第3話 花火を、二人で

 裕史は慣れた手つきで草刈り鎌を動かして、雑草をむしり取っている。

 私は向かい側にしゃがむと、麦わら帽子の下にある、火照った顔を見つめた。


「なにしているの?」

「草むしり」

「やっぱり。見たまんまだった。違う答えを期待していたのに」

「たとえば?」

「地下帝国の兵士、ザッソウマンをやっつけている」

「暑すぎて、体力残り三パーセント。つっこむ元気がない」


 私は、汗が滴る赤い顔から軍手をはめて草刈り鎌を動かしている手へと、視線を移した。


「……あのさ、結婚するなら裕史がいいって言った話なんだけど……」

「ぴろりんって呼ぶんじゃなかったっけ?」

「うわっ、そう! 自分で言って忘れていた!!」


 裕史は草刈り鎌を動かす手を止めることなく、笑った。


「なんていうかさ、こう……いい出会いってないじゃん? アホな男子しかいないっていうか。『元気? オレ便器』みたいな、しょーもないことを言う男子ばっか。だから裕史……ぴろりんが良く見えてしまったというだけで、この先いい出会いがあったら、ぴろりんの順位はどんどん下がっていくと思うんだよね」

「それって、今のところ、僕が一番だっていうこと?」

「え?」


 裕史はなにを言っているのだろう? 彼の思考回路は私とは違うらしい。


「ぴろりんが一番だなんて言っていない。一番は、イケメンアイドルの周防くんだから! そこは絶対に譲れない!」

「うん。譲ってほしいとは思っていない」

 

 裕史は腰を上げた。

 一ヶ所にまとまっている雑草の山を見るに、一時間ぐらい草むしりをしていたのだろう。

 裕史は首を回し、それから、腰に手を当てて上体を逸らした。


「うーん」

「唸り声、おっさんみたい」

「一秒ごとにおっさんに近づいていることは、否定できない」


 私は膝の上に置いていた、天ぷらが盛ってある皿を落とさないよう、慎重に立ち上がった。

 裕史の後をついていく。

 裕史は納屋に草刈り鎌と軍手を戻すと、麦わら帽子を脱いだ。それから、外にある水道の蛇口をひねる。


「眼鏡、持つよ」

「……ありがとう」


 顔を洗うのに眼鏡は邪魔だろうと思ったのだが、裕史はなぜかうろたえた。私は見て見ぬふりをする人間ではない。


「なんでうろたえたの?」

「……気が利くなって思って……」

「そうそう。村一番の気が利く女めぐみって呼ばれているから」

「ははっ。初耳」


 私は黒い縁の眼鏡を受け取り、裕史は腰を曲げて、流れる水を両手で受け止めた。

 裕史は顔をジャバジャバと洗い、その曲げた背中の白シャツが汗でびっしょりと張りついている様に、私は妙な気分になった。


「訂正したい! 結婚するなら裕史がいいって言ったのは、適当に言っただけだから! 本気じゃないから、誤解しないでね!!」

「うん」

「それに、年下に興味ないから! 結婚するなら、絶対に年上!!」

「うん」


 裕史は首にかけていたタオルで濡れた顔を拭くと、不思議そうに私を見てきた。


「な、なによ! なにかご不満な点でも?」

「いや。早口だなって思って」

「はぁー、それね……」


 眼鏡を返しながら、私は白状した。


「ぴろりんのシャツが汗で濡れているのを見てさ、なんかこう、大きくなったなぁって、しみじみしたというか。透けたシャツ越しに背中の逞しさを感じて、おかしな気分になったというか……変ですかね?」

「ぶっ! 僕に聞かれても……」

「困る?」

「うん」

「じゃあ、忘れて。私も、忘れた」


 まるで水風船が弾けるかのように、私は笑った。

 鼻歌を歌うかのような気楽さで、天ぷらの乗った皿を裕史に渡す。


「我が家の畑で採れた夏野菜だよ。召し上がれ。じゃあね」


 踵を返して、来た道を戻る。急いで帰ることもないので、一番星を見上げながらぷらぷらと農道を歩く。

 セミは相変わらず元気に鳴いているし、夕日は強烈な光を放っているしで、夏が薄れていく気配がない。

 それでも歴史上、季節が止まったことは一度もない。季節は確実に移ろい変わる。

 秋風が吹いたとき。私は夏の余韻に浸ることだろう。


「めぐみさん!」


 裕史が息を切らせて走って来た。顔を洗ったというのに、走ってきたせいでまた汗をかいている。


「なに? どうしたの?」

「あのさ! その……村のお祭りで、花火やるよね?」

「うん。そうだね」

「花火、一緒に見に行かない?」


 村祭りの締めは、打ち上げ花火。毎年、家の二階から見ている。高く上がった花火しか見えないけれど。


 なぜ、花火に誘われているのか。わけがわからないが、行かない理由はない。


「いいけど。メンバーは? よっちんとかサトコも来る感じ?」

「いや、二人で。めぐみさんと、僕で……」

「二人で……」

「うん」


 見つめ合っていた視線を先に逸らしたのは、私だった。声が上擦る。


「あ、そう、二人で。へぇー……」

「ここだと、高く上がった花火しか見えないから。川のほうに行ってみない?」

「そうだね。そっからだと、よく見えそう」

「うん。じゃ、そういうことで」

「わかった。そういうことで」


 行くと言葉にしたわけではないのに、漂う空気や気配から察するのが、幼馴染というものだろう。

 裕史は、家へと引き返す。その背中を見送っていると、裕史は門をくぐる手前でこちらを見た。胸の前で手を振ると、裕史はちょこんと頭を下げた。


「散歩は中止だっ!!」


 サンダルが脱げない程度の駆け足で家に戻って、父親のパソコンを開く。父は役場に勤めており、まだ帰ってきていない。


「花火に二人で行くって、どういうこと?」


 不器用な手つきでキーボードを打ち、『花火大会 男女二人』で検索する。出てきたのは……


・花火デートを成功させる秘訣。

・花火デートは恋愛進展の大チャンス!

・質問です。男友達に花火大会に誘われました。どういう意味がありますか? 

 答え。なんとも思っていない人を花火には誘わないです。仲を進展させたいのかも。


 私は中三女子で、裕史は中二男子。つまり私は年上で、彼は年下。中学生での上下関係というものは、本州と北海道の間に橋が架けられないのと同じで、気軽に越えられるものではない。

 それなのに花火デートとか、仲を進展させたいとか……あるわけがない!!

 


 


 





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