第3話 蟄居の罪人

「なぁに、難しいことはなにひとつない。ここにお住いの御方に、三度ご飯をお出しし、ご不便のないようにお過ごしいただければいいのだ」


 佐平さへいと並び、門番の側に連れられて行く。

 開いた木戸をくぐろうとすると、すっと長槍がさえぎった。


「村長。こやつは何者だ」

 低い声で問われる。


「本日より、世良守せらのかみ様のお世話をさせていただきます娘です。桔梗ききょうと申します」


(世良守?)


 聞いたことがある。

 大鴉おおがらすたちがその名を口にしていなかったろうか。


 訝しんだ矢先、ぐいっと荒い手で頭を押さえられ、桔梗は前かがみにたたらを踏んだ。


 長槍の柄に捕まってなんとか転倒を防ぎ、その姿勢のまま首をもたげる。


 拍子に、目の端をなにかが光る。視線だけ動かすと、自分の頭を押さえつける佐平の手だ。ちりっと目を刺すのは、袖からのぞく手首。


 数珠だ。


(……水晶?)


 眉根を寄せる。

 佐平が信心深いのは知っている。いつも左手首に18粒の珠で作られた念珠を巻いているのも。


 だが。

 あれは、黒檀こくたんのものだったはずだ。


(水晶を入れるなんて……。ずいぶん豪気ごうきね。なにかもうけたのかな)


 陽光を反射する腕輪念珠を見ていたが、「娘っ」と武士に声を荒げられた。


「桔梗と申します」

「顔がよく見えぬ。頭巾ずきんをとれ」


 もうひとりの武士が命じるが、ゆっくりと首を横に振った。


「とてもお見せできる顔ではありません。お武家様方が悪夢にうかされるほどの容貌ですがいかがいたしましょう」


 一語一語、はっきりと言い放つ。


 案の定、ふたりはなんともいえぬ顔をし、犬でも払うように手を振った。入れ、ということらしい。


「わしらは中に入れぬゆえ。ここからは、お前ひとりで行け」


 佐平にどんっと背中を押され、桔梗は今度こそ転倒した。


 雑草など見当たらぬ地面に両手と膝をつき、痛みに顔をしかめると、軋み音を立てて木戸が閉まっていくのが見える。


「出るときはまた、声をかけるがよい。木戸を開けよう」


 歪みや破れも見当たらない木戸の向こうから武士たちの平坦な声が聞こえる。


「……はい」

 桔梗はため息とともに返事をこぼした。


 立ち上がり、膝についた土ぼこりを払う。なんだかやけに土が落ちるな、とおもったら、大根の間引きをした時についた泥が、乾いて剥がれているようだ。


(貴人に会うのに、これはまずいかな)


 さすがにそう思う。

 きょろきょろと周囲を見回すと、左手に観賞用の池がある。あそこでざっと洗おうかと迷ったが、それを見咎められ、『池を汚した』と言われて罰を受けてはかなわない。


 仕方なく、両手でばしばしと土を払い、それでよし、とした。


 そもそも、一部分だけきれいにしても、着物全体が小汚い。洗っているとはいえ、ほつれ、かすれ、つぎはぎだらけなのだ。


(使用人はほかにもいるだろうし。そこで何か言われたら、きちんとしよう)


 このときはまだ使と考えていた。


 桔梗は気楽に玄関口へと歩み寄る。

 格子戸を開き、首だけまず、差し入れた。


 三和土たたきがある。

 右手には透かしの入った衝立ついたてが見えるが、どうやらその奥が炊事場のようだ。

 顔を前に向ける。


 上がりかまちが見えた。履物はなにもない。


(……く、暗いな……)


 薄暗さに気後れした。


 上がり框から、すっと奥に一本伸びているのは廊下だ。

 その廊下を挟んで右手には襖が、左手には雨戸がずらりと並んでいた。


 ちらり、と背後をみやる。


 晴天だ。

 数日前に雨が降って以降、どんどん秋が深まっており、透明度の高い日の光がさんさんと庭に降り注いでいる。


 そっと。

 再び屋内に顔を転じる。


 暗い。

 曇天どころか、雪雲の下のようだ。


(なんで、雨戸をあけないのかな)


 訝しく思いながらも、桔梗は口を開く。


「こんにちは。下働きを命じられた者です」


 いるであろう使用人に対して告げる。

 だが、返事はない。

 小首をかしげながら、そっとたたきに足を踏み入れ、耳をそばだてる。


「……こんにちは?」

 思わず語尾があがった。いまだ返事がない。物音もしない。


「あのー……。本日より下働きを命じられました、桔梗と申します。あのー。どなたか」


 いらっしゃいませんか、と続けようとした桔梗の口を封じたのは、低い、だが、耳さわりのよい声だった。


「入るがよい。わたし以外、誰もおらぬから遠慮はいらぬ」


 落ち着いた声音だった。


 わたし以外誰もおらぬ、ということは。

 この声の主は、罪人の夜叉と呼ばれる男だろうか。


 桔梗はまばたきを数度繰り返し、耳を澄ます。


 自分は騙されているのではないのか。


 ひょっとして、遠慮はいらぬと言われてあっさり入室すると、なたで首を切られて食われるのでは。なにしろ、夜叉だし。


 ちょっとした物音も聞き逃すまいとじっとうかがっていると、声の主が、くすりと笑ったようだった。


「なにも取って食いはせぬ。桔梗とやら、安心して上がってくるがいい」


 くつくつと。

 まだ笑いの余韻をにじませて、声の主は桔梗を促す。


 咄嗟に頬に血が上る。

 恥ずかしい。自分の考えなどお見通しだったらしい。


「し、失礼つかまつります……」


 ごにょごにょと言いながら、桔梗は草履を脱ぎ、上がり框に足をかける。


 薄暗い室内でも、自分の足が埃まみれであることに気づいて戸惑った。


 足を洗う方がいいのではないのか。

 そう思ったが、桶など見当たらないし、声の主の言が正しいのであれば、ここには使用人などいない。


 桔梗はふところに入れていた手拭いでざっと足を拭い、屋内に入る。


「一番奥まで進むがいい」


 廊下を歩く音に気付いたのだろう。声の主が気安く命じる。


 桔梗は、金粉、銀粉を使った豪華な襖にただただ目を奪われながらも、奥へと歩く。


「そこだ」


 六つ目の襖の向こうから、柔らかな声音が聞こえた。


 ぺたり、と桔梗は廊下に両膝をつけた。

 着物を通じて板ばりの冷えが伝わる。


 襖の把手に手を伸ばし、失礼します、と声をかけながら、ゆっくりと横に引く。


 ひいてから。

 驚いた。


 目の前に格子こうしがあるのだ。


 六畳ほどの畳敷きの部屋だ。

 その三分の一を仕切るあたりに、立派な角材で作った格子がはめられている。


 じじ、と音がするのでみやると、部屋の北と南に置かれた行燈あんどんのひとつが消えたようだ。


 ぷん、と油の匂いがいして、見る間に明度を落とす。


「これは失礼を……」


 てっきり自分が襖を開いて、空気が動いたから行燈を消したと思い、平伏する。


「なぁに、油が切れたのだ。済まぬが足してくれぬか?」


 のんびりとした声にいざなわれて顔を上げる。


 格子の向こうには。

 貴人がいた。


 脇息きょうそくにもたれかかった、白皙の頬をした青年だ。


 薄暗い室内でもはっきりとわかる目鼻立ちに、直垂ひたたれ越しにも見て取れるがっしりとした体格。長く艶やかな黒髪は緩く束ねて左肩に垂らしていた。


 今は座っているからそうでもないが、立ち上がればかなりの偉丈夫いじょうぶなのではないだろうか。


 なんと美しい男だろう。


 呆気に取られて桔梗は見つめ続ける。

 同じ種族とは思えない。


 だらしなく脇息にもたれかかり、足を崩しているというのに、それもまた絵になる。


 夜叉とは。

 かくも美しいのか。


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