第11話 私は先生に興味津々です
「普通です」と答えた後、先生は石膏像のように固まってしまった。
私は背後から、パソコンの画面を覗き込む。真っ暗な画面に映る、眼鏡をかけた先生。その先生の頭から、きのこみたいににょきりと顔を出しているのは、唇を可愛く尖らせた私。
先生は気配を感じて、我に返ったらしい。何気ない感じで振り返った先生と私の視線が、ぶつかる。その距離、およそ十センチ。
冴木先生は、ボソボソと話す人らしくない悲鳴をあげた。
「うわぁーっ!」
「寝ないでください」
「寝ていないです! なにしているんですか⁉︎」
「びっくりさせてみました。元気でた?」
「でません!」
「もぉ、先生ってば、難しい人」
先生は右肘を机に置くと、うなだれるようにして、その右の手のひらに額を乗せた。
「渡瀬さんって、予想外のことをしますよね」
「世代のギャップってヤツですかね?」
「それもあるでしょうが、渡瀬さんの存在自体が不思議です」
「そうですか? 私からしたら、先生のほうが不思議です。なにを考えているのか全然わからない」
「僕も同意見です。渡瀬さんの考えていることもやっていることも、全然わからない」
「性別も年齢も違いますしね。ところで、このアンケート受け取れません。ちゃんと書いてください!」
アンケートを突き返す。しかし、先生は手を伸ばしてこない。
私は宙ぶらりんのアンケート用紙をピラピラと振って、不満を訴える。
「出身地が『福島』だけではわかりません! どこの村生まれか書いてください。幼馴染はいますか? の質問には『いる』って。相手の名前を書いてください。すべての答えを一言で片付けるなんて! 詳しく書いてくださーい!!」
「いいじゃないですか。僕に興味のある生徒なんていないんだから」
「ここにいますっ! 私は冴木先生に興味津々です!!」
「しぃー!」
先生は右肘を机から離すと、慌てて唇に人差し指を当てた。私はハッとして、まわりの先生に目をやる。
三人の先生はちょうど談笑していて、私の話は聞こえていなかったようだ。
「すみません」
「僕は教師で、君は生徒。線引きは大切です。特に意味のない発言だとしても、相手によっては誤解されることもありえる。気をつけるように」
「……はい」
私は声が大きいから注意されたのだと思ったのだが、そうではなく、『興味津々』というワードがダメだったらしい。
冴木先生は真面目だ。教師と生徒の線引きを大切にしているなんて、職業倫理がしっかりしている。
私は冴木先生が前世の幼馴染の可能性が高いから、興味を持っている。それなのに先生が(俺ってモテる!)なんて勘違いしたら、興醒めだ。
相手によっては、誤解されることもありえる。本当にそのとおり。
「先生、ごめんなさい。深く考えずに変なこと言いました。これからは気をつけます」
「わかればいいです」
「で、アンケートなんですが、出身地だけでもいいですから。福島のどこ生まれなのか、教えてください」
「さっき、どこの村生まれなのか聞いたけれど、なぜ村生まれだと思った?」
「えっ……」
「市や町ではなく、どうして村?」
「あぁー……べ、べつに全然意味はないです!! なんとなくそうかなぁって……お、おんなの勘ってやつですかね⁉︎」
先生は鼻から息を吐くようにして笑った。
「鋭いね」
「あは、あはは! ですよねー、私ってば鋭い! さすが!!」
「冴木先生、そろそろ会議を始めませんか?」
声をかけてきた野木美絵子先生。ふっくらとした丸顔と朗らかな声音に、私は(菩薩様! ありがとうございます!!)と、心の中で手を合わせた。
「では、私これで失礼しますので! アンケートこれでいいです! どうもでした! あっ、すみません。馴れ馴れしいですね。アンケートへのご協力感謝いたします。ありがとうございました!!」
冴木先生は優しいけれど、友達ではない。尊敬語や丁寧語をおざなりにしてはいけない。
生徒と教師の線を越えてはいけない。言葉的にも、気持ち的にも。
社会科準備室を退室し、ため息とともに緊張感を吐きだす。
「はぁー……、失敗しちゃった。サエキヒロシを冴木先生だと思っているから、つい、村発言をしてしまった。絶対に怪しまれた」
「渡瀬さん」
「うわぁーっ!!」
完全に油断していた。緊張を抜いて、弛緩したばかりだった。まさか背後から、名前を呼ばれるとは。
動揺して奇声をあげてしまった恥ずかしさから、アンケート用紙でペシペシと冴木先生を叩く。
「すっごいびっくりしたっ! 口から心臓が飛び出したっ!!」
「すみません。そんなに驚くとは思わなかった。これ、忘れ物」
「え?」
先生が差し出したのは、手のひらサイズのざら紙。そこに書かれた文字は、平安時代の荘園制度に関するもの。
なんでこれが忘れ物?
疑問は、途切れた文字によって解決する。これは歴史のプリントを切って、メモ紙にしたものだ。
ざら紙を裏返しにすると、ボールペンで書かれた文字が。
「先生!」
呼び止めたのと、社会科準備室のドアが閉まる際に立てたピシャリという音が重なる。
「ぴろりん、ありがとう……」
閉まったドアの向こうにいる冴木先生に、感謝を述べる。
唇が自然と弧を描く。今なら誰にでも優しくできそうだ。心が喜びで満たされる。
新聞部の部室に戻ると、私の親友でありクラスメートであり新聞部部長でもある北山麻衣が、後輩男子相手に文句を垂れていた。
「いや、別にいいよ。字数制限を設けていなかった私が悪いから。でも普通、こんなに書く? 留学先はカナダのバンクーバーで、ホストファミリーとこういう思い出がありました。だけで良くない? そこで出会った女の子の話とか、料理とか、失敗談とか。思いつく限りに書いてくれちゃって。後藤先生だけで、記事が全部埋まってしまう」
「麻衣、どうしたの?」
「このアンケート用紙、見てよ」
赴任してきた先生へのアンケート。麻衣は、英語の後藤稔先生を担当した。
後藤先生のアンケート用紙は真っ黒。よくこんなに書き込んだものだと感心する。
「冴木先生はどう?」
「むしろ、真っ白」
余白の多いアンケートに、麻衣は苦笑した。
「後藤先生と冴木先生を足して二で割ったら、ちょうどいいのにね」
「本当」
冴木先生から忘れ物だと言ってもらったメモ用紙は、私の制服のポケットに入っている。
これを新聞記事にする気はないし、麻衣にも内緒。私と冴木先生だけの秘密にする。
メモ紙に書かれた文字は、『福島県昭和村』
及川めぐみの出身地である。
サエキヒロシはやはり、冴木裕史先生なのだ。
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