超越論的母性論

てると

永劫の母性論

 母親が帰ってきた、そして死んだ。その間に教えられた知恵があるので、そのことについて、書こうと思う。


 わたしの母は癌だった。そうして、その前日からわたしの家に、母に癌を治す商品を売るために怪しげな女性が来ることになっていたので、わたしははらはらしていた。そうしていたら、午前中、来た。母と女詐欺師は食堂で話していた。わたしが同席したころには、既に商品を契約していた。「真宝」という商品であった。

 わたしと話し始めた40代か50代の女詐欺師は、姓名と生年月日から占いを始めた。そうしてわたしに、「不安を抱えていますね」などというので、わたしはけだるく、「ああ、あります」。「どんな不安?」、「ぼんやりとした不安、ですかね」。そんな話をした。わたしは「騙される」ということが心底嫌いだったので、わたしの身内が騙されることも嫌でたまらなかったが、そこに反応していてもしょうがないので、ここは乗ってみることにした。


 漱石の『吾輩は猫である』を愛読していたような母であったが、わたしには同じ食堂で、「『孟子』がいいよ!」と強く勧めてきたことを未だにはっきりと覚えている。漱石だのニューエイジだのを愛読していたはずだったが、わたしの反発も構わず「儒教は正しいことを言っている」とのことだった。これがよくわからないが、とにかくなにかとても大事なことであることは察知しているし、それは、本人も気づいていないようなウィズダムの領域に入るだろうと感じる。

 そうしていたところ、ある日、真剣な口調で、わたしの表象では、わたしが座っていたのか何なのか、上から話しかけられた。

「たけちゃん、覚えておきなさいね。日本の男の人たちはみんなお母さんが好きなんだから、例えば、スナックに行っても『ママ』って呼んでいるでしょう」。

 とても大切な知恵だ。これは東京に出てきて人と関わる中、とても真実を言い当てていると実感している。孟子と母性の奇妙なカップリング…。確か母親の読んだ出典は河合隼雄だったが、ユングのウロボロスは叛逆の死と神殿の復活による太極的キリストの永劫を請求している。つまり、この真実の知恵に従えば、わたしはそれを手放しては、いけない。悪いものにたぶらかされていては、情けない。

 ユングが、キリスト教ではなく、イエス=キリストの本質に関心を寄せたこと、河合隼雄の問題意識、こうしたことを考え合わせると、聖霊の知恵と説教臭い儒教はかえって思想的に一致しているのではないかと思われる。然り、なぜならば、霊は天からのものだからである。聖(きよ)める作法が古来ある。それが祭礼であり、礼拝ではなかったか。まつろうことである。耳順して天理を為すのみ、天命に任すけれども、命の福音へは基本的信頼を置き、あとは、きっと、愛があるだけ。

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超越論的母性論 てると @aichi_the_east

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