第9話 先生は意外と話しやすい

「とっても簡単な質問をしてもいいですか?」

「なに?」


 冴木先生の声が硬い。警戒しているらしい。

 

「私がここに入ってきてから五分ぐらいたったと思うんですけれど、この五分で先生は、私に嘘をつきましたか? それとも嘘をついていませんか? イエスかノーの二択で答えてください」

「別に嘘は……」

「よぉ〜っく!! 考えてください。花火を見に行こうと誘ったことは一度もない。その答えでいいんですね?」


 イエス・ノー質問の意味するところがわかったらしい。冴木先生は、「二択じゃないとダメなの?」と苦笑した。


「二択以外なら、なにがいいんですか? 誘った相手の名前を言いたいとか?」

「いやいや、それはないけれど。忘れたっていう答えは?」

「ブブーっ! 残念ながらその答えは、学生新聞連合会千葉支部で禁止されています」

 

 両腕で大きなバツ印を作る。

 冴木先生は唇が薄いが、色も薄い。その薄い唇から、笑い声が漏れる。


「渡瀬さんって、すごい性格をしているね」

「そ、そうですか? 自覚はないですが……」


 なにを吃っているのだ、私は。暗い雰囲気を持つ先生が笑ったぐらいで、動揺するとは。


「先生、大丈夫! 私を信じて!! みんなには言いません。私だけの秘密にします。嘘をついたならイエス。嘘をついていないならノー。これ以上は深掘りしませんから!!」

「渡瀬さんも嘘をついたよね?」

「どこで?」

「学生新聞連合会千葉支部で、忘れたという答えが禁止されているっていうところ」

「……私のことはどうでもいいんですぅー!! 大切なのは、冴木先生の過去です!! お願い、教えて!! 気になって夜も眠れない!!」


 両手を組んで、祈る私。

 冴木先生は苦笑し、アンケート用紙に目を落とした。花火大会の思い出はなんですか、という問いを見ているのかもしれない。

 先生は、ゆっくりと答えを吐き出した。


「……イエスだよ」

「イエスっていうのは、嘘をついたってことですよね? 嘘をついたっていうのはつまり、花火大会に誘ったことがないと言ったことで、まとめると、学生時代に女の子を花火大会に誘った事実がある。そうですね?」

「学生時代とは言っていない」

「じゃあ、社会人になってからということですか?」

「いや……。はぁー、尋問されている気分だ。渡瀬さんは、いい新聞記者になれるよ」

「否定しないんですね! つまりは、学生時代に誘った経験があるということですね。わかりました! ありがとうございます!!」


 深々と頭を下げると、ボブの髪が顔の前に垂れた。腰を起こしながら、髪を払う。

 

「大変に参考になりました。いつか、深掘りしちゃうかも。そのときは、いろいろと教えてくださいね。よろしくお願いします!!」

「深掘りしないって言わなかったっけ?」

「こういうのをなんていうかわかりますか? 記憶にございませんっていうんです」


 まるで水風船が弾けるかのように、私と冴木先生は声をあげて笑った。文字にしたなら、あはは! という陽気な笑い声。

 初めて見る冴木先生の笑顔は明るくて、その目はドキリとするほどに優しかった。


「アンケート、明日取りに来ます」

「明日? 質問が多いんだけど……」

「特別仕様です。他の先生は十問ぐらいなんですけれど、私、冴木先生のことを知りたくて五十問も考えちゃった。あ、勘違いしないでください! 私、彼氏いるんで。付き合って二ヶ月半のラブラブな関係なんで。冴木先生を狙っているとか、そういうんじゃないです。不倫とか略奪とか、大嫌いですから。ただ、冴木先生の過去に興味があるだけなんで」

「わかった。勘違いしないでおくよ」


 冴木先生は、目を擦った。人差し指で目頭を擦るたびに、銀縁眼鏡も動く。

 先生の瞳はお疲れらしい。やや充血した目で、再び私を見た。その目はやはり優しくて、私をおかしな気分にさせる。


 野木先生が戻ってきた。私は入れ替わるようにして、社会科準備室から出た。

 色とりどりの風船の糸が体に絡みついて、ふわふわと飛んでいるような浮遊感。地に足がつかない。


「先生って、意外と話しやすい?」


 詮索しすぎてしまったし、先生の過去に興味があるだなんて言いすぎだ。でも、話すのが楽しくてやめられなかった。

 冴木先生のような陰気なおじさんと楽しく話せるなんて、意外だ。

 

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