第13話 雨の月曜日でも気分は上がる

 月曜の朝が憂鬱だった。日曜の夜から、「明日は学校か。だるぅー」とテンションが下がっていた。

 それが変わった。理由は二つある。


 一つは、修哉に振り回されるのが嫌になった。三年も夢中で追いかけていたというのに、両思いになって三ヶ月。恋心が冷めた。現実が見えた、と言い換えてもいい。

 そういうわけで、修哉に会わなくてすむ月曜日が好きになった。


 もう一つの理由は、冴木裕史先生の授業があるから。

 先生は、熱が感じられないボソボソとした話し方をする。けれど声質が良いので、聞きづらくはない。

 先生はたまに、小ネタを挟んでくる。そのときは、声に熱量が加わる。


 先週の授業。先生は、歴史上の英雄と呼ばれる人たちの名前を上げた。

 マケドニア王であったアレクサンドロス大王。革命家ナポレオン・ボナパルト。中国統一をした始皇帝。モンゴル帝国のチンギス・ハン。天下を統一した豊臣秀吉。

 それぞれの人物像や協力者や功績、没落までをきっちりと話したうえで、先生は静かに語りかけた。


「英雄もあなたたちも、最終的に求めるものは似ているように思います。人生で経験できることには限りがある。だからこそ、歴史の人物の生き方に触れる意義があるのだと思います」


 授業終わりのチャイムが鳴り、先生は「終わります」と、教科書を閉じた。

 冴木先生に『擬態』というあだ名をつけた玉木たまき晴翔はるとが、


「ええっ⁉︎ 最終的に求めるものってなに⁉︎ 気になるんだけど!!」


 と叫んだ。


「気になる。それが勉強の入り口です。自分なりの答えが見つかったら、教えてください」


 冴木先生は唇に微笑を乗せ、教室から出ていった。

 私の隣の男子が頭の後ろで手を組みながら、


「永遠の命とか、そういうもんじゃねーの?」


 と、投げやりに言った。

 そうかもしれない。でも少なくとも私は、永遠の命を求めていない。友達が次々に死んでいくのを見送るのは嫌だ。一人になりたくない。

 永遠の命とは、永遠の孤独とイコールなのかもしれない。

 また、別な考えにも至った。

 歴史とは単なる年表ではなく、生きている人間が作り出したもの。歴史的人物には血が通っていて、私たちと同じような悩みや訴求を抱えていた。

 歴史を学ぶことで過去に生きた人物とつながることができ、英雄が辿った浪漫や苦悩を味わうことができる。

 そんな楽しさを、冴木先生は教えたいのではないかと思った。

 


 サエキヒロシが冴木先生だとわかってから、月曜日が嫌いじゃなくなった。

 ご機嫌で鏡の前に立つ。雨の日はボブの毛先がピョンと跳ねてしまう。それをアイロンで真っ直ぐに伸ばす。それから眉を整えて、リップを塗る。


「よし、オッケー!」


 自分でいうのもなんだが、私は綺麗な顔をしている。目がぱっちりとしていて、まつ毛が長い。肌は毛穴の目立たない、つるつるたまご肌。

 スタイルの良さと、人懐っこい笑顔が自慢。辛口の母でさえ、「友那は笑顔がいい」と褒めてくれる。

 だが残念ながら、恋愛運がない。モテることはモテるのだが、キモいおじさんにストーカーされたり、遊びの関係を求められたり。

 修哉と付き合う前。イケメンモテモテ男子の、村上むらかみ暁斗あきとから


「ゆうちゃんって可愛いのに、加瀬先輩に振り向いてもらえなくて可哀想。俺のこと好きになってとは言わないからさ、セフレにならない?」


 と、爽やかイケメンスマイルで言われたことがある。「バッカじゃないの!」と白い目で見てやった。

 愛し愛されるピュアな恋愛がしたいのに、変な男しか寄ってこないという悲しい現実。

 

 玄関で靴を履くと、下駄箱の脇にある全身鏡で制服のチェックをする。


「制服もオッケー、笑顔もオッケー。では、行ってきまーす!」


 母は十五分前に出勤している。私は誰もいない室内に向かって、挨拶を投げる。

 今日は一日中、雨予報。そういうわけで、自転車ではなくバスで学校に向かう。

 窒息しそうなほどのぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られながら、腕時計を何回も確認する。


「混みすぎ。間に合うかな……」


 雨のせいで、道路が普段より混んでいる。しかも乗客は傘の雫を払ってから乗ってくるので、バスが出発するまで時間がかかる。

 冴木先生は、電車通勤。いつもと同じ時間に登校するだろうから、遅れてしまったら会えない。

 歴史の授業があるのだから、朝会えなくても問題はないのだけれど、なるべくなら朝の挨拶をしたい。


 学校前にあるバス停で降りると、窒息しかけていた体に酸素を送る。乗客の熱気を吸って温まった肺に、湿気の多い冷ややかな空気が入ってくる。

 駅から歩いてくる生徒の中に冴木先生はいるか探したが、見つからない。


「そうだよね。今の時間じゃ、学校に着いているよね」


 自宅の鏡の前で身支度を整えていたときの弾んだ気持ちが、風船の空気が漏れていくみたいに、シュルシュルと萎んでいく。

 雨はスニーカーのつま先を濡らしてしまった。下駄箱でスニーカーを脱ぐと、靴下まで滲みている。


「はぁー、やっぱり雨の月曜日って最悪」


 憂鬱な気分で廊下を歩いていると、前方に冴木先生の姿が。

 先生も私に気づいたらしい。真横に結ばれていた唇が緩んで少し開き、また引き結ばれた。


「先生っ!」

「おはようございます」

「わっ⁉︎ 先生のほうから挨拶された!!」

「驚くことではないと思いますが」

「だっていつも、私のほうから挨拶しているんだよ! 先生からなんて初めて!」

「そうでしょうね。渡瀬さんはいつも後ろから来るんですから」

「あ、そっか」


 自転車で通り過ぎながらの挨拶なのだから当たり前だ。でもそんな当たり前のことを言わないのが私。


「ね、先生! 後頭部に目玉をつけておいてください。私が近づいたら振り返って、先に、おはようって言ってください」

「何言ってんですか。妖怪じゃないんですから」


 私が変なことを言って、先生が呆れたようなツッコミを入れて。そのような関係が出来つつある。

 もしかして、と思う。及川めぐみと冴木裕史も、こんな会話をしていたんじゃないかな。だって、言葉が自然と口を突いて出てくる。


 修哉といるときは変にかしこまってしまい、自分らしくいられない。借りてきた猫という表現がぴったり。

 それなのに冴木先生を前にすると、だらーんと伸びてお腹を見せる猫みたいになってしまうのだから、不思議。

 冴木先生と、もっと仲良くなりたい。

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