第20話 思春期とは厄介なものである

 冴木先生に間接的に謝ることができて、幾分、気が晴れた。けれど、以前のように気安く話しかける勇気は復活していない。


 そういうわけで、登校時の朝の挨拶を避けるために、十五分遅く家を出ることにした。

 一ヶ月以上も朝の挨拶を続けてきたのに、それを止めるなんて、避けているのがバレバレ。


「先生のほうから、どうしたの? って、話しかけてくれないかな……」


 避けているのは私なのに、話しかけてほしい。気にしてほしいという、矛盾。でも仕方がない。人間とは矛盾を抱えた生き物だから、と分析してみる。


 私は、先生を避け続けた。心の中では、話しかけてくれるのを期待して。

 しかし、相手は生徒との線引きを心がけている人。踏み込んできてくれない。呼び出してくれたらいいのに、そうしてくれない。


「ちょっとぐらい、気にしてくれてもいいのに!」


 歴史の授業中。冴木先生は、意味深長な眼差しも気にしている仕草もノートへの書き込みも、してくれない

 そればかりか、神様も私を見放した。廊下ですれ違うことさえない。

 まったくもって、なにもない毎日。

 

 そういうわけで、私は先生を見つめることにした。目で訴えるのだ。

 自分でも疑問に感じる。目で訴えるよりも、話しかけたほうが早いのでは?

 この矛盾だらけの行動に、思春期とは衝動的で不安定なものだから、と説明を添えてみる。

 思春期とは厄介なものである。


 見つめるという行為は、すぐに成果をあげた。歴史の授業中、三回も先生と目が合ったのだ。

 喜んだものの、その日の夜。ふと、冷静になった。

 生徒を見回した流れの中に、私がいただけでは? 見つめているから、目が合っただけ。

 その証拠に、冴木先生の表情筋はピクリとも動いていなかった。


「つまらない!! 少しぐらい動揺してくれたっていいのに! 先生ってば、真面目すぎる。そこがいいんだけれども。でも、クッキーのお礼ぐらい言ってくれてもいいんじゃない?」


 私は浅ましい人間だ。手紙には『好みじゃなかったら誰かにあげてください』と書いたけれど、それは建前。

 先生のために作ったのだから、全部、先生に食べてほしい。さらには、クッキーのお礼を言ってほしいと心の中で催促している。実に厚かましい人間だ。

 

 日々のストレスが、想像をかきたてる。



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 手作りクッキーに感動した、冴木先生。美味しかったと伝えたくて、わざと一本遅い電車に乗って登校する。

 自転車で脇を通り過ぎようとする、渡瀬友那。彼女は笑顔がチャーミング。


「渡瀬さん! おはようございます。クッキー、最高に美味しかったです。ありがとう」


 渡瀬友那は頬を赤らめ、はにかんだ。冴木先生は、そんな彼女を可愛いと思った。


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「私ってバカなの⁉︎ 自分の想像がキモすぎる!! 登校時間を合わせるって、先生がそんなことするわけない。しかも、自分を可愛いと思っているところが、自意識過剰すぎてイタイ」


 だが私は、自他ともに認めるしつこい女。妄想はとどまるところを知らない。

 


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 期末テストが行われ、次々にテストが返ってくる。歴史もその一つ。

 渡瀬友那は、返ってきた歴史の答案用紙に驚いた。答案用紙の隅に、先生の文字があったのだ。


『クッキー、美味しかった。ありがとう。また作ってくれる?』


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「なんかもう、自分に疲れた。また作ってくれる? なんて、恋愛に奥手そうな先生が書くはずがない」


 煩悩まみれの妄想にゲンナリしつつ、でも、答案用紙に美味しかったと書くのはアリなのでは⁉︎ と、期待が膨らむ。

 そして現実的に、歴史の期末テストが返ってくるときがきた。試験の点数ではないものに、ドキドキする。

 緊張してコケないように注意しながら、歴史の答案用紙を受け取った。冴木先生は無表情だけれど、照れ臭さを隠していないとは言い切れない。

 私は急いで机に戻って、答案用紙の隅々にまで目を走らせた。


 ──なにもなかった。


 しかも、点数は七十八点。現実は渋すぎる。



 私は大バカ者だ。職業倫理が高い真面目な冴木先生に少女漫画的展開を望むなんて、時間と妄想エネルギーの無駄遣い。


「正気になろう。避けるのをやめて、自分から話しかければいいんだよね」


 十五分早く家を出て、猫背気味の先生の背中に挨拶をして、自転車を降りる。


「おはようございます! クッキーどうでした? 美味しかったですか?」


 そのように、自分から聞けばいいのである。

 それなのに膨らみすぎてしまった自意識が、自分からお菓子の感想を聞くなんて恥ずかしい! と喚いている。

 自意識って、なんて厄介。このままでは一生、冴木先生に話しかけられないかもしれない。

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