第4話


 そんな煙にまみれた生活から、しばらくの日数が経った。


 時間の経過を事細かに認識することはできず、いつの間にか結果だけがやってくるような錯覚を抱いた。それほどまでに何もない日常を送っていたような気もするし、単純に多忙の身を極めて意識が残っていなかったのかもしれない。いつのまにかやってきていた八月という時期に、僕は時の流れの速さを実感せずにはいられなかった。


 その頃には学期末の考査も片付いていて、成績も出ていた。結果としては良くも悪くもないという具合で、不可こそは出ていないものの、可でしか収まっていない成績に、正直肝が冷えた記憶が残っている。当時こそは受かればそれでいい、という気持ちではあったものの、あの時のことを振り返れば、もっとまじめに勉強をしていればよかったように思う。


 後悔を抱くことは常である。そんな後悔をきちんと教訓にすることができれば人は前に進むことができるのだろうし、それから学ぶことができない人間は、結局また同じことを繰り返すのだろう。僕は確実に後者の人間であり、同じような場面を何度繰り返しても、そのたびに心は疲弊して、選択肢を誤っている気がする。


 そんな八月を迎えた頃合いで、ミキは誕生日を迎えた。正式に二十歳という、正式ともいえる大人の称号を手に入れて、酒や煙草を日常的に煽るようになった。きっと、彼女が誕生日を迎えていなかったとしても、そんな日常は変わらなかっただろうし、年齢を重ねることなんて大した価値はないのだろう。それでも、二十歳になるというのは相応に特別なことであり、いつもであればこそこそとする行為についても、堂々と行われる。そんなことを、なんとなく暇つぶしで赴いた大学にて実感をした。




 その日はアルバイトや予定などもなかった。大学での提出物もなければ補講もなく、かといって休みというものを謳歌する気にもなれなかった。眠ることは好きではあったけれど、如何せんその周囲の日課として昼寝を繰り返していたことがあったせいか、身体を動かしたくなった。


 そんなつもりで赴いたのが大学だった。


 大学に行けば、相応に暇をつぶしている人間がいることもある。大学近くで独り暮らしをするものであったり、もしくは講義の単位をもらいそびれ、補習の形で参加するものであったり、もしくは家に帰ることをしたくない、という事情を持ったものであったり、理由はそれぞれ。そんな仲間のような人間を探して、僕は大学に赴いた。


 お盆が近いということもあって、バスの中は空いていた。大学の掲示板を覗けば、数日後には短期的な休みが挟まるみたいではあるものの、その日に関しては特に休みの連絡もなく、通常で運営されている。まあ、こんな暑い時期でしかない日に、予定なく大学に赴く人間は相当のもの好きでしかないけれど。


 大学に到着してバスから降りる。冷房が効いていたバスから解放されれば、熱の茹だる空気に身体が包まれて、早急に冷えている場所を探したくなる。


 バス停から大学構内までの距離は長く、歩いているうちに萎びてしまいそうな感覚もあった。だから、まずはどんなときでも開いているはずの図書館に足を運んだ。


 図書館に足を運ぶのは、個人的に珍しいことだった。図書館には大学に通っている学生が利用することのできるパソコンだったり、名の通りの図書であったりが存在するものの、僕は真面目な人間というわけではないので、それらを利用せずにここまでなんとかやってきている。だからこそ、少し物珍しい気持ちというべきか、浮足立つ感情を抱いたまま、適当に図書館へと足を踏み入れる。


 ゲートをくぐれば、途端に爽やかさを伴うような香りと冷えた空気。さらに足を進めれば、身体の芯まで冷やしてくるような強い空調の風。半袖短パンの身なりには少しきつすぎるような配慮のない風に鳥肌が立ちそうになる。それでも、暑いよりはましだということを考えながら、そのまま図書館の中へと入っていく。


「あっ」と、そのとき声が聞こえてきた。


 聞きなれた声だった。ハスキーにも感じる少し枯れた声、それでいて高めに感じる声音。そこに視線を向ければ、当たり前のように図書館のカウンターに居座るミキがいる。


「おっ」と適当な声を出す。そんな声を出したことに特に意味はなく、ただ彼女の存在を認知したことを知らせただけだった。


「なんできたの」


 ミキは訝しい様子で眉をしかめながら、僕に対してそんなことを聞いてきた。だから「なんとなく」と、本当の理由を吐くと彼女は苦笑する。


「そっちは?」と僕は聞いてみる。おおよそ、彼女が図書館のカウンターに佇んでいるだけで察する部分はあるけれど、必要な会話の要素として、あえてそんなことを聞いてみた。当然のように帰ってくるのは「バイト」という三文字の答え。


「ほら、学生課がよく図書館バイトを募集していたから、なんか応募したら受かったんだよね。独り暮らしだから」


 ふふん、とあまりない胸を張りながら、彼女は誇示するようにそんな言葉を吐く。


「でも退屈そうだな」


「まあ、そうだね。やるべきことはだいたい朝のうちに終わっちゃうし」


 苦笑しながら彼女は答える。図書館のバイトが何時からやっているのかを僕は知らないけれど、仕事をする上ではやるべきことがあった方が時間の流れは速いはずだ。


「そうだ、あと少しで昼休憩だから、喫煙所に行かない?」


 僕がそんなことを考えていると、彼女は思いついたようにそんな言葉を出す。僕はまだ未成年だというのに、当然のように喫煙の話題を出すのは、彼女がもう二十歳だから、というのが大きいのだろう。


 いいよ、と肯定をして、僕はとりあえずカウンター付近にあるパソコンのコーナーに座ってみる。空調の風が嫌に寒く感じるけれど、その寒さと、彼女を待つ時間を忘れるように、僕は適当にブラウザーを開いて、暇をつぶすことにした。

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