1-1

 その日、アネッサは不貞腐れていた。

理由など分かってる。

3日ほど前からここに泊まっている、中々ハンサムな旅人に、心が欲しいとねだったのに、まるで子どもを相手にするかの如くあしらわれてしまったからである。


「あんっの、乙女心のわからない朴念仁め! こんな美少女のお誘いを無碍にするなんて! あたしが誰なのか知らないのかしら? ええ、きっと知らないのよ!」


 宿の店番を任され、カウンターで肘をつきながらぶっすうと頬をふくらませる。


「荒れてるね、アネッサ」

「あら、いらっしゃい。オリバー」

「お邪魔するよ。女将さんは?」

「今は買い出しよ。おやつ時には戻るはずよ」

「そうか。それならまた出直すとするかな」


 出直すと言いながら、彼、オリバーはカウンター前の椅子に腰掛ける。

旅人さんほど浮世離れした美貌は持っていないにしろ、オリバーも中々いい感じの男だと、アネッサは思う。

適度に日焼けした肌は健康的だし、太り過ぎでも痩せ過ぎでもない。

なにより頬に広がるソバカスがキュート。


(彼、よくここに居座るのよね。あたしのことが好きなのかしら)


 自惚れは健在である。

彼女は自身の自惚れに気がついていないが、それも致し方ない部分もある。

事実、彼女の見目に惹かれて告白する男は後を絶たない。


「オリバー、あなたこの後暇かしら?」

「女将さんに用事があるだけだから、暇といえば暇だよ。どうして?」

「2人で抜け出さない? デートしてあげてもいいわよ」

「それは光栄だ。でも店番を放り出して、女将さんのお怒りを食らうのは君じゃないのか?」

「ちょっとくらい、バレないわよ。どうせ昼時。食事の提供も朝夕以外しないし、お客さんなんてだーれも来ないわ」

「悪い人だね」

「たまには不良になりたいの」


 目と目が合う。

キュートなソバカスがにやりと、悪く吊り上がる。


「いいよ、行こうか」

「普通のデートには飽き飽きしてるの。たまには刺激的な体験をしたいわ」

「そういうことなら、うってつけの場所があるよ」


 エプロンを畳んでカウンターに置く。

手と手を取り合い飛び出した町には、変わらない潮風が流れている。


 代わり映えのない海の景色。

代わり映えのしない顔ぶれ、面々。

飽き飽きしちゃう。毎日が平坦すぎて。


「ねえ、オリバー。どこに行くの?」

「君が言った、刺激的な場所さ。もう少しで着くよ」

「ふぅん」


 あまりにも変わらない光景に、本当に刺激的な場所なんてあるのか、そう疑問に思い始める。

だってここは港の近く。生活範囲のど真ん中。

 毎日、飽きるほど往復して、知らない場所がないほどに知り尽くしているそこは、彼女にとってはホームに近しい。

そこは刺激的な場所足り得ない。


「ねえ、オリバー。本当にあなた、どこに行こうと言うの?」

「せっかちだね。お楽しみは焦れた頃合いが一番楽しいというのに」

「あたし、刺激的なデートはしたいけど、気が長い方ではないの」


 つん、と鼻の先を空に突き上げれば、聞こえてくるのは苦笑の空気。

困ったように眉を下げて、ソバカスを歪めて笑う、オリバーの姿。


「はいはい。魅力的なお姫様は、ワガママであると相場が決まっているものね」

「分かっているじゃない。そうよ、あたしはワガママなの。いくつも向こうにある、リガルドにいるお姫様も、きっと同じくらいワガママなんだわ」

「そうかな? 聖女様なんて言われているお姫様だよ? きっとこんなに可愛らしいワガママを言う人ではないと思うけど?」

「男の子って、ほんと夢見がちね! 女は顔をいくつも使い分けるものなの! それが女の魅力に繋がるのよ!」


 もちろん、あたしほど可愛くワガママを使い分けられる女の子は、そうそういないと思うけど!

 アネッサが胸を張って声高に語る。

やはり返ってくるのは苦笑の息。


「アネッサ、到着したよ。『刺激的な場所』に」

「なぁに? ここ。路地裏よね? まさか冒険心くすぐられる少年のような扱いを、このあたしにするわけではないでしょうね?」


 オリバーはくすりと笑う。

ソバカスは、嫌な歪み方をした。


「……いいや。御所望の『刺激的な体験』は、これからさ」

「え? それってどういう」


 ガッ!

彼女が言い切る前に聞こえてきたのは、硬いもので肉を殴る音。

たくさんの布に、非常に重い重りを付けて、少しの距離を落下させたような、そんな音が路地裏に響く。


 その場には頭から血を流し倒れ伏すアネッサ。

オリバーのソバカスは、元の形が隠れるほど醜悪に歪み、彼女を見下ろしている。

彼の手には、片手に収まる小型の鈍器。

彼の向く先、路地裏の奥。

一人、また一人と、人は増え、アネッサの四肢を掴み、路地の奥へと消えていった。

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