尻に敷かれて転がって

鹿

転生したら車椅子だったのですが。

 ……車椅子って何なのでしょう? いえ、車椅子の概念自体を問うているわけではないのです。私の転生した結果がそれだというのが気にくわないというだけの話です。

 私は無神論者ではありますが、こんな時ばかりは理不尽への怒りの矛先を神に向けることもやぶさかではありません。かみさまのばか。


 さて、取り敢えずは状況確認から入りましょう。まずは記憶の精査です。

 名前……思い出せませんね。家族構成、勤め先、死因……何もかもが分からないのに、知識だけは持っているような。記憶喪失に似ていますね。まぁ死という極めてショックな出来事があったのですから、心因性記憶障害が発生することも妥当と言えるでしょう。

 続いては身体の確認ですが……やはり車椅子に他ならないでしょう。神経も無いようで、感覚がありません。だというのにどのようにして自身が車椅子だと近くしているのでしょうか。そもそも車椅子には脳が無いので情報の記録も何も出来ないはずなのですが。こうして思考することが出来ているということでさえ異常事態と言えるでしょう。


「……聞こえるかの?」


 ……幼女の声ですね。やや低いですが声変わりする前の女性に間違いないでしょう。どうしてそこまで断定できるのかは分かりません。もしかすると、声優のような声と関わる生業だったのやもしれませんね。

 それはさておくとしまして、まずはこの声の主を知覚したいところです。そう思っていれば、何やら視えてきました。あえて見るではなく視ると表現したのは、この情報が明らかに視覚のそれを上回るデータ量を誇っていたためです。

 短い銀色のショートボブ、薄く緑の入った水色、そうですね、明るい青緑色をした双眸、そして仄かに朱に染まった白い肌、そして身に纏う漆黒のローブ。

 そんな容姿をした幼女が、私の眼前で身を伏していました。


「喋れないのかの……?」


 そう言われて、私は意思疎通を試みます。一体どのようにして発話するのでしょうか。いや、そもそも車椅子に発話機能は備わっているのでしょうか? 昨今の技術革新を考えればそのようなものも開発されている可能性はありますが、彼女の装いからしてそこまで時代が発展しているようにも思えません。

 しかし、意外なことに私は本能で発話の術を解する事が出来ました。


「あー、あー、てすてす」


 どこか聞き覚えのある女声。お姉さんといった感じの透き通るような声で、腑抜けた文言を発します。かつての私の声だったのでしょうか。真偽のほどは分かりませんが。


「どうも」


 挨拶から入るのはコミュニケーションの常識……と、ここである事に気が付きます。まず、私は日本人であったろうことが分かりました。日本語で思考しているので。そして、彼女は日本語を喋っています。つまりここは日本なのでしょうか? しかしながら、彼女の容姿からは時代も人種も日本とは相容れないように思います。

 そう思っていれば、幼女は顔を精一杯上げて、こちらに向かって語り掛けてきます。


「我が名はフォーブル・エル・リンデンスブルグ。お主は?」


 大分古風な口調。いわゆるのじゃロリ、というやつなのでしょうか? にしても困りました。私、現在名前喪失中で御座います。

 しかし彼女の名前から、恐らくはドイツ語系の出身であろうことが分かりました。であるのならば、それっぽい愛称でもお教えすればいいでしょう。ドイツ語で車いすはRollstuhlですから、ロッフルとでも名乗りましょう。


「ロッフルと申します。リンデンスブルグ殿」


 にしても、前世はドイツ語も行けたのですね。言語がいろいろできるということは国際的に活躍していたのかもしれません。

 私が名乗ると、リンデンスブルグ殿は笑みを浮かべて仰いました。


「ブルで構わないのじゃ。ロッフル、良い名じゃ。流石に迷宮最奥の秘宝と称されるだけのことはあるの」


 ブル、というのはファーストネームから取った愛称でしょう。可愛らしい名前ですね。ブルと言われるとブルドッグを思い浮かべますが、どこか自己中心的な雰囲気を感じさせる彼女によく合った名のように思います。

 それはさておき、迷宮最奥の秘宝ですか。確かにこの場所はそう形容するに相応な雰囲気を醸し出しておりますが、私が秘宝と言われると中々に違和感が凄いですね。

 車椅子ですよ? それも非常に近代的な車椅子です。私の知識にある一般的な医療用車椅子に極めて類似した形状をしています。メーカーとか型番までは分からないので、その関係の職に就いていた可能性は高くなさそうですね。


「ブルさん、1つお訊きしても?」


 さて、私のことは置いておいて、彼女に次いて1つ気になったことがありました。無論私のことも大事ではありますが、現状私はただの物品でしかないのに対し彼女は人間です。

 私は人間的倫理観を未だ持っているようなので、彼女にこれを尋ねる必要があります。

 ブルさんは小さな首を縦に振りかぶったので、私はどこからどういう仕組みで発しているか分からない声で質問します。


「おみ足、お怪我されたのですか?」


 ブルさんは、恐らく最初から、女の子座りのままでした。考えられる原因はいくつかありますが、迷宮と言っていた以上ある程度の危険はあるわけですし、彼女の膝上には大きな戦斧が置かれていてそこに青い血がついていることから、戦闘後であると推測できるために、最終的に絞られたのが、その可能性でした。


「うむ……そこのやつに脊髄をやられたらしくてな。下半身が動かんのじゃ」


 どこか淋しげな微笑みを浮かべる彼女。確かに、ブルさんから見て左手の部屋の隅に巨大な…ミノタウロス?みたいのが居ますね。この部屋は立方体形状をしていますが、私の鎮座しているこの石の台を除けばブルさんは部屋の中心に居ました。

 気丈な方です。迷宮に命を賭けてきたのでしょう。全くもって解せません。こんな幼気な幼女にこのような危険を許す世界など。


「はは……これが人生最後の迷宮じゃな」


 ブルさんがそう言って振り返ります。すると、観音開きの扉がゆっくりと開かれます。そこに居たのは大量の牛……みたいなモンスター。

 こういうファンタジー的な敵には詳しくないようで、ああいうものを何というのか分かりかねます。

 と、そんな場合ではありません。このままでは彼女が道半ばで命を失うことになってしまうではありせんか。許せません解せません有り得ません! そんなことは、あってはならないのです!

 そう強く念じれば、不思議と身体が暖かくなるような感覚が湧いてきました。ゆっくりと、車輪が動き始めます。石でできたこの部屋の床を、ゴム製のタイヤがしっかり踏み締めていきます。

 牛風のモンスターたち、仮に子タウロスと名付けましょう。彼らはそんな私の姿に怖気付いたように後退りします。子タウロスだけあって、中身も小物らしいです。

 私は、さらに強く、彼女の生命を想います。すれば、より大きな熱量が実感できるレベルで顕現し始めました。もしかすると、魔法の類なのではないでしょうか。

 私の車輪は回転速度を上げていき、ブルさんの隣を通り過ぎ、子タウロスとの間に立ち塞がります。


「なんの…つもりじゃ?」


 彼女の意思を踏み躙ることになるやもしれません。無用の助けかもしれません。ですが、否だからこそ、私はやるのです。

 でも私、今やっと動き方が分かっただけの赤子車椅子なんですよね。じゃあ何ができるの?という話ですが、分かるはずです。

 そう! タックルです! 車輪を全力で回して、若干前傾になるようにして、強く地面とタイヤを噛み合わせて彼らに強烈な突撃を食らわせます。

 どう考えても質量的にこちらがダメージを負いそうですが、何だか負ける気がしませんでした。空気を切り裂き、地面を蹴り飛ばし、体躯を彼らの膝下目掛けて叩き込みます。

 3体の子タウロスはその打撃に耐えられず膝の皿を粉砕されました。親タウロスがブルさんにしたことを10倍返しにしただけですので悪しからず。


「……これが……ロッフルの力……」


 なんかそれ聖剣とかそういう系の物を手に入れた時のセリフですよね。私如きで消費しちゃって大丈夫ですか? いやまぁ私としては光栄なことですのでありがたい限りですが。


「お乗り下さい」


 私は、彼女の前へと歩み寄って足置きを展開し、そう告げました。まだ子タウロスに留めは刺してないので、彼女に刺してもらおうという魂胆です。


「うむ。宜しく頼もう」


 どちらかというと頼むのはこちらの気がしますが、私は彼女に座られました。

 ……私女ですよね。一人称私ですし声も高めですし。じゃなきゃ幼女のお尻を全身で体感するとか許されざる蛮行なのですが。でもこんな気持ち悪い発想ができてしまうということは男の娘の可能性も……。要らない知識が山のように湧いてきます! 何でですか! イエスロリータノータッチは世界の原則ですよ!

 と、悶々としている間にブルさんは斧を振り下ろして子タウロスの頭部を全て粉砕していきましたとさ。

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