第2話 結婚するなら……
髪留めは、バンスクリップと呼ばれるもの。袋から取り出すと、西日に当たって、ピンク色のラメがキラキラと輝いた。
「わー、綺麗! 裕史もいいところがあるじゃん」
都会に住んでいる人なら、バンスクリップに浮かれたりしないかもしれない。けれど、可愛いものに飢えている私はテンションが上がる。
私が住む昭和村は、福島県の豪雪地帯にある。コンビニもなければ、大きなスーパーもない。深い山に四方を囲まれているため交通の便が悪く、携帯の電波が届かない場所もある。
過疎化が進む、昭和村。
裕史の家の十分遅れの時計のように、この村も平成という時代から遅れている。村は、昭和時代の田舎の風景を色濃く残している。
そんな、のんびりと進む時間の中で育った私には、向上心も野心もない。自分の才能がわからず、ぼんやりと生きている。
高校を卒業したら、村から出たい。東京じゃなくていい。新潟でも郡山でも仙台でも山形でもいい。おしゃれなお店がたくさんあるところなら、どこでもいい。
そう、私の夢はぼんやりとしている。ショップ店員になりたい夢があるけれど、具体的な目標はない。勉強ができないから、正社員になれるか不明。不安だらけの未来。
けれど、裕史は違う。宇宙からやってきたのでは? と思うほどに、勉強ができる。地頭がいいとは、裕史のような人間を指すのだろう。彼は、勉強ができるし協調性もある。都会でも十分にやっていけるだろう。
「結婚するなら、裕史がいいなぁ」
なんという不純な思考。おんぶに抱っこの甘ったれ女。
辺鄙な村から飛び出したいからって、裕史に養ってもらおうだなんて、煩悩にまみれている。
──ガチャンっ!!
金属音が鳴り響き、私は驚いて振り返った。
そこには、裕史が突っ立っていた。金属製の鍋の蓋がコロコロと転がっていく。
「あ……っと、その、誕生日プレゼントありがとう!」
「……うん」
「すっごいびっくりした。サプライズ成功だね!」
「うん……」
裕史の反応が薄い。耳が真っ赤に染まっているのは、暑さのせいだろうか。
恥ずかしそうな表情と、泳いでいる視線。
もしかして……と、だいぶ遅れて気がついた。
結婚するなら裕史がいいって、聞こえた?
あれは違う! 好意ではなく、現実逃避。将来性のある裕史を当てにした、ひっつき虫発言。言葉通りに受け取ってもらっては困る。
「あのね、ぴろり!!……ん? ぴろり?」
「ははっ。なにそれ」
動揺に焦りが加わって、裕史をぴろりと呼んでしまった。このまま押し通してしまえ!
「今日からぴろりって呼ぶことにする。可愛いじゃん」
「ピロリ菌みたい」
「ま、まぁ、そうかもね。じゃあさ! ぴろりんにする」
「ははっ」
眼鏡の向こう側にある裕史の垂れ目が、ふにゃりと笑う。嫌がられなかったのをいいことに、私は「ぴろりん決定!」と声を張りあげた。
「でさ……」
正直に話そうと思った。裕史なら給料の良い職業に就くだろうと考えた、打算的発言です。不純でごめんなさい、って。
けれど、騒がしい犬の鳴き声に謝罪の機会が奪われる。
「なにやってんの?」
「……別にぃ」
我が家の愛犬、茶太郎。雑種のオス、三歳。その茶太郎の散歩に行っていた兄の真司が、引っ張られるようにして帰ってきた。
裕史は、鈍く光る金色の鍋を拾った。たわしで擦りすぎて、鍋底は傷だらけ。
兄が裕史に話しかけるが、茶太郎の元気のいい鳴き声に負けている。
「裕史、なんで鍋持っているの?」
「お吸い物が出来たから、取りにおいでって電話があって」
「うちで食べればいいのに」
「おじいちゃんを連れて行くのはちょっと……」
裕史の顔が曇った。
以前。裕史と裕史の父親と祖父の三人で、我が家に夕食を食べにきたときがあった。裕史のおじいちゃんは、便器から盛大におしっこをはみ出させて床がびしょ濡れになった。
それから、我が家に来なくなった。
兄もそれを思い出したのだろう。
「大変だな」
そうポツリと言うと、茶太郎を犬小屋へと連れて行く。
訂正するなら今だ! と勢い込んだというのに、裕史は兄と並んで行ってしまった。私は、遠ざかっていく裕史の背中と、茶太郎の愛らしい尻尾がふりふりと揺れるのを、失意のうちに見送った。
◆◇◆◇
訂正というのは、その場でしないといけないものらしい。時間ができてしまうと、いらないことを考えてしまう。
「今から訂正するのって、わざとらしい? 恥ずかしいから否定しているって思われたら、最悪」
「めぐみー! 夕飯、持って行ってー!」
台所から、祖母が怒鳴るようにして叫ぶ。祖母は地声が大きいうえに、若干耳が悪い。
私はのそりと起きあがると、居間のテレビを消した。高校野球を見ていたが、ニュースに切り替わってしまった。「いいところだから、おばあちゃんが持っていて!」という言い訳ができない。
台所に行き、エビとナスとオクラとインゲンとシイタケと大葉の天ぷらが盛ってある皿を受け取る。
私の母は老人ホームで働いている。フルで働いている母の代わりに、祖母が夕食を作っている。
私はまるで忍者の末裔であるかの如く、冴木家に忍び込んで、天ぷらを置いてこようと考えた。
それなのに、裕史は庭に出ていた。麦わら帽子をかぶって、草むしりをしている。
土木作業員をしている父親が不在の日は、裕史が祖父の面倒を見ている。それだけでも大変だろうに、庭の手入れまでするなんて、裕史は働き者だ。
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