第3話

 メモにあった住所は、警察署ともそう離れていない古い雑居ビルの一室だった。表札の出ていない部屋だが、気配はする。さっきまでは決意と希望に満ち溢れていたのが、一転して急に不安になってしまった。大丈夫な人なんだろうか。もしかして、助ける代わりに法外な報酬とか。

 不意にがちゃりと音がして、目の前のドアが開く。

「いらっしゃい。中にどうぞ」

 現れたのはあの、胡散臭い男性だった。今日も黒いスーツを着て、シャツの胸元を無駄に開けている。無精髭はそのままだし、髪に至っては結んですらいなかった。本当に、大丈夫な人なんだろうか。不安すぎる。

「君、どうして自分がそんな目に遭ってるのかも分かってないでしょ。まああんまりいい話じゃないけど、そこら辺もちゃんと説明するから、まずは入って」

 訝しむ私の視線に苦笑で応え、男性は私を顎で促す。確かに、それは知りたいことではある。ようやく覚悟を決めて頷くと、男性はドアを大きく開いて私を中へと招いた。


 胡散臭いその男性、霊能者の新葉しんばは簡単な自己紹介を終えたあと、すぐに話を切り出す。

「早速だけど、時間がないから必要なことだけ話すね。君は、君達の一家が県境近くにある集落の出だってことは知ってる?」

「はい。祖父の代でこちらに出てきたと聞いています。庄屋筋の家だったとか」

 古びた応接セットのソファに座り、向かいの新葉に答える。でも、どうしてもその背後や周囲にあるおどろおどろしいものに目が行ってしまう。鏡やお面、気味の悪い置物や人形……ここにあるものは全て「いわくつき」のものらしい。霊能者であり収集家でもある新葉の元には、助けを求める人達からよく届くそうだ。

「そうだね。君の家は長らく集落を取りまとめる立場の、大きな家の本家だった。まあお祖父さんの頃にはもう昔のような身分差も庄屋としての役割もなくなってたから、集落を捨てることもできたわけなんだけど。でもかつてはとても大きな力を持っていた家で、それ故に人に恨まれたり呪われたりすることも多かった。そして昔は今よりずっと、恨みや呪いは家に不幸を呼び込むと考えられていた」

 新葉は急に神妙な表情で、私の知らない我が家の話を語り始めた。

「そういった負の感情への対処は主に二つあって、一つは神社や寺でお祓いを受ける方法。もう一つは、それより強い恨みや呪いで跳ね返す方法なんだ。そして君の一族は、後者を選んだ。一族の中に呪術を使える人間がいたせいだろうね。その方法は、とても残酷なものだった。周辺の地域から親のいない子供をひっそり引き取って、床下に埋めた甕の中で育てたんだよ」

 予想もしていなかった内容に、絶句して新葉を見つめる。でも新葉は、冗談を言っているようではなかった。事実、なのか。先祖が、そんなことを。

「やがて子供が育って甕が小さくなると、甕を大きくするのではなく、子供の手足を切り落として子供を小さくした。また育って甕が小さくなると今度は両膝から下を切り落とし、最後に両肘から下を切り落として生かし続けた」

「でも、そんなことしたら、死んでしまうんじゃないんですか」

「そう。だから甕で育てられる子供は、常に数人いたんだよ。死んでも代わりがいるように」

 なんてことを、と絞り出すのが精一杯だった。浅くなる息に顔をさすりあげ、溜め息をつく。謝るくらいで済むわけがない。でも、責任の取り方が分からない。

「犠牲になった彼らの恨みや呪いの念を、呪術を使える者が収めて家の守りにしたのが、君に見えたあの壺だ。俺はてっきり実体があるものだと思ってたんだけど、まさか『見るべき者にだけ見えるもの』だとはね。多分壺が盗まれないように、見える子孫が管理する役目を負う仕組みにしたんだろう。そしてその仕組みは、もう呪いを追加できる時代じゃなくなった今も生きてるってわけだ」

 顔を覆ったまま、説明をただ耳に流す。あまりの所業に、言葉が出ない。私には、その鬼畜の血が流れているのだ。

「呪いとともに生き続けた君の一族は本来呪いに強いはずだけど、お祖父さんは近親婚を嫌って一族外から妻を娶った。お母さんも親族じゃないよね。お兄さん達が生後すぐに亡くなったのは、血が薄まって呪いへの耐性が足りなくなったからだよ。管理者に選ばれて呪いを制御できるはずの君まで襲われそうになったのも、それが理由だろう」

「お弔いをして、成仏してもらうのは無理なんですか」

「無理だね。ここ十年や二十年でできたものじゃない、百年単位の恨みの集合体だから。これまでも君と同じように考えた管理者もいただろうけど、できなくて諦めたんだと思う」

 あっさりと却下された案に、溜め息をつく。じゃあ、どうすればいいのだろう。どうすれば、彼らは救われるのか。

「その壺、俺が引き取るよ。ここにある『いわくつき』みたいに」

 突然の提案に、弾かれたように顔を上げる。……引き取る?

「そんなこと、どうやって」

「君と壺の縁を切って、俺と繋ぐ。所有権移転みたいな感じかな。そうすれば、君はもう大丈夫だ」

 新葉はまるで造作もないことのように答えて、脚を組んだ。この壺を手放せるのは、願ってもないことではある。でも。押さえた胸に、じわりと罪悪感が広がっていく。

「それは、許されることなんでしょうか。酷いことをしたのは、私の先祖なのに」

「君も犠牲者だ、と言ったとこで納得できないだろうから、家族全員を喪ったのが罰だと思えばいいんじゃないかな。今の君には何よりもつらいことでしょ」

 ああ、と気づいて、頷く。確かに、これから想像もできない喪失感が押し寄せてくるはずだ。それなら、いいのかもしれない。

「分かりました。お願いします」

「よし。じゃあ、早速しよう」

 えっ、と短く驚く私を気に留めず、新葉は上着を脱いて髪を一つに結ぶ。

「君がふたを開けてしまったからね。急いでどうにかしないと、管理できなくなってしまう。俺は準備をするから、君はひとまず手と口を清めておいて」

 慌ただしく準備を始めた新葉に、私も腰を上げて指差された隅の給湯室へ向かう。シンク際にまで置いてある置き物に気味の悪さを感じながら、言われたとおりに手と口を清めた。


 新葉は墨を擦り、鮮やかな筆で形代とお札のようなものを数枚作成する。よし、と姿勢を正してこちらを向いた。

「まず最初に、壺をここに出してほしい。君と紐づいてるはずだから、呼べば出てくるよ。そのあとは、何を見ても一切喋ったり動いたりしないように。途中で顔を覆うから見えないようになるけど、それでも動いたら終わりだから」

「分かりました」

 そう答えたものの、ほんとに出てくるのか疑わしい。でも、訝しみつつあの壺を思い浮かべた瞬間、それは目の前のテーブルに現れた。驚いて漏れそうになった声に唇を噛み、儀式らしきものを始めた新葉を見守る。

 新葉は形代を手に何かを唱えながら、壺のふたを開ける。荒れそうになる息を静めて、壺の中からずるりと上半身を現したそれの背中を、光の中で見た。肌はお世辞にも綺麗とは言えず、体はあばら骨がはっきりと分かるほど痩せていて、長い髪は白髪交じりで……恐怖を超える罪悪感に、また唇を噛む。先祖の罪を思い知るには、十分すぎるものだった。

 胸の内で謝罪を繰り返していると、新葉が半紙を手に私の傍へ来る。私の顔を隠すようにその半紙を垂らして、頭に結びつけた。見えないようになる、がこれだろう。

 不意に呻き声が近づいて、荒い息とともに鼻を突くような臭いがした。半紙の隙間から揺らぐ長い髪が見えて、私の何かを確かめているのが分かった。緊張で胸の音は速くなり、息が震える。不意に何か冷たくて湿ったものが、おそらく彼の腕が、私の肩にそっと触れる。息を詰めて数秒後、ゆっくりと離れた。

 途端、悲痛な声が上がり、新葉の声が大きくなる。幽霊が泣き叫んでいるのだと分かって、私も泣きそうになった。

 ごめんなさい。私達は、許されないことをしました。

 唇を噛み締めて心の内で詫びる向こうで、声はボリュームを絞られるかのようにして消えていく。堪えきれなかった涙が頬を伝った時、終わったよ、と声がした。


――これでもう君との縁は切れたけど、時々は手を合わせてあげてほしい。まともな墓すら作ってもらえなかった人達だから。

 新葉は自分のものになった壺を小脇に抱えて、私を見送った。

 ホテルへ向かう路線バスに揺られながら、窓の外に公園を眺める。夕暮れの光を浴びて遊ぶ子供達の姿に思い出すのは、薄汚れて痩せ細ったあの背中だ。

 どうか、少しでも救われますように。

 目を閉じて、手を合わせる。耳に残る悲痛な声を思い出して、震える息を吐いた。


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