カルドラナ神殿の悲劇

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カルドラナ神殿の悲劇




 彼女は、最悪の聖女なのだ。


 目の前で甘ったるくふわふわ揺れる長い金糸の髪に、私は眉をつり上げた。

「違うのよ、ディアンナ。私はね、別に頼んだわけではないの。でも、オウディール公爵がぜひともってくださるなら、お断りするのも失礼でしょ? だから、だからなのよ。ね? でもこれ、今日の白いドレスにとっても似合わない?」

 言い訳を紡ぐなら、もう少し申し訳なさを持続させてほしい。仕方なしを装った舌の根も乾かぬうちに、満面の笑みで示す胸元には、豪奢な首飾りがさがっていた。目も眩むようなエメラルド、真紅のルビーに煌めくダイヤ。たった一粒で私の一年分の生活はゆうに支えられそうな大きな宝石たちが、これまた華やかな金装飾のうちにはめ込まれて、聖女の首元を彩っている。


 彼女にでれでれのオウディール公爵の貢ぎ物だ。さも大事そうに身に着けているのはせいぜい半月。もって一月。飽きっぽい彼女はすぐにそれがいらなくなって、どこかへ売り飛ばしてしまう。その金は、いまのところは彼女の一番の関心事項である新たな神殿――もとい、彼女の広大な別邸建設のために注ぎ込まれる。


『山をね、超えた所に、お花畑が綺麗なすっごく素敵な場所を見つけたの~。隠れ谷みたいなところで、山と谷の入り組んだ場所にあってね、ちょっと行きづらいんだけど、そこへのね、道も作らせるの。誰でも来れちゃうとゆっくりできないから、秘密の通路で地下に作るの~。ロマンチックでしょ』


 うきうきと打ち明けられた時は、どこから突っ込めばいいのか分からなかった。彼女の側付きの侍女として仕えて幾数年、そんなことばっかりだ。

 ふわんふわんと間延びした空気で、周囲の敵意と悪意を飲み込みながら、気づけば我が儘放題、やりたい放題。

 それなのに、彼女はこの世の民を導く〈光の聖女〉様なのだ。


「ラドルアンもそう思うわよね? これ、とっても私に似合うでしょう?」

 そうくるくると花のようにドレスの裾を舞わせて、わざとらしい可愛らしさで彼女は近くに控えるお気に入りの美男子に小首を傾げた。

「ええ、とてもお似合いですよ」

 そう、黒髪の美青年はにこやかに微笑む。すらりと背が高く、鍛えられた体躯。なにより整いきった顔かたち。このカルドラナ神殿護衛騎士団の長を務める彼は、あるじたる聖女にことのほか甘い。二つ返事で、そうですね、と頷いて歓心を買うのだ。


 彼女の周りはそうした聖女に心酔してるか、骨抜きにされているか、惚れこんでいる人間ばかりで、おかげさまで彼女はのびのび権勢を誇っているのである。

 私は実務能力と伝令魔法の力を見込まれて、聖女のお世話兼、右筆ゆうひつの役目を担ってカルドラナ神殿に勤めるようになったのだが、このような惨状が広がっているとは思っていなかった。


 カルドラナ神殿は、聖地のひとつにして、北方大陸の要地。こと、魔王軍の侵攻が世人の不安を駆り立てる今の世にあっては、信仰の点でも、軍事の点でも、民の心の拠り所となる場所だった。

 だから私もここに足を運び入れるまでは、荘厳な雰囲気に支配され、聡明なる〈光の聖女〉様によって統率されているのだと思っていた。憧れてさえいた。それが、ふたを開けてみればふわんふわんと浮かれた女性が、お花畑を築き上げていた。

 眉なんて、いくらでもつり上がるというものだ。


「のん気な戯言もそこまでにしておいてください。報告書の整理が溜まりに溜まっているのですよ。魔王軍の進撃は苛烈を極めているというのに、宝石にはしゃいでる場合ですか」

「大丈夫よ~。だって、勇者様が頑張ってくださっているって報告が、前にあったじゃない? もうじきこの神殿に、大事な聖石せいせきを取りにいらっしゃるって。そうしたらあっという間に魔王軍なんて蹴散らしてくれるわ。きゃ、かっこいい! お近づきになっておかなくちゃ」

 まったく深刻さの感じられない調子で、可愛らしい声音ははしゃぐ。


 言ってることの無神経さと、やってることの我が儘さを捨て置けば、なるほど聖女様は可愛らしく、そして美しくもある人だ。白い肌、愛らしい薄紅の唇と頬、か細い手足にふわふわの陽だまりのような金色の髪。そして、蕩けるように甘い空色の瞳。その姿形と〈光の聖女〉の肩書に、うっかり騙されてしまう者が続出してしまうのも、しょうがないのかもしれない。

(でも……私だけは違うから……!)


 ディアンナが怖いわ、と切なげに訴えながら、ラドルアンにしなだれかかる聖女様を睨みつける。

「報告書! さっさと読んで、お仕事をなさって! 祈りの時間ももうすぐですからね!」

「あれ、とっても肩がこるの。今日はやめにしちゃ、だめ?」

 潤んだ上目遣いが私に効くとお思いなのか、このお方は。ばっさりと、私は言い放ってやった。


「駄目です! さっきも言いましたけど、魔王軍が勢いづいてるんですよ? ここの守りを貴女の祈りで強化するのも大事なお仕事です! 勇者様より先に魔王軍が来たら、どうするつもりなんですか!」

「その時はぁ、ラドルアンや騎士団のみんなが、なんとかしてくれるもの。ね? ラドルアン」

「この命に代えましても」

「ほら! ね?」

「『ね!』じゃ、ありません!」


 相変わらず笑顔以外を向けない色男から私は聖女を引っ張りはがした。ラドルアンもラドルアンだ。軽々しく『命に代えて』などと、ご機嫌取りでもいうものではない。彼女はおそらく本気にしてる。もしくは、言質をとったぐらいの気にはなっている。


 彼女は言っていたのだ。いつだったか。己に惚れ惚れとした敬愛を向ける騎士たちに、蠱惑的な笑みともに手を振ったのを目撃したあとのことだった。誰かれ構わず軽率に愛想を振りまいてその気にさせていると御身の破滅を招きますよ、と忠言さし上げたことがある。すると彼女はきょとんと眼を瞬かせて、私の言葉を一笑に伏した。


『そんなことにならないわよ、ディアンナ。だってみんな、私のためなら死ねるんだもの。私が『死ね』といえば、彼ら死んでもいいって心から思ってるの。――私、分かるのよ? だから、ね。せめてものはなむけに、少しはいい思い出をあげないとでしょ?』


 ――とんでもなく、傲慢な発言を聞いてしまったと思ったものだ。けど、あながち彼女の思い違いでないのが、余計に困る。

(〈光の聖女〉って、なんか怪しげな人身篭絡の術でも持ってんのかしら?)

 そんなわけはないのだが、疑わずにはいられない。苛立つ気持ちを持て余しながら、めそめそ泣きごという聖女様を私は執務机へと引きずっていった。





 +






 うわさだけを聞いて怯えていた頃は、まだ平和だったのだ。そう思い知らされることになったのは、魔王軍の足音がカルドラナ神殿領へ踏み入ったと報せが入ってからだった。


 重苦しく張り詰めた空気を切り裂いて、私は走る。私は、聖女様を探していた。


 神殿のあちこちで軍備を整える物々しい騒ぎが響きわたっている。軍役につく者以外は退避しろと指示が駆けまわり、文官たちも嘆くのに、逃げるのに、慌ただしい。

 けれど、その喧噪の中に、聖女様の姿はどこにもなかった。神殿の中の、彼女のいそうな場所はことごとく見て回った。


 中庭の花畑、衛兵たちの休憩所、侍女たちが無駄話に花を咲かせる炊事場脇の小部屋に、領地の人々の暮らしを見つめられる塔の上――。どこも、彼女が大好きだといっていた場所ばかり。いつもそこで、誰かを見つめながら、語らいながら、仕事をさばっていた場所ばかり。でも、どこにもいなかった。


 最後はもう、ここしかない。――そう思って辿り着いたのは、彼女が嫌っていた礼拝堂。

 壮麗な彫刻細工のある扉を開け放つ。果たしてそこに、彼女はいた。


「あら、ディアンナ。来てくれたのね~」

 ふわふわと金色の髪を躍らせて彼女は振り返る。傍らにはラドルアンの姿もあった。

「ちょうど良かったわ。あなたに頼みたいことがあったの」

 いつもと変わらない、おっとりとした声で彼女は私へ微笑みかけた。

「勇者様が、近くまで来ているそうよ。聖石の場所と封印の解き方を書状にしたためたの。あなたほど綺麗な字では書けてないけど、届けてちょうだい。あなたの魔法なら、確実に届けられるから」


 そう蝋を落とした封書を手渡される。待ってほしい。どうか――待ってほしい。確かに私の魔法は伝令のためのもの。この身を風の一陣と変えて、空を駆け抜け、手紙を届ける。けれど、こんな大事なこと書面なんかでなく、聖女様の口から伝えればいい。あんなに勇者様に会うのを楽しみにしていたくせに。

 ――そう返したくても、言葉がつかえて出て来てくれなかった。

 思わず、顔を伏せた私の気持ちをきっと分かって。それなのに、彼女は優しく私の手を取りながら、甘い音色で冷たいことをいう。


「それでね、書状を届けたら、ここに戻ってはだめよ? ほら、先月出来たばかりの私が作ってた別荘! じゃなかった、新しい神殿! お花畑つきのところ! あそこに行ってね。隠れ谷にあるから、もしここが崩されても、そう簡単に見つからずに籠っていられると思うの」

「領民たちはすでに秘密の通路でそちらに退避済です。聖女様が食料の貯蓄も存分に手配してくださっておりましたので、しばらくはみなで困らず過ごせるはずです」

 そうラドルアンも優しく請け合う。

 彼女に貢がれた品々は、売り飛ばされて、民を守る隠れ砦の糧となっていた。――知っていた。分かっていた。でも私は――そうでなければいいと思っていたのだ。


「……聖女様は、民とともに赴かれないのですか……?」

「私? 私はだめよ」

 一抹の願いは、そういつものおっとりとした口調で切って捨てられる。

「だって、私、騎士団のみなさまに『私を守って死になさい』といったのだもの。だからここにいて、守られないと。守る相手がいないのに、死ぬことはできないでしょ? ね? ラドルアン」

 にこにこと花咲く笑みで朗らかに、彼女は隣に控える騎士を見つめ上げた。

「この命に代えましても」

 そうラドルアンもいつもと変わらず微笑んで、頭を垂れる。絶対の忠誠。揺ぎ無い覚悟。穏やかに微笑み、彼女の隣に立ち、ずっとその狂気めいた忠義を携え続けていた。

 それだって――本当は私は分かっていたのだ。でもそれも、嘘であればいいと思っていた。


 能天気に、考え無しに、我が身惜しさに逃げ出してほしい。薄っぺらい聖女と、その薄っぺらい騎士団長であってくれたなら、いま、こんなにも胸が苦しくなんてならなかったのに。だから、そうであればいいと――いつかを恐れてずっと目をつぶっていた。彼女たちが作ってくれていた、気の抜けるほどのんびりとしたお花畑の雰囲気に甘えていたのは、私の方なのだ。


「書状、お願いね、ディアンナ。大丈夫! ラドルアンたち騎士団が命を懸けてくれるんだもの。私、きちんと守り抜かれて、あなたと別荘でのんびり過ごせるかもしれないわぁ」

 別れの瞬間まで、そうなごやかに間延びした空気で私を包み込んで、聖女様は私を笑顔で抱きしめてくれた。






 +






 カルドラナ神殿が魔王軍に攻め込まれた防衛戦は、のち世に〈カルドラナ神殿の悲劇〉として伝えられた。

 聡明なる〈光の聖女〉の防衛策により、領民や文官たちの命は守られた。けれど、神殿において魔王軍を迎え撃った騎士団は全滅。神殿に残り、騎士団たちに加護を与え、彼らを鼓舞し続けた〈光の聖女〉も魔王軍の手にかかって命を落とした。


 圧倒的な数量差、魔力量差を押してなお、騎士団は善戦したという。命を賭して、神殿と聖女を守ろうとした彼らの働きは、無駄にはならなかった。

 魔王軍の目的は勇者に力与える聖石の簒奪、および破壊。けれど、それを成し得る前に勇者一行が神殿へと到達し、魔王軍をうち破った。その時には魔王軍は戦力の大半を失った状態であったという。騎士団の防戦が時間を稼ぎ、戦力を削ぎ、勇者たちへ勝機を運んだのだ。


 〈光の聖女〉は、聖石の封印場所を守って、息絶えたという。己に刃を振り上げる魔王軍に恐れ怯むことなく、凛と顔上げたまま――彼女の亡骸を目にした勇者が語ったことだ。その姿は死してなお神々しく、勇者一行を鼓舞することになったという。 


 そしてまた、魔王軍を前に決して屈しなかったその最期は、伝え聞いた人々に魔王軍と戦い、抗い続ける力を与えた。

 神殿の惨劇は皮肉なことに、その凄惨な戦いぶりと聖女たちの死をもって、世の人々を奮い立たせた。


 そう、私の仕えたほわほわの彼女は、まさしく魔王軍に怯える世人に勇気を与える光となったのだ。さすがは〈光の聖女〉様。誰もがその輝かしき死を湛え、涙し、尊んでいる。いまも、きっとこの先も――彼女は美しい悲劇の光となる。


(でも、私は……――)


 〈光の聖女〉である彼女なんて、知りたくなかった。

 間延びしたちょっといらっと来る言動、我が儘な態度、ほわほわとした間抜けな空気。それが、私だけに心許してくれたような、素の姿のようで好きだった。もしかしたらそうやって、誰もが彼女に特別な『私だけ』をもらっていて、愛してしまっていたのかもしれないが。そんなことはもはや関係ない。


(ただ、私は……貴女が好きでした)

 この世の人々すべてを――その悲劇とともに照らし、息づく光ではなくても。

(最悪の駄目聖女であってくれて……良かったのに)

 たとえそうであっても、彼女は私にとって眩く柔らかな光だったから。


(世人すべてを照らせる光なんて、強すぎて――)

 焼き焦がされそうだ。どうして、私だけの腑抜けた光であってくれなかったのだろう。

(やっぱり貴女は……――)


 私にとっては、最悪の聖女様だ。












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