第2話 都から来た夜叉という男

 そして。

 佐平さへい弥吉やきちに連れてこられたのは、村の一軒家だった。


(世話をするって……。この家の住人?)


 村はずれではあるが、山に住む桔梗ききょうからすれば、自分の家からそう遠くはない。

 世話をしに毎日伺うとしても、苦ではない。


 だが。

 そんな立地と通いやすさの問題ではない。


 桔梗は、ごくりとつばを飲み込む。

 ここは城主様が来た時にのみ使用される建屋のはずだ。


「……まさか、ここ、ですか?」

 先を歩くふたりに、おもわず声をかけてしまう。


『とある人の、世話をお前に頼みたいのだ』


 佐平に頼まれ、桔梗はうなずいた。もとより「否」など言えようはずがない。


 ふたりの後ろをついて山を下りながらも、「彼らの身内だろうか」と、考えていた。


 弥吉は確か妻を貰ったばかりだ。

 ひょっとしたら、子ができて悪阻つわりがひどいのかもしれない。そこで家事を行う労働力が欲しいのだろうか。


 あるいは村の中に誰か介護を必要とする高齢者でもいるのだろうか。その下の世話なのかもしれない。


 そんな予想は。

 あっさりと裏切られる。


 村長親子の足は、村の中央部には向かわなかった。

 桔梗が連れてこられたのは、貴人が使用する建物だ。


「ここにいるのは、城主様ではない」


 振り返った佐平がきっぱりと首を横に振った。

 桔梗は戸惑いながら、そんな彼の顔と、建物を交互に見やる。


 貴人が使用するとはいえ、都市部のような造りではない。

 かといって里によくあるような、屋根に重しを載せた、そんな建物ではなかった。


 ふんだんに藁を使用した大きな屋根に、綺麗に塗り固められた壁。

 返しのついた塀が建物を取り囲んでいるせいで見えないが、その内部には野趣あふれる庭があるのだという。


 城主や。

 それにまつわる貴人以外、いったい、誰がこの家を使用するというのだ。


「では、誰が」

「罪人だ」


 あっさりと弥吉が答える。


「罪人……?」

 オウム返しに問い、桔梗はぽかんと口を開いた。


おそれ多くも天子様の御代みよを転覆しようとした大罪人だ」


 勢いよく、そして妙な正義感にうかされた眼で弥吉は建物を睨んでいる。


 桔梗は薄ら寒さを覚えて、彼から顔をそむけた。彼の中にある狂気を見つけたようで、じり、と後ずさりする。


「まだ、そうと決まったわけではない。めったなことを申すな」


 取りつくろって声を張るのは佐平だ。

 しきりに気にしているのは、建屋の入り口を警備するふたりの武士らしい。息子の不用意な発言をかき消すように大声を上げた。


沙汰さたが決まるまで、城主の的場まとば様お預かりとなっておるのだ。おって、都から使者が参るだろう」


 天子様の御代を転覆。

 罪人。

 都から使者が来る。


 ふと、ひと月前に出会った山伏の大鴉おおがらすが言っていたのを思い出す。


『都じゃ、ハチの巣をつついたような騒ぎになっているぜ』


 くくく、と人の悪い顔で大鴉は嗤った。それに他の山伏たちも続く。


 彼等は、薬草や煎じ薬の販売を桔梗が受け継いだと知り、祖父のころと変わらず付き合いをしてくれている。墓石もなく弔った祖父に経を読んでくれたのも山伏たちだ。


 桔梗にとっては、里の者より断然親しい男たち。


 そんな彼らは定住しない。

 諸国の山々を修行という名目で渡り歩いている。その土地土地で依頼されれば加持祈祷も行い、珍しい薬品を売り歩いたりして得た利益で日々の生計を立てているが。


 彼らが取り扱う商品の中で、最も高値のものといえば。


 情報だ。


 修行という名の下でなんの手続きもなく国に入り込み、加持祈祷かじきとうだという大義名分のもと、貴人や武人の個人情報に触れる。


 彼らは。


 こっそりと。

 その情報を〝必要とするもの〟に、売り渡すのだ。


 大金で。


 そんな彼らが言うには。

 ことの発端ほったんは、妃の死産なのだそうだ。


 流産ではなく、死産。

 かつ、子は男児であったため、御所ごしょ内は悲しみよりも怒りに満ちた。


 きっと、誰かが妃を呪ったのだ。呪詛したのだ、と。


 幾人もの女房にょぼうや下級役人が無罪を訴えながら処刑され、その人数は日を追うごとに増えてゆく。


『人間、疑心暗鬼になったらおそろしいもんだなぁ。自分に濡れ衣がかかるまえに、他人を貶め始めたぜ』

『おれっちも、そんな依頼を受けたな』

『ああ。あれだろ。噂を流してくれってやつだろ』

『自分に火の粉がふりかからぬようにな』


 あさましい、あさましい、と他人事のように山伏たちは嗤いあった。


『ありゃあ、長くねぇな』

 大鴉の言うそれが、何を指すのかはわからない。


『いや、まだわからんぜ。光条こうじょう親王の意見を聞く耳があるなら、まだ望みはあるな』

『ないない。最近では、光条親王の右腕である世良守せらのかみさえうとんじておるときく』


 山伏たちはその後、ひとしきり会話した後、『では賭けをしようじゃないか』と盛り上がっていた。


 この御代みよは、いつまで続くのか、と。


「まぁ、お前のような下賤げせんなものは知らぬだろうがな」

 居丈高に弥吉は桔梗を見下ろした。


「都では、天子様の御子みこ呪詛じゅそし、御代をひっくり返そうとするやからがおったのだ」


 知っている、と桔梗は思いながらも黙っている。


「その悪党のひとりよ。戦場では、〝夜叉〟と恐れられた男だ」


 親指を立て、建物を指さすから、佐平は慌てて武士たちから息子の姿を隠した。


「その方の世話を、私がすればいいんですか?」


 ちらちらと門番の様子を伺う佐平に、桔梗は尋ねる。


「そうだ。主に食事の用意を頼みたい。厨房があるから、そこで三度の食事を作ってくれ。材料は、城主様から預かっておるし、あの御方の領地からも送られてくる。引き受けてくれるのなら、むこう二年間、農繁期の手伝いを免除してやってもいいぞ」


 破格の報償だ。

 目を見開くと同時に、それほど危険なのではないか、と不安になる。


 なにしろ通り名が夜叉、だ。


 蓬髪ほうはつで目を爛々と輝かせた大男が、なたを振り上げて「がおう!」と吠えている姿を頭の中で想像し、ぞわりと総毛だたせる。


 だが、山伏たちの情報が正しいのなら、ここに来ている罪人というのは、「無実の罪を着せられた人間」か、「進言しんげんをして疎んじられた誰か」ということになる。


(……悪い人、というわけではないんじゃないかしら)


 少なくとも、心を病んで誰が敵で誰が味方か見えなくなっている天子や、妙な正義感に浮かされた弥吉より安全な人間に思う。


 桔梗は、戸惑いながらも、こっくりと頷いた。


「引き受けます」


 もとより、拒否権など桔梗にはないのだ。

 よし、とばかりに佐平は手を打ち鳴らすと、桔梗の背を押して再び歩き出す。

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