第6話 山伏の大鴉
貴人の家を辞し、家路をたどった
異変は、家まであとわずかというところで気づいた。
(……鍋の匂い?)
桔梗は顎を上げて匂いを嗅ぐ。
頭巾越しとは言え、はっきりと味噌の香りが漂っている。
山には桔梗の家しかない。
狩人たちが使う小屋が三つほどあるが、彼らは火を嫌う。小屋で夜を迎えるにしても、
(
自分の家の戸を開けられるのは、亡き祖父と大鴉ぐらいのものだ。
ひと月ほど前に薬草を仕入れてまた都へと向かったから、数ヶ月は来ないとおもっていたのだが。
桔梗は脚を早め、家の戸に飛びついた。
ガタガタと揺すり、手応えを感じたところで横に引く。
「よう、桔梗」
案の定。
囲炉裏にいるのは大鴉だ。
「お前の飯を食いに来たのに……。留守にしてやがるから、勝手に上がらせてもらったぜ。雉《きじ)鍋だ」
年の頃は五十にさしかかったところだろうか。日に焼けた顔に、相応の皺が刻まれているが、男ぶりはなかなかのものだ。
山伏装束の上からでもわかるがっしりとした肩幅と肉付きは、さらに彼の魅力を上げていた。
「ここに来るのは、もっとずっと後だとおもってた」
戸を閉めるのももどかしく、桔梗は草履を放り出して板場に上がる。
大鴉の隣に座ると、頭巾を脱ぎ捨てて、ぎゅっと彼に抱きついた。ふわり、と陽向のにおいがする。
「いやあ、なに。この村に面白いやつが来てるって聞いたからな」
がしがしと頭を撫でてくれる。
その指がすくう桔梗の髪は。
室内の灯りをうけてもはっきりと分かる金色だ。
顔も、そして肌も抜けるように白い。瞳の虹彩もよく見れば若干緑を帯びていて、自分自身は山奥にある沼の色だと思っていた。
「面白いやつ?」
抱きついたまま顔だけ上げると、大鴉がにやりと笑う。
「夜叉がいるらしいじゃねぇか」
ああ、と声を上げ、桔梗は彼から離れた。
大鴉は鍋につっこんだままの
「ぶなしめじ、もらったぜ」
「うん。夕飯に使うつもりだったし。あ、間引きの大根は?」
「入れてねぇ」
「じゃあ、塩を塗して……。明日、持って行こう」
「どこに」
きょとんと目を丸くする大鴉に、今度は桔梗がにやりと笑って見せた。
「その、夜叉に」
「どういうこった」
目をすがめる大鴉に、桔梗はかいつまんで話してみせた。
村長がやって来て、繁忙期の手伝いを2年間免除する代わりに、夜叉と呼ばれる貴人の世話を依頼してきたこと。
最初はおっかなびっくりだったが、ことのほか良い
明日からしばらく、通いで家事全般を行うこと。
「ふーん」
桔梗が話し終えるのを待ち、大鴉は鍋の具材を木椀によそった。
ほかほかと湯気を立てるのは、みそ仕立ての雉鍋だ。
おおぶりのぶなしめじに、骨ごと切った雉の身が見える。鍋底に転がるのまるいものは芋だろうか。今日は米がいらないほど、具だくさんだ。
「毎回おもうんだけど」
椀と箸を受け取り、くつくつと笑う。
「大鴉って、雉、大好きだよね。食べても良いの?」
「鴉じゃねぇから、共食いにはなんねぇよ」
修行僧なのに獣を食して良いのか、という意味なのに、しれっと言い放つと、ついでに鍋から直接身をつまんで口に入れてみせるから桔梗は大笑いをした。
「しばらく村にいるの? なんなら泊まる?」
息を吹きかけて熱を冷まし、芋を口に放り込む。
存外ねっとりと甘い。雉も芋も、大鴉が持ち込んでくれたものだ。実は結構値が張るのかも、と目を見開いたが。
「いやあ、そんなことをしたら他の仲間に申し訳が立たねぇしな」
自身も山盛りにした鍋をかき込みながら、大鴉は、ぎゅっと口角を上げて見せた。
「村や山にはいるから安心しろ」
他の山伏達と野宿なんだろうか。そういえば、祖父がいたときから、大鴉がこの家に泊まることはなかった。
「毎日顔を見せに来るよ。だからそんな不安そうな顔をすんな」
手を伸ばし、また、わしわしと頭を撫でる。
「じいさまが居なくなったとはいえ、この様子じゃ男の影もなさそうだな。遠慮して損した」
室内を見回し、がははは、と大鴉が豪快に笑うから、桔梗は咳き込む。
「そ、そんなのいないし!」
真っ赤になって首を横に振ると、片頬だけつり上げて笑われる。
「こんなに
「………別に、お世辞は良いし」
俯いて、会話をしたくないがためだけに、大きめの具を口に頬張る。
自分の見た目が他人と違うこと。
どうやら醜いであろうことは知っている。
「じいさんがお前の顔を隠せ、と言っていたのは醜いからじゃない」
しばらくの沈黙の後、大鴉はゆっくりとそう言った。
もぐもぐとぶなしめじを咀嚼しながら桔梗は俯いたままだ。
「美しいものはどれも隠されているもんさ。真珠も、黄金も。この雉だってそうだ。いずれも、姿は容易に見せない。お前もそうだ」
大鴉の声は穏やかで、落ち着いている。
「真実はいつだって隠れている。お前の身を案じてじいさまは、幾重にも
なぁ、桔梗。名を呼ばれ、ゆっくりと視線だけ上げた。
陽気な大鴉の瞳に絡め取られた。
「お前は良い女だ。おれがもう二十ばかり若けりゃ、震いつきたいぐらいな」
「……………大鴉に気に入られても」
ぼそり、と応じると、「違いねぇ」と爆笑された。
「このお鍋。少し
雰囲気を変えたいが為に桔梗は大鴉に尋ねた。
「貴人ってなにを普段食べてるのかしら」
「さぁ。
大鴉は口を大きく開けて、がつがつと木椀の内容物を食べ始める。
「この鍋は残らねぇ」
「あーあー、そんなこと言うし」
くつくつと笑い、自分もまた雉の身を口に含んだ。脂が良く乗っていて美味い。味噌だけではなく、生姜も入っているからだろう。臭みがまったくなかった。
「あんまり、その貴人に入れ込むなよ」
ぼそり、と言われた。
「……え?」
「そもそもが罪人なんだ。
咀嚼する合間に大鴉は言い、そのついでに鍋を木杓子で混ぜる。
「いつまで生きてるか分かりゃしねぇんだから。ある程度距離をおいておけ」
「……景親様は、なにも悪いことをなさっていないんでしょう?」
つい非難めいた口ぶりになった。
随分前だが、大鴉はそう言っていたではないか。
天子様が疑心暗鬼になっているのだ、と。
それを
「この処罰に
ひょっとして大鴉は、景親の処分がどうなるかという情報を集めに来たのだろうか。
のんびりと鍋を食す彼を、桔梗は今更ながら眺める。
そうだ。
彼らは情報の売買を
「殿上人などと言われても、所詮は誰かの家畜だ。その家畜に心を寄せるな。
大鴉の言葉に、桔梗はゆるく首を縦に振り、もそもそと具材を口に運ぶ。
雉鍋なのに。
鶏のようにおもえる。
鶏も、家畜だ。
いずれ屠られる。
生きているときは。
そんなことなど考えてはいないだろうが。
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