間章2 黒歴史

 人間誰しも(と言っていいほど)黒歴史を持っている。もちろん俺にもある。というか、俺みたいな陰の属性に黒歴史は多いと言えるだろう。

 それはたとえば、授業中しんとした空間の中で思いっきりお腹をぐるぐる鳴らしてしまったことであったり、体育で好きでも得意でもない球技でミスをしたことで笑われたことであったり、それを女子に見られていたり。陰の属性が強ければ強いほど、その黒い歴史もより暗く、より淀んでいる。


 時は西暦二〇一〇年に遡る。

 二〇一〇年七月二十三日。

 その日俺は二重の意味で浮き足立っていた。一つは夏休みが始まったこと。高校生活一回目の夏休みである。特に部活もしていないし、バイトはそもそも校則的に禁止されているため、何をするにしても自由だった。塾に通っているわけでもないので時間はたっぷりある。最高の40日間の始まりである。

 そしてもう一つ。

 その日の晩、父親が仕事から帰ってくるのを俺は心待ちにしていた。なぜなら、職場の人からノートPCを譲ってもらえることになっていたからだ。

 俺はあることを始めるためにノートPCが必要だった。本当はデスクトップで、性能が良ければそれに越したことはなかった。しかしもちろん、いち学生の、つい数ヶ月前まで中坊のガキだった自分に、高性能デスクトップPCを購入できる資金力などあるはずもなかった。


 そこで手を貸してくれたのが父親だった。本当は中古で買ってもらう予定だったが、そのことを職場の人に話すとちょうど処分予定のノートPCを持っているとのことだった。しかもそれは父親が購入してくれる予定のものよりスペックが高いものだった。

 二つ返事で受け入れて、譲渡してもらう予定の日を心待ちにした。

 その日が七月二十三日だった。


 父親が帰ってくると、俺はなるべくはやる気持ちを抑えながら声をかけた。

 すると父親は鞄から包に入ったPCを渡してくれた。

 速攻で自室に戻り、充電器をつないで電源を入れた。

 さすがにマウスは付いていかなったので、事前に購入していた。安物だったので、反応速度が遅かった。PC中央下部のパットで直感的に操作した方が速かった。


 PCはしっかりと初期化された状態だった。家のWi-Fiを登録して、Utubeを開いて、あらかじめ作成したアカウントでログインした。そして画面右上に表示されている人型マークをクリックして各種ホップアップを表示させる。

 上から二つ目の、「投稿用チャンネルを作成する」をクリックし、次のページへ。そして諸々の手続きを済ませると、無事、チャンネルが出来上がった。


 そうだ。俺はこの日Utuberへの第一歩を踏み出したのだ。

 チャンネル名は『グラサンHERO★ユッキャーノ卍』

 近年稀にみるくそださネームであり、それ以上に投稿内容も見るに堪えないものである。

 はっきり言おう。これが黒歴史だ。

 もちろん、黒歴史が出来上がる瞬間に、その人物が「ああ、これは黒歴史になるな」と思っていないのと一緒で(もちろん中には進行形で黒歴史を認識する人物もいるだろうが)、その当時の俺はそれが黒歴史になるなどとは一切疑わなかった。むしろ本気でヒーローになれた気がして、十五歳の貧弱な体に全能感が宿ったように感じたものだ。


 俺はその日から自室で撮影を始めた。撮影の邪魔をされては困るので、適当な裏紙に『撮影につき立入禁止!!』と殴り書きしたものを扉に貼り付けた。

 ビデオカメラは、親が昔使っていたものを使うことにした。あらかじめ試し撮りをしていたので、設定には困らなかった。


 机の引き出しからとっておきのアイテム――百均で買ったグラサンを装着し、適当に縫い合わせた赤と金と黒のマントを羽織った。

 三脚などどいう代物は、十五歳のがきの頭には一切なかったので、カメラを窓枠に置いて、筆箱やゲームの空き箱なんかで高さを調整した。


 さぁて、記念すべき一本目の動画だ。


 カメラの録画開始ボタンを押し、決めていた位置に立つ。

 すうっと大きく息を吸い込み――


「ぶぃんぶぃん、ひゃっほーUTube! 俺はぐりゃ――」

 噛んだ。噛んだし緊張していて声を上手く出せていない。カメラに挿入されているチップの容量は少ないので、一旦停止ボタンを押して、即座に動画を削除する。


「ぶぃんぶぃん、ひゃっほーUTube! 俺はグラサンヒーローユッキャーノだ!

 さあて今回の動画は――!!」

 結局、十いくつかのテイク数を出し、満足のいくオープニングが撮れた。

 こうして俺のUTube活動が始まった。


 動画編集の仕方も、サムネイルの作り方も、そもそも動画のネタも。何から何まで素人だった。

『グラサンHERO★ユッキャーノ卍』としての活動は、高一の夏休みから高二の秋までの約一年ちょっと続いた。その間に増えた登録者は十人いくかいかないかくらいだった。動画一本の再生回数は平均五回~十回程度。よくこのスタイルでここまで数字が取れたものだと、今では思う。こんなの、今の時代誰も見てはくれない。


 幸い、自分がUTube活動をしていることを友人にすら話さなかったため、学内の誰からもいじられることはなかった。本当は夏休み中に登録者一万人に到達したら自慢しようと思っていたのだが、夏休みが終わるまでに増えた人数はたったの一人だった。


 初めての登録者ができたことは今でもよく覚えている。八月上旬のある日、いつもみたく自分のチャンネルにコメントがついているか確認しようとしたところで、登録者が"一"になっていることに気づいた。

 嬉しすぎて鳥肌が立ったし、間違いじゃないかと二、三度更新し直した。紛れもなくそこには一人、登録者がいた。

 俺は舞い上がってしまって、その夏のほとんどをUtube撮影に費やした。登録者はそれから夏が終わるまで一切増えなかったが、別に構わなかった。

 俺はその一人に向けてひたすら撮影した。本来であれば、再生数や登録者の増減などで内容を変えるべきではあるが、そんなこと当時の俺にとっては分からなかった。何より、それ以上に登録者が一人でもいるという事実だけが、俺を突き動かした。Utubeを始めたての自分にとって登録者とは、それほどの価値があるものだったということだ。


 後々精神が成長していくにつれて、知識が増えていくにつれてこれが黒歴史だと理解できるようになっても、紛れもなくUtube人生の始まりだった。

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青春が枯れる前に 高瀬拓実 @Takase_Takumi

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