第32話 嬉しくない

 部室に入ると、冴木先生の姿はなかった。先生のいない新聞部に用はないので、紙パックの飲み物を差し入れして、片手を振る。


「じゃ、塾があるから帰るね。皆、頑張って」

「渡瀬先輩、ありがとうございます!」


 新聞部は文化祭で、新聞の歴史について発表する。大きな方眼紙に書き連ねた文字に間違いはないか、最終チェックをしている後輩たち。

 帰ろうとする私に一年生三人は笑顔を浮かべ、二年生二人は慌てた。


 私は敏感じゃない。だけど、鈍感でもない。二年生の石渡いしわたりまことが、私に好意を持っていることに気がついている。

 二年生の原智成が石渡の背中を押しているのが、視界の端に映った。気づかないふりをして、廊下に出る。

 私を追いかけて、石渡慎が廊下に出てきた。


「渡瀬先輩! あ、あの、これ、家族で太宰府天満宮に行ったんです。お守り、良かったら……」

「くれるの? ありがとう」


 語尾までしっかりと言わないのが、石渡らしい。石渡は、真面目な優等生。

 原智成が背中を押したからお守りを渡しに来たけれど、そうじゃなかったら、モジモジして渡せないように思う。

 気弱な男子は嫌いじゃないし、恋愛を後押しする男同士の友情も微笑ましい。だけど、応えられない。

 私はお守りを受け取ると、礼を言うだけに留めた。

 本当は、太宰府天満宮はどんなところなのか聞いてみたい。だけど話を盛りあげて、未来を期待させてしまうことはしたくない。


「あっ、いたいた! ゆうちゃん!」


 晴れ渡った空のように曇りのない、明るい声。なぜか、村上暁斗が三階にいる。


「昇降口に行ったら、ゆうちゃんの靴があったからさ。一緒に帰ろう」


 鋼のメンタルでグイグイ押してくる、イケメンモテモテ男子の村上暁斗。

 真面目でおとなしい、優等生の石渡慎。

 この二人の他にも、一緒に勉強をしようと誘ってくる男子が何人かいる。


 占いによれば、私の今年の恋愛運は最強らしい。十二年に一度のモテ期到来。

 それなのに、冴木先生となにもない。色っぽい会話など、皆無。私と先生は、忠実に生徒を先生をこなしている。

 モテ期が無意味すぎる。


「ゆうちゃん、聞いている? 一緒に帰ろう」

「ごめん。私、好きな人がいるから」

「誰?」

「教えない」

「付き合っているの?」

「ううん」


 暁斗は天然の茶色みがかった髪をかきあげると、石渡に微笑を向けた。


「付き合っていないなら、諦めるって選択肢はないよな。君もそうでしょ?」

「ぼ、ぼくは……」

「加瀬先輩にさ、うるさい。しつこい。ウザい。興味ない。って冷たくあしらわれても、ゆうちゃんはめげることなく追いかけていた。かっこよかったよ。ゆうちゃんの真似して、俺も追いかけてみたくなったんだよね」

「私じゃない人を追いかけてよ」

「イヤだ、ゆうちゃんがいい。な、眼鏡くん?」

「…………」


 同意を求められた石渡は、顔を真っ赤にした。

 私は不毛なやりとりに嫌気が差して、体の向きを変えた。

 すると、廊下の向こうから歩いてきた人物が視界に入った。血の気が引いて、目の前が真っ暗になる。


「冴木先生……」


 なんて最悪なタイミング。男子と仲良くやっていると勘違いされるのはイヤだ。


「そのお守り、どうしたの?」


 暁斗が、私の手の中にあるお守りに気づいた。石渡が答える。


「太宰府天満宮の学業のお守りです」

「眼鏡君が買ってきたの? わざわざ?」

「いえ。母の実家が福岡なので、それで……」

「へぇー、気が効くじゃん。ゆうちゃんのこと、好きなんだ?」

「あの、僕は、そんな……」

「アハハ! 顔が真っ赤だよ。可愛い。俺も、ゆうちゃんが好きなんだよね。俺たち、ライバルだね」

「やめてっ! 黙って!!」


 冴木先生に聞かれる、っていうか、絶対に聞こえた!! だって、先生は私たちの横を通り過ぎようとしている。

 先生は心にあるものを顔に出さない。曖昧な表情でいるのがうますぎる。

 部室のドアに手をかけた先生の背中に向かって、叫ぶ。


「冴木先生!! 今日の授業でわからないことがあるんです! ちょっとこっちに来てください! あ、二人は絶対に来ないで!!」


 手でおいでおいでをして、廊下の端に先生を招く。先生は渋々といった態度で、ドアの取っ手から手を離した。

 窓から差し込む夕日。そのオレンジ色の光の中で、私と先生は向き合う。


「説明させてください! 私、あの二人のこと、なんとも思っていませんから!」

「今日の授業でわからないことって? 今日は歴史の授業、なかったと思いますけど」

「あー……っ、そうなんですけれど……」


 なんで、今日の授業って言ってしまったのだろう。授業でわからないことがある、だけでよかったのに。

 頭が働いていない。自分しっかりして! と叱咤しても、混乱している頭では言い訳すら思いつかない。

 麻衣は「モテ期を利用して、冴木先生を嫉妬させちゃおうよ」と話した。

 麻衣は頭脳派だから上手く立ち回れるかもしれないけれど、私は行動派。どうやって嫉妬させたらいいのかわからない。本心を話すことしかできない。

 

「あの二人のことなんとも思っていなくて、私は……」

「渡瀬さんが彼氏と別れた今が、チャンスだと思っている男子が多いそうですね」

「誰情報ですか⁉︎」

「新聞部の生徒が言っていました」


 身内を窮地に陥れるなんて! 飲み物やお菓子の差し入れをしてきたけれど、今日限りやめよう。

 

「渡瀬さんは明るいし素直な性格だから、人気があるのはわかります。でも、受験生なんですから、羽目を外さないように。大学生になったら遊べるんですから、今は勉強に専念したほうがいいです」


 トゲトゲしい言い方。先生が不機嫌になっているのを、初めて見た。

 どうやら、受験生のくせに男子と遊んでいる、と思われているらしい。

 軽薄な女だと誤解されたくなくて、必死に説明する。


「違います!! 羽目なんて外していません! 受験生だって、ちゃんとわかっています。勉強を頑張っています。私、チャラい女じゃないです。勘違いしないでください。私別に、モテモテになりたいわけじゃない。モテるのは一人でいいんです。冴木先生にだけモテたら、それでいいです!!」

「渡瀬さん、落ち着いて! 学校でする話じゃないです」


 鋭い口調で制止され、ハッと息を飲む。先生の顔が険しい。


「でも私、遊んでいるって思われたくなくて……」

「思っていないです。すみません。意地悪なことを言いました」


 シュンとしてうつむいた私の耳に、先生のため息が届く。


「それよりも、受験まで四か月ないですよね? 新聞部に来なくていいですから。時間を有効に使ってください。将来のこと、形になってきたんでしょう?」

「そうだけど……。でも、息抜きも必要ですよね?」

「息抜きをしたくて新聞部に来るなら止めませんが、それ以外の理由で来ているのだとしたら、そんなことしなくていいです」

「でも、先生と話したくて……。迷惑ですか?」

「今、渡瀬さんがすべきことは、僕に会いに来ることじゃないです。優先順位が間違っている。勉強する時間を犠牲にして会いに来られても、嬉しくないです」


 嬉しくない。

 その言葉が、グサリと胸に突き刺さる。


 



 



 

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