第4話 屋内の状況

桔梗ききょう?」


 名を呼ばれ、目が合った途端、桔梗は震える。静電気が走ったようだ。


「か、かしこまりました」


 ぎこちなく返事をして膝立ちのまま室内に入る。

 しゅるしゅる、と畳をいざって格子前にある行燈あんどんに近づき、手を伸ばしてからふと動きを止める。


「……雨戸を、開けましょうか? 外は晴天でございますが」


 昼から行燈とは。

 貴人はかように豪勢なのだろうか。


 だが。

 日の元で彼を見てみたい。そんな誘惑にかられて声をかけると、軽やかに笑われた。


「雨戸を開けてはならぬ。なにしろ私は現在、蟄居ちっきょを命じられているのだから」


 火袋ひぶくろを両手で持ったまま、桔梗は男を見た。

 脇息にしなだれかかり、片膝をたてた状態でこちらに瞳を向けている。


「まだ、罪は決まっていない、とお聞きしています」


「蟄居は命じられておるのだ」

「さようでございましたか」


 首を右に傾げてしばらく見やったものの、桔梗はあっさりとうなずいた。

 では悪い人なのだろう。

 夜叉だし。あまり格子に近づかぬようにしよう。


「では、旦那様。油を足してまいります」


 炊事場にあるだろう、と火袋を外し、油皿を持って立ち上がる。


「わたしは桔梗の雇い主ではない。景親かげちかと呼ぶがいい。わたしも気安く、桔梗と呼ぼう」


 そんなことを言いだすからぎょっとする。


殿上人てんじょうびとにそのような……っ」


 語尾を彩ったのは、軽やかな笑い声だ。


「気にするな。どうせ咎める者は誰もおらぬ。互いに遠慮なくいこうではないか」


 愉快そうな彼を茫然とみつめる。

 だらしない姿勢をとっているからだろう。直垂が着崩れ、単衣から鎖骨や胸のあたりまで見えてしまっている。


 祖父も暑い日はよくそうやってはだけて、団扇うちわで風を送っていたが、だらしないなぁ、と眉をひそめていた。


(人が違えば、随分と……)


 桔梗は顔を真っ赤にして目を逸らした。薄闇に浮かび上がるような肌が随分となまめかしい。


「……それでは、景親さま。油を足してまいります」


 視線をもぎ取って俯いた。


「ついでに、水を持って来てもらえぬか? 喉が渇いてかなわぬ」


 襖へと移動した桔梗の耳に、彼の声がさらりと流れ込む。


「格子の下の……。そこから差し入れてくれ」


 長く細い指が差す。

 あんな細い指で太刀たちなど握れるのだろうかとぼんやりと眺める。


「桔梗? 暗くて見えぬか」


 訝し気に問われて我に返る。景親が示す先を見、慌ててうなずいた。


 確かに。

 格子の左下が正方形に切り取られている。


 大きくはない。脱獄防止のためだろう。

 横幅はそこそこあり、盆が差し込めるだろうが、高さがないので、抜け出そうとしても無理のようだ。


「わかりました」


 桔梗が返事をすると、ゆるやかに微笑んでくれる。あわてて顔をそむけ、廊下に出た。今一度平伏して襖を閉める。


 視界から景親が消えただけで、ほう、と息が漏れた。なんだか全身が火照っていたが、廊下の空気が余分な熱を下げていく。


(……室内が暑いのかな……)


 目が合ってどぎまぎとしたせいで桔梗は身体じゅうに熱が走ったが、景親はそうではあるまい。


 喉が渇いてかなわぬ、と言っていた。こうやって雨戸を閉め、襖まで閉め切っていたら確かに熱も籠るというものだ。


 あとで、襖を開けたままにしますか、と尋ねてみよう。


(とりあえず、お水と、行燈油と……)


 繰り返しながら、玄関に戻り、たたきから降りて衝立の後ろをのぞく。


 やはり、2つ並んだかまどと、いくつかの調理道具。簡単な長机があった。


 こちらは、景親の居室のような暗さはない。

 格子こそはまっているが、かまどの上には大きめの窓が切り取られ、つっかえ棒を使って木戸が開かれていた。


 桔梗は周囲を見回し、行燈油が入っているとおぼしき壺をみつける。手早く注ぎ、皿を長机の上に置いた。よく清められた机の上には、まな板と包丁。洗って干されたとおぼしき布巾が数枚ある。


(湯呑とお水)


 壁に直接打ち付けられた棚に並んだ行李こうりに手を伸ばし、手当たり次第に開けていく。


「あった」


 陶磁のものだ。割っては大変、と両手で長机の上に置き、水がめに近づく。柄杓ひしゃくを手にして蓋を開けた桔梗だが。


 そこで、手を止める。


「……ん?」


 ぷん、と随分と生臭い。


 自分の半身ほどある水がめを、背伸びして覗き込む。

 水自体、減っていてほとんど尽きていた。

 おまけに、顔を突き出すと、やはり臭いが鼻をつく。


(腐ってる……?)


 そんなばかな、と目をまたたかせる。


 罪人とはいえ、貴人だ。

 粗相そそうがあったら大変なことになっていただろう。


 ふと、かまどの上の窓を見る。


 今日は、晴天だ。

 秋とはいえ、間引き大根を洗っているだけで、額から汗が噴き出していた。


「きっと、それでいたんだのね」


 うん、と大きくうなずいた。量も減っていたし、きっとそうだ。よかった。こんな水を出さなくて。


「水がめはあとで洗うとして……」


 まずは、今から使う分の水を井戸から汲んでこよう。呟き、ふと視線がかまどで止まった。


 釜が、仕掛けてある。


(そういえば、ごはんの準備も任されてるんだっけ。ごはん、残っているのかな)


 前任者がいないのでわからないが。


 食事のたびに、毎回炊いているとは考えられない。朝にまとめて一日分を炊いているはずだが、水がめのことがある。ひょっとして、夜ご飯分がなければ、大惨事だ。


 桔梗は柄杓を持ったまま、かまどにちかづく。


 不思議と。

 火の匂いがしない。


 炭の香りというか、火の気を感じない。ひょいと焚口たきぐちを覗き込んだ。


「……え?」


 おもわず声が漏れる。


 きれいなのだ。

 木っ端や炭どころか、灰さえない。きれいに掃き清められている。


「えー……。まさか、毎回こんな風に徹底的に掃除するわけ」


 なんだかうんざりしながら、米の残量を確かめようと蓋を上げた。


「……何これ」


 鼻先をかすめたのは、やっぱり気になる匂いだ。慌てて覗き込む。


 腐ってまではいないだろうが、釜の底にこびりつくようにして残る米は黄色く変色している。


 部分的には乾燥し、まるで干し飯状態のものもあった。


「ちょ……。ちょっと待って……」


 ごん、と蓋を乱雑に戻し、炊事場を見回す。米櫃こめびつと思しきものをみつけて駆け寄った。長方形のその櫃の蓋を勢いよく開く。


「……よかった……」


 肩から力が抜ける。同時に、土間に座り込んだ。


 ちゃんと、白米がそこには詰まっていた。多少目減りしているが、半分以上、ちゃんとあっる。


 てっきり材料がないせいで、こんな『数日さわっていない厨房』のようになっているのかとおもったのだ。


(村長も『材料は、城主様から預かっておるし、あの御方の領地からも送られてくる』と言ってたし……)


 なんらかの原因できっと桔梗の前の御役目の人は数日、ここに来れないことになったのだろう。そして、次の世話係として桔梗に白羽の矢が立った。


(その間、景親かげちかさまのご飯はどこかから取り寄せてたんでしょう)


 気が動転した反動で、なんだか笑いがこみあげてくる。


 そりゃそうだ。

 貴人がこんな腐ったような水や干し飯寸前のものなど口にはすまい。


「思っているより大変ね。掃除から始めなきゃ」


 よいしょ、と掛け声をかけて桔梗は立ち上がると、柄杓ひしゃくを振り振り、鼻歌を歌いながら井戸へと向かった。

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