第4話 それって私のことですか?

「どうもー、2022年7月30日の俺です」

 底辺UTuberの俺でも、出だしの挨拶は特に意気揚々と気合を入れる。

 底辺にありがちなのは、暗く細々とした声で抑揚のない話し方だ。そこには自信のなさが溢れ出ていて、見ている側、リスナーはそういうのに思いのほか敏感である。少しでも淀んだ空気感や声の暗さが伝わると、すぐに離脱してしまう。

 単なる画面越しだからといって油断しているとそうなってしまう。リスナーの反応はリアルだ。


「今日はちょっと訳あって実家に戻ってました。まあ親に呼ばれて掃除をしただけなんですけどね」

 嘘である。掃除などしていないし、そもそも親に呼ばれていない。自分から赴いただけである。


 俺は事務所が設定したVtuberではない。個人のUtube配信者にすぎない。

 だからこそ発言の内容はその配信者個人に委ねられる。

 もちろん、企業Vtuberもある程度発言の自由は認められているだろうが、やはりアバターの設定がある限り、そこを逸脱してはならない。

 俺の場合、発言する内容は基本的に真実ベースで話す。

 ただし、底辺だからといってリアルタイムで流していい情報とそうでないものとを区別するようにしている。


 たとえばこの場合、俺は本当は昨日田口から聞いた高校の同級生神野綾子の死が気になり、そのために自ら実家に戻り、その手かがりとなりそうなアルバムを持って帰ってきた、というのが紛れもない真実だ。さらに付け足すと、その間ろくに水分を摂らずにいたため熱中症になりかけた、という経験もある。

 これについては後で話しても問題ないとして、

 神野綾子に関するトピックについては話さないでおいた方がいい。

 昨日の配信でかなりぼかしてはいるものの話題に挙げているし、昨日の今日でそれに関連する行動を取ったことに、視聴者はあれやこれやと関心を示すかもしれないからだ。

 関心を示されても、俺は高校三年間で一度もかかわったことがないのだから話を膨らませようがない。


「あ、ビビンバさんこんにちは。そうなんです、なんか手伝えって連絡が来たので。さすがに疲れましたねぇ。

 あ、そう言えば掃除してる間、あんまりにも集中しちゃってたんで水分摂り忘れてたんですね。そしたらちょっと気分悪くなっちゃって。いやぁほんま熱中症にはみなさんも気をつけてくださいね」


 皆さん、といっても同接数は4人、今コメントを打ってくれたビビンバさんと、返しの自分と、あとは潜りの2人。


 ――熱中症まじ危ないですからねー。

 とビビンバさん。


「いやほんまにやばいっす。

 あ、あと部屋片付けてる時に高校のアルバムを見つけて。休憩がてら見てたんです」

 何となく配信机の脇に置いていたアルバムに目をやる。

「何年振りに開いたかなぁ、卒業して以来開いてへんかもなぁ。なんか懐かしくなってね。まあ俺陰キャやから全然写真写ってへんかったけどさ」

 と自嘲しながら発信した。

「なんか、学生時代のアルバムって、こういう陰のタイプの人間にとっては凶器みたいに感じるんすよね。いや、もちろん懐かしいっちゃ懐かしいんですよ。けどそれ以上になんて言うか、当時の空虚さ? みたいなものがダイレクトに届いてくるっていうか。たとえば文化祭の写真とか見ると、あーこいつはクラスのリーダー的存在でクラスまとめてたなあとか、あいつも何かと頑張ってたよなあとか、でも俺はクラスの団結感とか、なんかそう言うのを壊さない程度に頑張るふりしてたなって。なんかそういうのばっかやから、アルバムってちょっと怖いんすよね」

 一人語りを終えると、自分の目が遠くを見る時のそれになっていたことに気づく。口元に余計な力が入っており、ほうれい線やら顎しわなんかが強調されているに違いない。知らんけど。


 ――俺は学生時代のアルバム全部捨てたっすわww


「ああ捨てたんですね。いや分かりますよ。実際俺も捨てようかなって思いましたもん。でもなんか、自分断捨離下手なんすよね。やから使わへんのにまだ置いてあるもんとか多くって。さらっと処分できたらええんですけどね」


 ――まあ、慣れてしまえばあとは楽っすよ


「そうですかぁー。じゃあまあちょっと、思い切ってやってみようかな」

 とは言いつつアルバムを捨てる自分を一切イメージできなかった。


 ――かわいい人いましたか


「すいちゃんさん、かわいい人ですかー。んー、まあそうですね、いたと言えばいたかもしれないっすね」


 ――おお、聞きたいです!!

 ――自分も興味あります!


 急に盛り上がり始めたコメント欄。やっぱリアルでもネットでも恋愛は需要あるねんな、と思った。


「いやいや、そんな大したことないですよ。俺は陰キャやし、そんな誰かに告白したりとかされたりとかないですから。ただ、まあアルバム見て、あーこんなかわいい人いたんやなあって。ただそんだけのことっすね」


 ――ってことは、アルバムで初めて顔知ったってことですか?


「はい、そうですね。まあその人一組で、俺は八組なんで距離的にそもそも遠かったっぽいんですよね。他クラスとの合同授業があったとしても、大体両隣くらいの範囲なんでかぶることもなく。まあもし近くにいたとしてもぜっったい話しかけられへんかったっすけどね!」


 自分の根性のなさを明朗に言ってどうすんだと心の中で自分に突っ込む。


 ――どういう系統のかわいさですか?


「どういう系統……。んーー、難しいなぁ。なんやろ、アラサーの俺がいうのもあれなんすけど、とにかくかわいいんすよ。俺が住んでたとこは大阪の田舎みたいなとこなんで静かな町なんですけど、まあおそらく東京とかやったら確実にスカウトされてるなって。ほんま万人受けする嫌味のないきれいな顔って感じっすね」


 と俺がコメントすると、常連リスナーから会いたい、顔見てみたいなどの反応があった。まあ冗談で言っているのは、常連であるから普通に分かる。だから俺もいつもの調子で、

「いやいや無理っすよ、プライバシープライバシー。もし会えたとしても俺ら非モテ陰キャは相手にしてもらえませんって。てか何より――」


 彼女はすでに死んでますから。


 危ないところだった。つい口を滑らせてしまいそうになったその言葉を、無理くり喉の奥でとどまらせて、机に置いてあった水で胃の中へ流し込んだ。


 ふう、と息を吐き出して、

「てか何より、アルバムの中の彼女にときめいたって虚しいだけじゃないすか。わかるでしょう?」


 ――まあ、確かにね。


 そこでこれまで続いていたある種の配信の流れが途切れたなと、感覚でわかった。

 長いこと配信をやっていると、何となくそういうのがわかるようになる。


「ちょっとトイレ行ってきますわ」


 と言って配信ソフトからマイクのミュートボタンを押して席を立つ。

 ゆっくり用を足し、水を注ぎ足して配信机に置き直した。


「ただいまですー」

 と返事をしながらコメント欄を見る。自分が離脱している間にコメントがあったか確認するためだ。

 1件だけあった。


 ――その子は学年のマドンナって感じなんすかね。


 マドンナ。そうだ、確かに彼女は――神野綾子はマドンナだった。三年間、ついぞ一度の接点もなかった彼女は、俺の知らないところで学年中の好意を意のままにかき集め、マドンナとなり、そして十年後に死んだ。ただそれだけの話だ。


「ま、そんな感じっすね。一度も会うことはなかったっすけど、多分マドンナやったと思いますよ」


 何となく窓の外に目をやった。モニターの向こうには、いつも通りの夜の町が見えた。大阪の中心部から離れた北部の町は、自分が大阪弁を話さなければそこが大阪とは思えないほど単調だ。

 個人的にはそれでいいと思う。俺は別に通天閣とかグリコとか道頓堀とか、ああいうところに興味がない。むしろ治安が悪いと思ってしまって滅多に寄りつかない。

 大阪も北と南とでは大きく雰囲気が違っているのだ。


 なんてことを考えていると、ふと我に返った。ちょっと無言の時間が長かっただろうか。意識がそれたということは、集中力も体力も切れてきた証拠だ。そろそろこの辺りで締めることにしようか。


「んじゃあいい時間なんで、そろそろ――」


 と言いかけたところで、新着コメントがあった。


 ――それって私のことですか?


 は? と思った。全然分からなかった。というか、分からないを通り越して困惑していた。


 というのも、そのコメントは反転して表示されていたからだ。

 最初Utube側のバグかと思った。そう思ったからページの更新ボタンを押した。押して再表示されたページでも同じく反転表示されていた。

 次に自分の目を疑った。意識して数回瞬きをしても変化がなく、部屋をぐるりと見回してからもう一度確認しても変化がなく、しまいには目のマッサージなんかをやってみても、そのコメントだけが反転していた。

 そうやっていくつか思いつく限りの対策を取ってみたが、意味はなかった。

 とは言えそれ自体にそこまで驚くことでもなかった。なぜならただ反転して表示されているだけだからだ。ざっと全体を見たところ、別段難しい内容ではなさそうだったし、漢字も一つしかなさそうだった。丁寧に一文字ずつ正規の形をイメージしながら読めば読解できそうだった。そして読解して、驚いた。


「それって私のことですか?」


 どういうことだ? 全く意味が分からない。

 俺は何かリスナーを特定するような発言をしてしまっただろうかと自身の発言を可能な限り振り返ってみた。

 しかしこの配信で話したことは、実家に戻って掃除をしたという嘘の話と、熱中症になりかけたという本当の話と、アルバムを見て虚無った話と、学年にマドンナがいたという話だ。

 極めてプライベートな話で、そこに他者が介入する余地はないように思えた。このコメント主は一体何を言っているのだろうか。


 そして俺はコメント主の名前を確認してさらに驚いた。

 文字化けしているのだ。Utube活動を始めて十数年、いまだかつてこのような現象を見たことがなかった。

 コメント主の名前さえ確認できれば、初見の人なのかそうでないのかの区別ができた。けれども、それすら不可能だった。よって、このコメントが誰が何のために送ってきたものなのか本当に分からないのだ。

 もしかしたら配信を間違えたのかもしれないし、よくない方に考えれば「荒らし」の可能性もある。

 だから無視しようとした。

 するとまるで自分の意図を汲み取ったかのように、また同じコメントが追加された。


 ――それって私のことですか?


 少し怖くなった。怖くなったが、せっかく新規のリスナーが来てくれたのかもしれないと思ったし、何より長年のUtube魂みたいなのが無視することを許さなかった。


「えーーっと、はい、それって私のことですか?」戸惑いながらも普段の調子を意識してコメントを読み上げる。「えーー、すいません、なんか配信ページバグっててお名前が表示されてなくって。これどなたのコメントでしょうか?」


 しばらくはだれも返事がなかった。文字化け反転名無しからのコメントもなし。

 しかしその後、本日の配信でコメントをくれたビビンバさんとすいちゃんさんから次のようなコメントが来た。


 ――すんません、何のことでしょうか。

 ――うちの配信画面にはビビンバさんと自分のコメントしか表示されてないですよ


 脇汗が肘にかけて一筋の後を作った。


 他のリスナーに、また別のリスナーのコメントが表示されないケースは公式に存在する。その人が対象のリスナーをブロックしている、もしくは非表示に設定している場合だ。一度設定すれば、こちらからわざわざ特定のページを開いて解除するまで、永久的に表示されないようにすることができる。


 しかし、そのためには一度必ず同じ配信に同時参加する必要がある。もしくは、配信以外で普通の動画にコメントをつけて、それを見つける必要がある。つまり、対象のリスナーを非表示にするためには、何らかの方法でそのリスナーとUtube上で出会う必要があるのだ。


 さて、文字化け反転名無しについて考えてみる。


 上述した可能性はある。

 ビビンバさん、すいちゃんさんともに、どこかのタイミングで文字化け反転名無しを非表示に設定した。反論を実証できない以上、それは可能性として残る。

 しかし、だ。正直その可能性はかなり低い。

 なぜなら、二人そろって同じ人物を非表示にするなどという偶然はなかなか起きないからだ。

 もちろん、配信や動画のコメント欄を手当たり次第に荒らしまくる「荒らし」であれば、別の配信や動画なりで遭遇した時に非表示に設定すればいい。

 ただし、それは文字化け反転名無しが「荒らし」であるという全体のもとに成り立つ話だ。


 彼、もしくは彼女が送ってきたコメントはいたってシンプルで、「それって私のことですか?」だけである。それを他の配信や動画でも執拗に送っているようであれば、「荒らし」認定されてもおかしくないだろうが、そういった人物は見たことがない。


 それに、何より。

 俺は底辺配信者なのだ。正直リスナーの数は限られているし、新規が来ることも荒らしが来ることも稀である。小さなコミュニティで、細々と活動しているにすぎないのだ。

 自分で言っていて悲しくなるが、こんなところに荒らしに来たり承認欲求を満たしに来たところであんまりというか、ほとんど意味はないように思う。


 文字化け反転名無しは、どうやら俺の配信画面にしか見えず、そしてわざわざ俺の配信を選んでコメントしてきているのだ。


 配信画面の、同接数を確認する。五人。文字化け反転名無しがいるのにもかかわらず、同接数は現れる前と変わっていない。さすがに背筋を寒いものが走った。


「えーーっと、なんやろ、困ったなあ……」さすがに困惑を隠し切れなくなっていた。「なんかバグってるんすかねぇ……」


 不気味なまま終わるのは視聴者にとっても後味が悪くなるので、努めて明るく締めようとする。

 が、俺が次の言葉を発する前に――


 ――アアアァアアアああぁああああアアアアアあああああああああああああああああああああああ

「うわあっ」


 反転した上に文字がノイズのようにギザギザと乱れながら表示されて。

 次の瞬間にはモニター自体に砂嵐が走ってPCごと落ちた。


「何やねん……」

 配信が強制終了した後の部屋は沈黙が過剰に感じられた。エアコンは運転しているはずなのに体は汗ばんでいた。


 あれは一体何だったのだろうか。

 考えても答えが出るはずはなかったが、考えずにはいられなかった。

 かと言って再度PCをつけ直し、配信履歴を確認することも今は躊躇われた。

 俺はベッドに横たわり、携帯で何か音を流そうとした。音楽の気分ではなかった。ましてやUtubeでもない。代わりにゲーム専用の配信サービスを開いて、適当に興味のあるゲームの配信画面を表示させて音量を大きくした。


 俺は結局そのまま寝落ちたのだが、眠りに落ちるまでそわそわしていた。

 しかも俺はずっと自分の耳がおかしくなったのか気が気ではなかったのだ。

 なぜなら、文字化け反転名無しの最後のコメントの時、それと同じ叫び声みたいなものがモニター越しに聞こえたような気がしたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る