第三章 恋に、さようならとこんにちはを

第12話 修哉先輩とのデート

 日曜日。カーテンを開けると、「やった!!」と歓声をあげる。

 白い雲と青い空のコントラストが美しい、絶好のお出かけ日和。

 今日は、加瀬修哉先輩とのデート。晴れたら公園に行く約束をしている。


 私は自分のために目玉焼きを作り、食パンにいちごジャムを塗って食べる。母の分は用意しない。母は、そのときに食べたいと思うものを食べたいそう。

 休日の母は、使い物にならない。心理カウンセラーとして病院で働いている母は、仕事に力を尽くしている。その結果、「休みの日はしゃべりたくないし、人と関わりたくない。一人の時間が欲しい」と部屋に引きこもっている。


「働くって、大変」


 平日は患者のために心を使い、休みの日に自分を取り戻す。そんな母の生き方を否定するつもりはないけれど、しんどいだろうと思う。

 冴木先生もそうだ。理想も情熱もなく、生きていくために働くなんて。


「生きるってなんですか、って聞いたら、なんて答えるのかな? まさか、生きるとは生命活動です。なんて、リアル発言をしないでしょうね?」


 朝食を終え、出かけるための身支度をする。

 歩きやすいように、黒のオールインワンの上に紫色のTシャツを着る。リュックを背負えば、ラフな格好のできあがり。

 待ち合わせは十時だが、修哉は遅れてくるだろう。付き合って知ったのだけど、修哉は時間にルーズだ。

 私は家を出ると、のんびりと歩き、待ち合わせ駅に十時八分に着いた。


「あ、シュウ!」


 デートの待ち合わせはこれで十回目だが、初めて修哉が先に待っていた。珍しいことがあるものだと、笑顔で手を振って駆け寄る。

 だが、数歩手前で笑顔を消した。修哉の目つきが険しい。


「遅れてごめんなさい」

「今、何時?」

「えぇっと、十時十分」

「待ち合わせ時間は、何時何分だっけ?」

「十時ちょうど」

「なんだ、わかってんじゃん。なんで遅れて来たの?」


 修哉をまじまじと見上げる。不機嫌な目と、きつい言い方。なんで責められているのかわからない。

 修哉はいつも、十五分ほど遅れてくる。でも私は笑顔で許してきた。


「シュウ、遅刻して来ることが多いから、今日も遅いのかと思って……」

「だから今日は早く来たんじゃん」


 そんなの知らないよ、って言いたい。早く家を出たのなら、メールくれたら良かったじゃん。そしたら私だって、早く来た。

 そう、言い返したい。でも、言えない。修哉の怒りの圧が怖い。


「……ごめんなさい」

「はぁー」


 修哉は大袈裟なぐらい大きなため息をつくと、なにも言わずに歩きだした。その背中を追いかける。


「どこ行くの?」

「買いたいものあってさ。渋谷に行こう」

「……うん」


 晴れたら公園に行く約束をしていたよね? 

 言葉は喉元まできている。あとちょっとの勇気で、口から出る。でも、あとちょっとの勇気が出ない。

 こういうのを本能と経験というのだろう。この人を怒らせたら怖いという、本能。不機嫌にさせたら、「だったら別れる?」と切り出される、経験。


 私を気にかける様子もなく、さっさと前を歩く修哉。

 私は修哉の、頼り甲斐のある強気なところが好き。自信家で、皮肉屋で、世界を斜め上から見て嘲笑しているところに、惹かれた。

 語彙力が豊富なうえに独自の視点を持っているから、修哉の書く記事は読んでいて面白かった。

 親友の北山麻衣は、「我が強くて、短気。顔は良いけれど、付き合ったら大変そう」と難色を示していた。

 でも私は、気難しい修哉先輩を理解して受け入れられるのは私だけ、って自惚れていた。


「さっきはごめん」


 揺れる電車。出入り口の手すりに掴まって外を眺めていると、唐突に修哉が謝ってきた。

 怒りも不機嫌さも鳴りを沈め、反省の色が顔に出ている。修哉は、顔に出やすい。表情がわかりにくい冴木先生とは全然違う。


「友那に早く会いたくてさ、いつもより早く家を出たんだ。友那、時間通りに来ると思っていたからさ。遅れて来たことにムカついた。俺、短気だよな。ごめん、反省する」


 修哉は、瞬間湯沸器。すぐに怒る。でも直情的だからか、情に訴えてくるような反省の仕方をする。

 この人はこういう人だから仕方がないと、私は笑って許す。


「うん、わかった。大丈夫だよ。その代わり、お昼奢ってよね!」

「わかった。あのさ、公園に行く約束だったよな。次の駅で降りて、公園に行こう」

「え、覚えていたの? 忘れているのかと思っていた……」

「友那との約束、忘れるわけないじゃん」


 修哉はご機嫌だ。笑うと目が細くなって、キツさが和らぐ。近くに立っている大学生ぐらいの女性が、修哉に好意的な目を向けている。

 修哉は俺様系イケメンというやつだ。俺について来い、という自信満々のオーラを放っている。

 私はリードしてくれる男性が好みのタイプだったから、片思い時代に「修哉先輩好きです! どこまでもついて行きまーす!」なんて、冗談めいた告白を何度もした。

 でも、付き合ってみてわかった。ついていくのって、疲れる。私にだって、感情や意思がある。


 ──渋谷に買い物に行くっていうから、気持ちを切り替えたんだよ。あそこのお店に行こうって、あれこれ考えていた。なんで私の気持ちを聞いてくれないの? どうして勝手に決めるの? 公園に行く約束を覚えていたんだったら、なんで渋谷に買い物に行こうなんて言ったの?


 不満が胸に渦巻く。この人は勝手だ。でもそんなこと、付き合う前からわかっていた。私なら彼に合わせられるって、自負していた。


「あっ!」

 

 カーブで電車が大きく揺れる。修哉の両手が伸びてきて、私を抱きしめる。

 大きくよろけずにすんだのはありがたいけれど、電車内での抱擁は恥ずかしい。


「もう大丈夫だから。離して」

「もうすぐ電車が止まる。友那は危なっかしいから、このままでいよう」

「でも人前だし……恥ずかしい」

「気にすんなって」


 修哉は陽気に笑うと、私の耳元に唇を寄せた。


「友那は可愛いから、心配なんだ。男友達なんて作っていないよな?」

「うん」

「俺のこと、好き?」

「うん」

「はっきり言えよ」

「……好きだよ」

「俺も友那のこと、好き。浮気したら絶対に許さないから」

「うん……」


 独占欲が嬉しかった時期もあった。だけど今は、苦しさが募る。

 

 

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