ロフストランドの女神様

下東 良雄

ボクの夢

 ボクは人形。

 自ら動くことのできない人形。

 すべてが真っ白な空間。

 壁に寄り掛かって、じっとしている。


 そんなボクの前に美しい女神様が現れた。

 輝く金髪に、ルビーとエメラルドが飾られた白銀のティアラ。

 先端にサファイアが埋め込まれたロッドを手にしている。

 夏の青空よりも深いスカイブルーの瞳。

 透き通るような白い肌に、スレンダーな身体。

 それを隠す純白の衣は、薄っすらと光を放っているように見えた。


「こんにちは、ススムくん」


 ボクの名前を知っていた。

 さすがは女神様だ。


「私は女神イシター」


 イシター! 聞いたことがある!


「神の国であるロフストランドからやってきました」


 そんな名前の国があるんだね!


「いつもいい子にしているススムくんに、願い事を叶えてあげましょう」


 人形であるボクに?

 なんでもいいのかな?


「もちろんですよ。ススムくんにチートな力を授けます」


 ニッコリと優しく微笑む女神イシター。

 ボクには夢がある。

 いつかあの光の下へ行ってみたいんだ。


 女神イシターは、その光へと視線を向けた。

 大した距離じゃない。

 ほんの数十メートル。

 でも、動けないボクにとっては無限大とも言える距離。

 すぐそこなのに、果てしなく遠い。


「それでは、ススムくんが動けるようになるチートを――」

「女神様」


 ボクは女神イシターの言葉を遮った。


「女神様、ボクにチートはいりません」

「いらないのですか?」

「はい」

「人形であるあなたは、チートがなければあの光の下には行けません」

「そんなことはない!」


 叫ぶボクに女神イシターは驚く。


「きっと……きっとあの光の下へ行ってみせます!」

「それではススムくん。私に何を求めますか?」

「応援してください」

「応援?」

「はい、女神様の応援さえあれば、人形のボクも光の下へ行けます!」

「チートはいらないと……」

「ボク自身の力で行かないと意味がないのです!」

「……あなたは本当に行くことができると、そう思っていますか?」

「もちろんです!」


 ボクの答えに、女神イシターはこれ以上ない程の微笑みを浮かべる。


「ススムくんに、女神の祝福を!」


 ボクの身体を暖かな光が包んでいく。


「光の下でススムくんが来るのを待っていますよ」

「必ずあなたの下へ!」


 優しく微笑む女神イシターの姿が徐々に霞んでいく。

 ボクは最後に叫んだ。


「ボクは人形なんかじゃない! きっと行ってみせる、あの光の下へ! きっと行ってみせる! あなたの下へ!」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



すすむくん、準備はいい?」

「はい、大丈夫です!」


 季節は冬――

 車椅子に座っているボク。心配そうに話しかけてきた女性の理学療法士さんへ元気に返事をすると、優しい微笑みをボクに返してくれた。

 ボクは両腕に身体を支えるための杖をはめる。


 高校へ通学中の交通事故によって、一時は歩行能力が完全に失われた状態だったボク。毎日のリハビリは地獄だった。ゴールが見えない中でがむしゃらに歩行訓練を繰り返すが、リハビリの効果は中々見えず、ボクは諦めに支配されていった。

 その頃、毎日のように見ていた夢がある。自分はお人形さんで、真っ白な空間の中にただ壁に寄り掛かって座っているだけという夢。何も無い空間をただ見つめるだけの夢を見るなんて、ボクの心は壊れる寸前だったのだと思う。

 それでも頑張ってこれたのは、二人三脚で一緒に頑張ってくれた女性の理学療法士さんのおかげだ。年齢は二十代後半か三十代前半くらいかな。時に厳しく、時に優しく接してくれる療法士さん。本当に辛い時、ボクを胸に抱きしめてくれた。そして、一緒に笑い、一緒に泣いてくれた。


 一年近くリハビリを頑張ってきて、今日はその集大成。病院の廊下を使った歩行訓練……いや、この一年間の結果を見せる実力試験と言ってもいいだろう。ゴールは、廊下の端にある談話スペースに設置された自動販売機だ。廊下にその灯りが漏れているのが分かる。あの光の下へ、ボクは自分の力で向かうのだ。


 いよいよ真剣勝負が始まる。


 車椅子からは何とか立ち上がれた。杖に体重をかけながらヨタヨタと、でも着実に歩みを進めていく。でも、スピードは徐々に落ちていった。身体を捻りながら、無理やり歩みを進める。たったの数十メートル。普通のひとであれば数十秒、走れば数秒で到着する距離。なのに、ボクにとってはあまりに遠い距離。半分くらいまで来たところで歩みが止まる。もう限界だ。やっぱりボクには無理なんだ。ボクは……ボクは人形だ。


「がんばって! 自分に負けないで!」


 その声に顔を上げる。ゴールで療法士さんが叫んでいた。


「ゆっくりでいいから! 諦めないで!」


 ボクは自然と笑顔になった。あなたの応援があれば、どんな辛いことだって乗り越えられる。あなたが待っているなら、どんなに遠くても辿り着いてみせる。

 ボクはもう一度歩き始めた。ヨタヨタ歩く姿は他人から見れば滑稽かもしれない。でも、ボクのことを真っ直ぐに見てくれるひとがいるのだから、そんなことはまったく気にならない。


「進くん、頑張って!」

「もうちょっとだよ! 頑張れ!」


 看護師さんたちも応援してくれている。ボクがリハビリを頑張ってきたことをずっと見守ってくれたひとたちだ。いつも厳しい顔をしている師長さんも一緒に応援してくれている。元気百倍だ!


 そして――


「進くん、よく頑張ったね! ゴールだよ!」


 ゴールでボクを待っていてくれた療法士さんが抱き締めてくれた。ボクの瞳から涙が溢れる。


「はい、ご褒美です。こんなのでゴメンね」


 療法士さんが紙袋から取り出したのは、白い手編みのマフラーとニット帽。ボクの頭に被せて、首にマフラーを巻いてくれた。どんな豪華な冠よりも、このご褒美の方が嬉しい。療法士さん、本当にありがとう。そんなボクの姿に看護師さんたちも大きな拍手を送ってくれた。


 ボクは自動販売機で缶のホットココアを購入。療法士さんの好きな一本だ。そのまま療法士さんへと差し出して、ボクの気持ちを伝える。


さん、あなたはボクの女神です。ボクはさんが好きです! もっとちゃんと歩けるようになったら、ボクとデートしてください!」


 驚く女神様。看護師たちは大喜びでボクらを囃し立てた。

 十六歳のガキが、大人の女性を誘うなんて変かもしれないけど、でもボクの本当の気持ちでもある。ボクの真剣な眼差しに、石田さんもそれを理解したと思う。


「石田さん、今度はあなたの恋愛のリハビリを進くんにしてもらったら?」


 師長が優しく石田さんに話しかけた。からかうような感じではない。

 石田さんは、その昔旦那さんの浮気が原因で離婚。その後はずっと仕事一筋らしい。看護師さんの情報だ。


 頬を赤く染めながら、石田さんはボクに優しく微笑んだ。


「じゃあ、もっとリハビリをがんばらなきゃね」

「石田さん、また助けてくれますか?」


 石田さんは何も言わず、ボクを強く抱き締めてくれた。

 そんなボクらに改めて大きな拍手を送る看護師たち。

 みんな笑顔だ。


 ボクは人形なんかじゃない。

 今日、ボクはそれを証明してみせた。

 もうあんな夢を見ることはないだろう。

 そしてまた、地獄のリハビリが始まる。

 でも、石田さんも一緒だ。

 女神様と一緒ならどんなに辛いことも乗り越えられる。

 いつか石田さんと杖なしで一緒に歩くことを夢見て、ボクは今日もリハビリに励む。






※補足


【女神イシター】

 古代メソポタミアの女神イシュタルを指します。

 イシュタルは、愛と戦争、豊穣を司ると言われている女神様です。

 ただ、作中ではさんをもじっただけです。


【ロフストランド】

 作中では神の国の名前として使用しましたが、実際は歩行を補助する医療用補助器具で、前腕部支持型杖のことを指します。ロフストランド杖、またはロフストランドクラッチとも呼ばれています。

 なお、ロフストランドは地名ではなく、この杖の発明者の名前に由来したものです。



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ロフストランドの女神様 下東 良雄 @Helianthus

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