第3話


 ミキの彼氏というのは、どうやら一回りも二回りも年上の男だったらしい。言葉の中で、年上、という部分を強調する彼女の表現は、それだけ歳が離れていることを察してくれ、と言わんばかりであり、僕はそれに気まずい笑顔を浮かべた。


「背伸びみたいなものだよね」


 彼女はそう語った。


 若かった自分のことを、彼がきちんと相手にしてくれているかが不安だった。その彼がきちんと自分を見てくれているのかが不安になった。年齢の垣根を越えて、彼がきちんと自分のことを好きでいてくれているのかが不安になった。


 若さ、というものを目的に自分を欲していることが頭の中にあったからこそ、彼女にはそれがコンプレックスとして付きまとっていたらしい。


 純愛だと思いたかった、彼女はそんな気持ちを抱いたから、彼氏から煙草を受け取ったらしい。タールが重く、一気に眩暈を催すような煙草を肺に取り込んだ。


 そうすることで、彼女の中のコンプレックスは少しずつ上書きされた。上書きされても、根底の中にある不安こそは消えることはないが、彼が若さなどを欲していない、という気持ちに塗り替えて、そうして向き合うことができたのだ、と彼女は語った。


「だいたい何歳くらいさ」


「……十五」


 彼女は彼女自身を嘲るように、言いよどんだ後に笑って答えた。


「もう別れたけど、ぶっちゃけ犯罪でしかないよねぇ。あんなやつに自分の時間を無駄にした、って思うと本当に腹立つ」


 そんなことを言いながらも、彼女は未だに囚われていることを示すように、煙草を吸い続けている。軽やかに、もしくは清々しさを孕んでいる彼女の言葉ではあったけれど、どこか虚しさを含んでいる声音に、僕は目が滑りそうになる。


 煙草はやめないのか、と聞こうと思ったが、聞くことはなかった。それを言葉にしたところで、やめるやつはいつだってやめるし、やめないやつはいつまでもやめない。やめられない。自身の家族がそうだったのだから、経験談として、もしくは絶対的なものとして依存というものから逃れられないことを僕は知っている。


 僕は、煙草を吸い続けることに、少しだけ憂いを感じた。別に理由なんてなく、なんとなくで喫煙を続けている現状に、彼女と比較して、その価値があるのかを問うてしまう。それを考える必要もないけれど、彼女よりも理由も意義もなく続けるその行為に、何かしら意味合いを持てないと、喫煙というものをやり切れないような気がした。


 それで会話は終わる。なるほどね、と適当な相槌だけを返して、それ以上に深堀をすることはしない。彼女もそれを望んでいないだろうから、今さらでしかない空気を読み込んで、また携帯の画面を眺め続ける。


 もうすぐで昼休憩が終わり、三限目の講義が始まる時間。


 そろそろ行かなきゃ、とあからさまに用事があるような声を出して、僕は講義室にミキを残した。いってらっしゃい、と間延びした声を耳に入れながら、僕はこの後の時間をどう過ごすか、ということを頭の中で考えて、結局自習室に逃げることしかできなかった。




 それから、ミキと話すことがだんだんと増えていったような気がする。というか、だんだんと増えるような行動を僕から起こしていた。


 限定的に喫煙をしていた状況を切り替えて、大学の喫煙所でも吸うようになった。それをきっかけに友人に誘われて喫煙所に行くことも増えてきた。そうして喫煙所に行けば、当たり前のように煙草を吸うミキの姿を見かけた。


 軽い談笑を交わしながら火をつけて、たまに指に熱が垂れていく。そのときの反射的な悲鳴を彼らは笑ってくれるから、喫煙というのも悪くはないのかもしれないと思った。


 たまに大学から出ているバスに乗り込めば、ミキがいることもあった。彼女は前方の席の方に座っていて、誰にも話しかけられることはないというように、一人で携帯を見つめて時間を過ごしている。その画面をのぞく気にはならなくて、驚かすつもりで彼女に声をかければ、弾むようにかわいい悲鳴を上げながら、その後に怒りながらも談笑をする。


 他愛のない雑談だ。月末に控えている考査についての不安だったり、バイトの話だったり、もしくは嫌いな人間の話だったり。周囲の警戒をしながら、知り合いが誰もいないことに安堵を重ねて、そんな話を繰り返した。


「そういえば、まだ可愛いものを吸ってるよね」


 ミキは喫煙所での僕の煙草について、そんなことを言及してきた。


 僕が吸っていた煙草は、彼女が以前飲み会の時に僕へと渡してきた柑橘系の香りがどことなくあるメンソールの煙草。なんとなく、それ以外の煙草を友人から受け取ったこともあるけれど、心地よく吸えないから、いつまでもこの煙草にとらわれている。


 以前、喫煙所で煙草を吸っている彼女を見かけたときは、飲み会の時とは異なって、重苦しいタールが示された煙草を吸っていたような気がする。


「そっちは変えたんだな」


「まあ、そういうときもあるもんだよ」


 彼女は苦笑しながらそう答える。そんなもんか、と返せば、彼女も、そんなもんだよ、と返してくる。それ以上に会話をすることはなくて、バスの中でゆるやかに流れる時間に身を浸すことしか、僕にはできなかった。

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