました」

 襖の前で平伏する。


「ああ、入るがよい」

「……ちゃんと服をお召しで?」


「着ておる」


 本当かな、といぶかしみながら、そっと襖を開ける。


 格子の向こうには。

 紺色の着流しを着て正座をする景親がいた。


 木桶や衣類はまとめて差し出し口にから外に出されていた。ほ、と息を吐き、桔梗は箱膳を持って膝立ちで進む。しゅるしゅる、と畳が膝の下で鳴った。


「どうぞ」


 箱膳を差し入れ、ぺこりと頭を下げる。

 さて、洗濯をしようか、と木桶と衣類に手を伸ばした時。


「……桔梗よ」

 重く暗い声音に動きを止めた。


「はい」

「塩と米でよいと言うのに……」


 箸を持って深い吐息を漏らしている。


「食欲がございませんか?」

「ある。それはそれは、ある」


「ようございました」

「違うのだ、桔梗」


 情けなくまゆ尻を下げ、景親は口をへの字に曲げた。


「こんな旨い飯を毎日食べていては、罰にならんじゃないか」

「これは旨い飯には入りませんから大丈夫です」


 まじめな顔で断言すると、景親は苦笑いを浮かべて頬をかいた。


「いやしかし……。今日のこの食材とて、桔梗の持ち出しではないのか? それでは、申し訳が立たぬ」


「つい最近までは二人分用意していたのです。景親様の分が多少増えようが……。まったく問題ありません」


 淡々と答え、そしてやっぱり申し訳なく思う。


 景親は気にしているようだが、彼がここに来るまでに食べていたものとは絶対に内容が違うはずなのだ。


「本当に世話になる。食べ物どころか、若い娘にわたしの下着まで洗わせているのだからなぁ……」


 はぁ、とまた肩を落とす。


「世話を命じられたのだから当然です」


 あきれて返すと、はぁとまた息をこぼしたものの、表情を改めて景親は箱膳に向き合う。


「申し訳ない申し訳ないと言いながら飯を食うと、飯に申し訳ない。いただこう」


 なんだかよくわからないことを言いながら、「いただきます」と頭を下げた。

 茶碗を持ち上げ、炊き立ての米を旨そうに頬張る様子に、なんだか桔梗は胸が詰まる。


(……もっと良いものをお出ししたいんだけど……)


 出会ってから二十日が過ぎた。


 明らかに顎のあたりが痩せ始めている。


 指摘すると、本人は、「いかんいかん。筋肉が落ちておる」と苦笑するのだが、そうではない。


 栄養が足りていないのだろう。


「……それでは、私は掃除と洗濯をしてまいります」

 見て居られなくて、木桶や衣類を抱え、桔梗は部屋を下がった。

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