第35話 想いを抱えて生きていく

 自分が担当する時間を終えて、休憩に入る。友達に他のクラスを見て回ろうと誘われたが、そんな気分になれずに断った。

 新聞部の部室で空を見上げて過ごす。なぜか暁斗が一緒。


「握手したかったな」

「ゆうちゃん、自分のこと運がないって思っている?」

「思っているよ! バリバリに思っている!」


 鼻息荒く肯定する私に、暁斗は苦笑いした。


「だったらさ、自分から運を引き寄せないと。花火に誘ったの?」

「……まだ」

「花火は六時だよ。あと三時間しかないじゃん。早く誘いなよ」

「そうなんだけど! 先生、ずっと誰かと一緒なんだもん!」

「だったら余計に、一人になる瞬間を狙わないとじゃん。それなのにどうして、ここにいるわけ?」


 私を見つめる、暁斗の色素の薄い瞳。私は、体をもじもじと左右に動かした。


「だって、もし断られたら? 受験生なんだから遊んでいる暇はないって、怒られたら?」

「はぁ? なに? 受験生は、二十四時間勉強しないといけないわけ? 花火を見る権利もないの? ゆうちゃん、毒されている。恋愛がダメだって言うのは、夢中になって勉強に集中できなくなるからだろう? だったらさ、両方頑張ればいいだけじゃん」

「私、そんな器用な人間じゃない」

「バーカ。自分を見くびっている。ゆうちゃんは、恋愛パワーで勉強できる人だと思うけど?」

「そうなんだよ! 自分でもそう思う!! でも、担任も母も麻衣も塾の先生も厳しいことを言うから……」

「だったら、成績を上げればいいじゃん。それができていないから、厳しいことを言われるんだろう?」

「ごもっともです」


 ぐうの音も出ない。机に伏せた私の後頭部に、暁斗の手が置かれる。


「俺みたいにならないでよ」

「どういうこと?」

「臆病な人間」 


 暁斗の手が離れる。頭を起こすと、暁斗の顔は窓に向いている。ヘラヘラと笑っている調子のいい男子の横顔ではない。

 暁斗は、私の反応を伺うような恐々とした口調で話しだした。


「俺、好きな人がいるんだ。だけど絶対に無理だから、いろんな子と付き合っている。来るもの拒まず去るもの追わずって言われるけれど、その人以外、誰でもいいんだよね。誰もその人の代わりになれない。だけど、苦しさを少しでも埋められれば、それでいいっていうか……」

「意外。人を本気で好きにならない人かと思っていた」

「そうなりたい。そのほうが楽だよね」


 暁斗は鼻から息を吐いた。長い前髪が鼻息でふわりと浮く。


「俺の好きな人、知りたい?」

「うん」

「……親父の再婚相手」

「えぇっ⁉︎ それって……」

「うん。義理の母親ってヤツ。毎日、二人の仲の良さを見せつけられているっていう拷問。ひどくない?」


 暁斗は笑ったが、笑い声はすぐに引いた。真顔に戻る。


「絵画教室の先生だったんだ。俺のほうが先に好きになったのにさ。親父に取られるっていう、なにそれって感じ。あーっ、年の差って歯痒いよな! エロ漫画とかでよくあるじゃん。義理の母親と淫らな関係になりましたってやつ。そういうの絶対に嫌だ。あの人の笑顔が好きなんだ。ずっと笑っていてほしい。だから、好きだと伝える気はないし、勘づかれることも絶対にしない」

「人って、わからないね。暁斗って、女にだらしのない人かと思っていた」

「まぁ、そう見えるよね」


 私と暁斗は笑い、同時に黙り込んだ。

 暁斗は、苦しさを少しでも埋められればいいと言った。私も、片思いの中にいるからわかる。

 友達と遊んだり、美味しいものを食べたり、おもしろ動画を見て笑ったり。そうすることで、穴を埋める、正確にいうなら穴があることを忘れることはできる。

 けれどすぐに、穴の存在を感じて苦しくなる。だからまたなにかで埋めようとする。その繰り返し。

 想いを抱えていく、この苦しさから逃れられない。

 暁斗の柔らかい髪を撫でる。


「私たち、幸せになろうね」

「どうやって?」

「わからないけれど、何年後かに同窓会をしたとき。好きな人と幸せに暮らしているって言いたいね」

「うん」


 秋らしい黄金色の光が降り注ぐ、部屋の中。ポツポツとした声が響いては、消えていく。

 暁斗は腕時計に目をやると、立ち上がった。


「行くわ。二年の女子と約束しているから」

「もぉー、たまには拒みなよ。遊び人に見られるのって、損するよ」

「ゆうちゃんが彼女になってくれるなら、全女子を拒むけど? ……なんて、冗談」


 暁斗は、いつもと同じ爽やかな笑顔を浮かべた。


「俺と違って、ゆうちゃんには可能性があるもんな。冴木先生、押しに弱そうだし。最後まであがきなよ。運がないなら、引き寄せなよ。未来を怖がるなんて、らしくない。俺は、好きな人を夢中で追いかけるゆうちゃんが好きだよ」

「ありがとう」


 ごめん、と心の中で付け加える。

 恋愛に受け身の暁斗が、付き合おうと何度も言ってくれる。爽やかな笑顔の狭間に見せる、思い詰めたような目。

 私と付き合うことで、苦しい片思いから救いだしてあげられるかもしれないのに……。

 ごめんね。口に出さずに、何度も謝る。

 瞳が潤んでしまった私に、暁斗は困ったように、自分の髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。


「泣くの、禁止。抱きしめたくなる。冴木先生に叱られて、泣いた日あったじゃん。あのときなんで、眼鏡くんがずっといたかわかる?」

「ううん、わかんない」

「俺が変なことをしないように見張っていたらしい。あいつこそ、危険人物だってーの。ゆうちゃんの泣き顔に興奮してた。あいつの性癖、マジやばい」

「そういうこと言うのやめてー! 男子、怖いー!」


 私は耳を塞ぎ、そうして、二人して笑った。透き通った秋の空に似合う、無邪気な笑い声。


 今日という日を振り返ったとき、未来の私はどのような感情にとらわれるだろう。

 楽しく思うのか、切なくなるのか。それとも、後悔するのか。

 今はまだ、わからない。



 私は部室を出ると、冴木先生を探した。先生は体育館でダンス部のパフォーマンスを見ていた。

 社会科準備室へと走り、先生不在の机に手紙を置く。


『文化祭終わりの花火を一緒に見たいです。新聞部の部室に来てください。   渡瀬友那』


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る