聖女は処刑台に嗤う

宇波

旅路

港町アレフにて

【宿屋の女将アネッサ】の証言

「リガルド王国の話ぃ? ああ、そんな国もあったわねぇ」


 日が高く昇りきった真昼間。

宿を利用している出稼ぎの客も、異国情緒に浪漫を求める観光客も出払い、女将と厨房の料理人が動く音しか聞こえなくなった宿屋にて。


 朝飯を利用してた客の片付けに精を出し、机を拭いている女将を見ながら、遅めのモーニングでコーヒーを飲む。


 Q.やはりそのような認識なんですね?


「そりゃ、まぁ。どうせ3つだか4つだか離れたところの国さね。その日生きるのに精一杯だったから、あんまり興味もなかったねぇ」


 Q.今は忙しそうですけど、随分余裕がありそうですね。下世話な話ですみません。懐具合の話ですよ?


「あっはっはっ。東から来た商人なんて、もっとあけすけに嫌らしく聞いてくることもあるからねぇ! そんな問いかけ、可愛いくらいさ」


 Q.恐縮です。それなら、リガルド王国自体ではなく、そこに住む人ならどうでしょう? リガルド王国から来ていた、旅人さんなど、いませんでしたか?


「うーん……。あんまりいなかったねぇ。リガルドから出稼ぎに来ていたような奴も、少なくともあたしは知らないし」


 女将は首をかしげ、記憶を捻り出しているようだった。

やがて、そういえば、と何かを思い出したように、両手を大きく打ち鳴らす。

あまりの唐突さに、料理人がびっくり肩を揺らした。


「いたいたいた! 面白いお兄さんがうちを利用したこと、あったよ!」


 Q.面白いお兄さん、ですか。


「そうそう。ざんばら頭の白銀髪、仮面の旅人さ! うちを使ったのは5日くらいだったけど、まあ、あんまり来ない国の人間ってことと、やっぱり風貌さね。随分特徴があったから、覚えていたわ」


 Q.その人は、何年ほど前に?


「いやもう、あたしがものすっごい若かったときよ! 王国が滅んだのって何十年前じゃないか! 何十年前の花盛り。見た目だけは良かったからねぇ、モテにモテて、鼻高々に勘違いしてた時代だよ!」


 女将は豪快に笑う。

なるほど、人間的に好ましい人だ。

モテていたというのも、強ち間違いでもないのだろう。


「物珍しい旅人さん。身なりはざっくばらんに頓着していない風だったけど、上背は高いし、鍛えていたのか細身だけどいい腕してたし。それに、顔も整っているような雰囲気あってねぇ。仮面で見えなかったけど、まあ、若い頃の憧れみたいなやつ? あの時は自惚れ屋でねぇ。落とせない男はいないって、本気で思ってたんだよ」


 女将は恥ずかしさを誤魔化すためか、少し強めに自身の頭を叩く。


「だからあたし、言ってやったのさ。『旅人さん。どうぞあたしの花を貰ってくださいな。そのお心をくださいな』ってね!」


 Q.あたしの花? 心をください? って、どういう意味でしょうか。


「今の子は分からないか。そうさね、何十年前の歌劇から流行った言い回しだからねぇ」


 女将はきょろきょろ辺りを見渡し、そして声を潜めて内緒話をするように、身を屈めて話す。


「あたしの花って、女の初めての事だよ。一晩寝てください。そしてあたしを好きになって、って。お誘いの文句で流行ったんだ」


 Q.おぉっと。……おっと……。


「あはははは! 若い子にはすこぉし刺激が強かったかねぇ!」


 笑い方が豪快なこの女将が、昔モテていたという事実は、まぁ察することができるが。

しかし彼女にも乙女の時代があったとは、非常に非常に驚きの一言である。


「でも、あたしってばとんだ自惚れ屋。だって、よくよく考えれば、コブ付き物件なんて心に決めた人がいるのにね。当然、彼は靡いてはくれなかった」


 あたしの初恋だったんだよ。

そう懐かしそうに女将は呟く。


 Q.コブ付き。その人には子どもが?


「きっと相手は異国の女だよ。ここらじゃ滅多に見ない、見事な黒い髪の子どもだった」


 Q.黒い髪はやはり珍しいんですね。


「そりゃ、この辺は金とか、グレーとか。色素濃くても赤毛とかの髪しか見ないだろ? もっと東の国に行けば、黒髪しかいない国もあるらしいけどねぇ。あたしは生まれてこの方、一回だってこの街を出たことはないね!」


 Q.出ようと思ったことは?


「なんだかんだで、一回しかないね。それも、全く出ずに終わったけど。あの旅人さんを追ってねぇ、押しかけ女房する気満々だったんだよ」


 Q.そこまで惚れ込んでたんですね。


「若いときの熱量は、ホントに怖いもんさね。あんたも、のめり込む恋愛には、注意しなよ」


 Q.肝に銘じます。……ちなみに、その人の名前って伺っても?


「えぇ? いや、恥ずかしいね。なんてそんなことを聞きたいのかも分からないけどさ。ま、いいか。ただ、悪いね。もう姿くらいしか思い出せなくてねぇ。なんだったかな……」


 女将が首を捻る。

飲みかけでぬるくなったコーヒーで、乾いた口を潤すこと数分。

突然、彼女は思い出した! と大声を上げた。


「あぁ、よかった。思い出したよ! あの人の名前はねぇ」


 女将は嬉しそうに声を上げる。

窓から見える海鳥が、子どもに追いかけられて一斉に飛び立った。


「テオ!」

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