あそこで声をかけたのは善意だった。

だけど彼女と目が合ったとき、あの人だと一瞬で分かった。

それにあのシルシ。間違いない。

最初は本当にお礼がしたかっただけ。他意はない。


だけど、彼女———景衣子さんは、シルシを嫌っているみたいだった。

俺にもう一度チャンスを与えてくれた、あなたと俺を繋げてくれたシルシを。

あの人は、自分のことは“つまらない女”だと言った。

そんなことない。あなたは勇敢で、とても優しい人。


少しでも景衣子さんがこのシルシを好きになってくれたらって、キスをした。

唇にはできなかった。そこに口づけするのは、あなたと恋人同士である人だけ。


“今夜限り”だと言ったのは、これ以上感情が大きくなっていかないようにするための自制。

それより上のものは求めてはいけない。俺とあなたは、結ばれるにはまだ早すぎる関係だから。


それに、幸せでいてほしかったんだ。俺が今も幸せであるように、あの人にも。


後にあの大男たちは強盗集団だということと、逮捕されたということがテレビで放映された。助けてもらわなかったらどうなっていただろう。俺は今、ここにいないかもしれない。

どれだけ大きなものをもらったのか、想像もつかない。



景衣子さんを見送ってから俺はベランダに出た。


朝の冷たくも爽やかな風が髪を揺らす。秋のどこまでも高い空には、大きな虹がかかっていた。

ピロンと音がしてポケットからスマホを取り出して開くと、「明日お父さんと帰るからね!」という母さんからのメッセージだった。



あの宝石みたいに甘いシルシが、俺とあの人を繋げてくれた。

恋だと言うのには、判断材料が少なすぎる感情。気付いてはいけないもの。


俺は、ありがとう、その言葉を言って、今度はあの人の役に立てたなら、俺は嬉しい。

この関係がたった一夜だけの短い時間―――ワンナイトだったとしても。

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宝石に花咲く 桜田実里 @sakuradaminori0223

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