第33話 運命に縋りつきたい

 立ち去る先生の背中に、思いをぶつけたかった。

 先生に会うと元気になる。勉強を頑張れる。それでもダメなの? って。 

 けれど、理性が止めた。先生の言ったことは、間違っていない。

 受験日は二月上旬。あと四ヶ月もない。冴木先生が好きだけれど、優先順位を一番にしてはいけない。


 部室のドアが閉まった音が、静かな廊下に響く。

 温かなものが頬を流れ、ぽたっと一滴、伝い落ちた。


「ゆうちゃん、あの……」


 暁斗と石渡が、心配して寄ってきた。帰らずにいたらしい。

 私は取り繕うこともできず、二人の前で号泣した。



 泣くのを止められない私を、暁斗は同じ階にある情報処理教室に引き入れた。

 私は教室の隅にうずくまると、膝を抱え、嗚咽をあげた。

 自分が情けなかった。だが同時に、怒りも沸いた。

 勉強を疎かにしていない。その証拠に、模擬試験では常にB判定。頑張っているのだから、放課後の少しの時間ぐらい、会いに来たっていいじゃないと反論したい。

 だが、もう一人の私が諭す。B判定って、合格する可能性が60パーセント程度ってことだから。A判定をとれないくせに、余裕ぶるな!


「私のこと、嫌いになったかな……」


 冴木先生が好きだというエネルギーは、勉強の着火剤になっている。以前より、成績が上がっている。

 けれど先生からしてみたら、時間の使い方を間違っているように見えるのだろう。

 

「はい、ゆうちゃん。シルクハットに、ハテナマークをつけてくれたお礼」

「ありがとう」


 暁斗が、ペットボトルのミネラルウォーターをくれた。

 泣きすぎてカラカラになった体に、冷たい水が染み渡る。細胞が生き返って、私はふうーっと長く息を吐きだした。

 同じ三階にある音楽室から、合唱部の歌声が響いている。


 ふと見ると、所在なげに石渡が立っている。おとなしいので、いるのに気づかなかった。

 二人に泣いている姿を見られてしまった。黒歴史が増えた、とぼんやりとした頭で考える。

 暁斗は、困ったようにこめかみをポリポリと掻いた。


「あのさ。ゆうちゃんの好きな人って、冴木先生?」

「……うん」

「そっかー。もしかして、フラれた?」

「フラれてはいない。呆れられただけ」

「そうなの? フラれたように見えたけど」

「違う。注意されただけ」

「へぇー、擬態でも注意するんだ。めずらしー」

「そのあだ名は使わないで! 擬態じゃないから!!」


 怒りで声を荒げた後。確かに、先生が注意するのは珍しいと思った。

 考え込む私に、暁斗は軽い口調で話を続けた。


「冴木先生のどこがいいわけ? 俺のほうがいい男じゃん。今年の文化祭、花火やるよね。一緒に見ようよ」


 ズキンっ──。


 心臓が跳ねた。



 花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を一緒に見よう。花火を……。



 私の内側で、言葉が反響している。

 まるで鐘がグワングワンと鳴って、街中にその音色を響かせて時を告げるように。音が、古い記憶に共鳴している。なにかを告げたがっている。


 私は目を閉じた。黒縁眼鏡をかけた幼馴染が、瞼の裏に蘇る。

 そこにいるのは、やんちゃな男子に下僕扱いされていた気弱な幼馴染ではない。

 身長も、体つきも、輪郭も、目つきも、声も、雰囲気も、仕草も、男らしい。 


 ──村のお祭りで、花火やるよね? 花火、一緒に見に行かない?


 めぐみの中で、なにかがコトンと動いた。

 なんでもない年下の幼馴染が、気になる男の子へと変わった瞬間だった。


 ──花火の約束、守りたかったよ。楽しみにしていたから。だから神様に、ぴろりんに会いたいって、お願いしたんだ。生まれ変わるから、待っていてね。


 閉じた瞼から、熱い涙がこぼれ落ちる。

 青い空の波の音が聞こえるあたりに落としてしまったものを、ようやく思いだした。

 私がするべきことは、前世の自分に嫉妬することじゃない。十五歳で死んでしまった私のために、望みを叶えたい。

 分離していた及川めぐみと渡瀬友那の想いが、重なる。

 

 私は指先で目を擦ると、すくっと立ちあがった。


「二人ともごめんね! 私やっぱり、ぴろりんが好き! ぴろりんと花火を見るっ!!」

「ぴろりん?」

 

 暁斗と石渡がキョトンとしている。私は息を大きく吸って、宣言した。


「文化祭の最後は、創立150周年を祝う打ち上げ花火。私は、冴木先生と一緒に花火を見ることをここに誓います!!」

「マジか……。ゆうちゃんって手強すぎる。いったいいつになったら、俺に惚れるわけ?」

「好きな人に一直線。渡瀬先輩らしいです。何度振られても、立ち上がる。僕、感動しました」


 暁斗は困り顔で、ふわっとした猫っ毛の髪の中に指を入れた。


「失恋したゆうちゃんを慰めて、俺に惚れさせる計画だったんだけど。石渡くんも、そうでしょ?」

「自分はそんなことは……」

「本当に? 善意百パーセントでここにいる?」

「……すみません」

「暁斗くん、石渡くん。ごめんなさい。私、もう少しだけ、運命に縋りつきたい。運命の赤い糸の先に、冴木先生がいるように思うんだ。でも、もしそれが勘違いで、赤い糸が冴木先生の指に結ばれていなかったら……。二人にお願いがあります」


 私のしつこさは、ストーカーになる可能性を秘めている。ぴろりんに迷惑はかけたくない。


「花火を一緒に見て、そして、卒業式の日に告白します!! もしダメだったら、諦める。だけど私の性格上、潔く諦められる気がしない。だから、二人にお願いがあります。失恋しても未練がましく追いかけていたら、ビンタしてください! お願いします!」


 頭を下げた私に、暁斗は嫌そうな顔をした。


「女の子にビンタしたくない。それよりも、いい方法がある。失恋の傷を癒すのは、新しい恋。ってなわけで、俺とデートしよう」

「あ、いいですね」

「眼鏡くんもデート希望? じゃあさ俺、オプションにキスをつけたい。眼鏡くんは?」

「あー……僕は、渡瀬先輩に罵られたいです……」

「石渡くん⁉︎」


 石渡くんの発言に私は驚きの声をあげ、暁斗はお腹を抱えて笑った。

 健全な恋がしたいのに、変な人しか寄ってこない。モテ期が無駄すぎる。

 やはり私は、好きな人を追いかけるほうが性に合っている。


 

 

 


 



 

 

 

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