第17話 嘘つき
予想外の質問だったようで、冴木先生はポカンと口を開けた。私の質問の意味を探るためなのか、まじまじと見つめてくる。
先生の視線を受け止める。近距離で見つめ合っているせいで、眼鏡の向こうにある垂れ目が綺麗な二重をしていることに気づく。さらには、左の目の下に小さなホクロがあることも発見した。
「私、冴木先生の恋愛に興味があるんです。真面目な性格っぽいから、どんな恋愛をしてきたのか想像できなくて。逆に気になるってヤツです」
「たいしたことないです」
「じゃあ、その人のことを花火大会に誘ったのはなんで? 好きだったんでしょう?」
「引っ越すことになったので、その話をしたかっただけです」
「そうなんだ。恋愛感情は……」
「ないです」
ぴろりんは、めぐみに恋愛感情がなかった──。
仲は良いけれど、恋愛に発展しない。そういう幼馴染、世界中にたくさんいるだろう。だから、悲しく思うことも、傷つくこともない。それなのに……。
急速に膨らんでいく苦しさが、言葉を押しだす。
「その人は、どんな人だったんですか?」
「普通です」
「普通って?」
「いたって普通の人です」
「その人は、今、なにをしているんですか?」
「…………さあ……」
たっぷりとした間の後で響いた、虚ろな返事。
先生は話すことに乗り気じゃない。けれど、私がしつこく聞くから、仕方なく話をしてくれている。
及川めぐみは死んでいる。亡くなった人のことを根掘り葉掘り聞くのは、常識に欠けている。私は、先生の心の傷を抉っている。わかっている。それでも、質問するのをやめられない。心のどこかで、私がその及川めぐみなのだから、聞く権利があると思っている。
「最後にこれだけ教えてください。先生はその人のこと、今でも忘れられないですか?」
前世の記憶の扉は閉じられてしまい、新たに思い出すものはなにもない。だから私は、幼い頃に思い出した記憶をなぞるほかない。
及川めぐみの身体が横たわる棺桶。その棺桶に家族は、めぐみがよく着ていた服や好きだったお菓子や、家族写真を入れた。
ぴろりんの手には、百合の花。彼はめぐみの顔の横に白い花を添えながら、「忘れないからね」と囁いた。その目は潤んでいた。
──忘れていないよね? ぴろりんの心の中には、私がいるよね?
胸の奥深くで、めぐみが叫んでいる。けれど、その叫びは先生には届かない。
「……忘れました。この話はしたくない。彼女は事故で死んだので。気分のいい話ではない」
「忘れたって……。その人のこと、忘れたんですか? 嘘ですよね?」
お願い、嘘だと言って。私は祈る。
うつむき加減の先生。その顔色は悪い。
「忘れました。昔の話なので」
「その人のこと、どうでもいいってわけですか」
「違います。そういうことじゃない。ただ、亡くなって二十年になろうとしている。気持ちの整理がついたという話です」
自分の感情とめぐみの感情が入り混じっていて、なにがなんだかわけがわからなくなっている。
頭では亡くなった人を忘れていくことに理解を示しているのに、胸にはどす黒いものが渦巻いている。
母方の祖母が亡くなったとき。母は小学六年生の私を相手にして毎日、悲しみと後悔を
でも私は母の話を聞くよりも、宿題をしたりテレビを見たりゲームをしたかった。私も祖母が大好きだったけれど、一週間も毎日、思い出話を延々とされるのは苦痛だった。
「もう聞きたくない」と訴えた私に、母は寂しそうに笑った。
「そうよね。子供は今を生きている。昔の話をされても、嫌になるわよね。気持ちを整理して、前に進まないとね」
生きていくためには、忘れないといけないものがある。忘却と不誠実はイコールではない。頭ではわかっている。
それでも……。どす黒いものが渦巻いている胸の真ん中にあるのは、沸々とした怒り。
──忘れないって言ったくせに、嘘つき! 私は、会いたくて……──。
顔にフェイスタオルを押しつける。
「渡瀬さん?」
気遣わしげな声が、憎たらしい。
私は顔にタオルを押しつけたまま、低い声で怒りをぶつけた。
「先生って、嘘つきですね」
「…………」
「見損ないました。最低です」
「…………」
先生にしてみれば、なぜ渡瀬友那が怒っているのか、理解できないだろう。ちょうどいい機会だ。私の前世は、及川めぐみだったとぶちまけてやろう。
タオルを下ろして睨みつけた目に、うなだれた先生の姿が映る。肩が力なく下がっている。
「友那っ!!」
タクシーの後部席から降りてきた母が、私の名前を呼んだ。こっちに向かって走ってくる。
「先生。私は……」
「すみません」
「なんで謝るんですか?」
先生は顔を上げると、陰を帯びた暗い瞳を隠すかのように、ゆっくりと目を閉じた。
「嘘つきで、すみません」
「嘘……? どういうことですか?」
母の出現で、これ以上尋ねることができなくなってしまった。
母はペコペコと頭を下げながら、先生にお礼を述べた。
「ほら! 友那もお礼を言いなさい!」
「あ、ありがとうございました」
「では、これで失礼します。ありがとうございました!」
母に背中を押される。母が乗ってきたタクシーに向かうよう、急かされる。
私は何度も振り返り、駅の煌々とした明かりに照らされている先生を見る。突っ立っている先生の顔にはありありと悲しみが表れていて、(なんだ。はっきりとした表情ができるんじゃん)と笑いたくなった。
けれど実際に私がしたことは笑うことではなく、泣くことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます