愛しの眠り姫

 ルゼが眠りに落ちてから、十日、一ヶ月、半年と月日が流れた。ルゼは浅く規則正しい呼吸をするだけで一度も目覚めず、寝返りもうたない。ただじっと、魔力の回復を待っているようである。


 静かで空気の良い別邸でルゼの目覚めを待つのだが、眠れる姫を見舞う客は多い。


──────────

♢アデリナ


「殿下、また来たの? そんなすぐには起きないでしょ」


 アデリナは人を実験動物のようにしか見ていない人間のように思われるが、ほぼ毎日ルゼの容態を見に来ては、特に何もせず帰っていく。一応は実力のある魔導師であるため、ルゼの容態は彼が一番正しく認識しているのだろう。

 ほぼ毎日訪れるアデリナと、クラウスは度々顔を合わせていた。


「心配しなくても、魔力は少しずつだけど回復してるよ。傷も治ってきてる」


 アデリナはベッドで眠るルゼの顔を覗きこみながら、独り言のようにそう呟いた。


 ルゼは一度に過剰なまでの魔力を吸収したために、負荷に耐えきれなかった肉体が内側から裂けていた。自然治癒と、魔力の回復に伴って傷も徐々に治りつつあるのだが、生来の魔力吸収能力の低さも相まって、回復するまでに時間を要している。


「殿下の魔力が、この子の体質に合ってないんだろうね。今ある魔力が全て入れ替わるまで、半年はかかると思う」


 と、半年前に言っていたが、一向に目覚める気配はない。おそらく、十年もの間少ない魔力で活動できるように身体が順応していたため、一度に多量の魔力を注ぎ込まれた反動が大きいのだろう。

 吸収された魔力は、体内で体質に合うように僅かに変化する。クラウスは一方的に自分の魔力を注ぎ込んだのだが、クラウスの魔力ではルゼの裂けた肉は治らないらしい。そのため、一度クラウスの魔力を全て放出し、ルゼの体内で新たに魔力を作る必要がある。 


「触るな」


 アデリナはいつも、眠っているルゼに触れようとする。クラウスが低い声を出せば、呆れたような声が返ってくるのだ。


「……姫に番犬はつきものだよねえ……」

 

 アデリナはルゼに伸ばした手を止めると、ベッドの脇、クラウスと対面する形で椅子に腰を下ろした。ただ息をしているだけの塊を、何をするでもなくただじっと観察しているクラウスを見やり、静かな空間に見合ったしんみりさをもった声を出す。

 

「すっごい場違いな質問してもいい?」

「するな」

「魔力全部渡した時さ、気持ち良かった?」

「出ていけ」


 アデリナは毎回訪問した時に、「場違いな質問していい?」と前置きを入れてから、本当に場違いな上に意味の分からない質問をしてくる。事前に考えてきているのかもしれないが、準備する必要もないくらいの話題の質の悪さだ。

 取り付く島もないクラウスに、アデリナがつまらなそうにため息をついた。「しょうがないから黙るか……」と言いたげな雰囲気で、黙らずに下らない話を発信しだした。


「魔力渡された側は苦しいんだけど、渡した側はその力の抜ける感覚が気持ちいいっていう……」

「黙れないか」

「しかも魔法陣がピッタリ重なった時に渡したら、異様な性的───」

「ここで話すな」

「じゃあどこで話すの?」

「墓」

「……」


 昔のアデリナは、誰も寄せ付けない冷たい雰囲気があった。愛想笑いを浮かべて本心を隠しているような男だったが、今ではただの馬鹿に近い。少なくとも、人の心配をして用事もなく足を運ぶような人間ではなかった。


 パタパタと足を揺らしてルゼを眺めているアデリナを一瞥し、再びルゼへと視線を戻すと、その額に触れた。


「……なあ」

「ん?」

「体温が異常に低いことには、何か理由があるのか」

「ないよ。ただの死にかけ」

「…………」


 アデリナは、死に対する人としての感情の動きが鈍いように感じられる。猫が好きだと言う割には、会った頃は特段何の悪意もなく猫を実験台にしていた。その性癖とも言える所業は、シャーロットに泣き叫びながら怒鳴られた日から止めたらしい。


「……お前、何年生きてるんだ」

「内緒」

「……」

「分からないだけだけどね」


 死にかけとは言うが、ルゼの鼻を摘むと、規則正しい呼吸音に一つ、フガッ、と濁った鼻息が混じる。


「……打てば響くおもちゃ?」

「怒るかと」

「起きてたらね」


 数秒摘めば、整った寝顔は息苦しさから歪められ、両手がぴくりと動く。


「……寝てる子に意地悪するの、趣味悪いですよ」

「怒るかと」

「遊んでるだけでしょ」

「もちろん」


 クラウスが手を離せば、ルゼは再びスウスウと微かな寝息を立てて眠りにつく。

 アデリナには何が見えているのか、その整った寝顔をまじまじと観察している。


「エーベルト君はさあ、ルゼさんが起きたらちゅっちゅするの?」

「は?」

「魔法陣の消し方教えようか」


 いつしかは、一度発動した魔法は消せないというようなことを言っていた記憶がある。アデリナはいつも、さも自明の理であるかのように嘘をつく。


「お前に借りは作らない」

「正しいね」

「……」

「ルゼさんに頼まれたら消しちゃうかも。そしたら殿下が対価を払ってね」

「……今聞いてもいいか」


 アデリナは頼み事がある時、いつも恩を着せてから動く。普通に頼めばいいのにと毎回思うのであるが、よく分からないがシャーロットからの教えらしい。アデリナはよく、シャーロットの教えを曲解している。

 クラウスの言葉に、アデリナが困ったような顔をしている。


「だったら何か他のを……」

「いいから早く言え」

「えー」


 アデリナは逡巡した後、なぜか恥ずかしそうに頰をかいて話しだした。


「子ども飼っててさ、東の方の蔵が大破しちゃった」


 アデリナは、ルゼたちが倒れていたところにいた子どもを無断で連れてきていた。アデリナが教えるのが得意とも思えないので、大方、聞き及んだ何かの魔法をその子どもが使った結果、暴発して蔵が破壊されたのだろう。

 大破させた日に知らせが届き、修繕の目処も立っているのだが、何故隠し通せていると思っているのだろうか。


 クラウスは、顔色をうかがってオドオドしているアデリナにため息をついた。


「……人を飼うな」

「何て言うの? 言葉」

「……育てる……」


 そう言いながらも、アデリナが教え導いているとも、衣食住の世話をしているとも思えない。


「育ててはないんだよね。なんか愛想いいのに、私だけあしらわれててさ」

「じゃあお前が飼われている」

「……おお! 適切かも」

「……」


 アデリナは適切な言葉を知った喜びからか、にこにこと顔を綻ばせている。

 いつも身一つで移動しているアデリナだが、今日は何か小さな荷物があるらしく、半球状の物体をルゼの枕元に置いている。


「これ空気の水分足すやつ。その子どもに頼んだら作ってくれたんだ。お礼はいらないから、倉の修繕費出さなくていい?」

「……出す気無いだろ」

「ありがとう!」


 そもそもアデリナに出す気があるとも思えない。アデリナは人の顔が見えないので、クラウスの怪訝な表情にも気づかずに、ルゼを一瞥するとさっさと出ていった。


──────────

♢シャーロット


「……お暇で?」


 シャーロットは週に一度の頻度で訪問している。クラウスと鉢合わせしたときには一瞬顔をしかめるが、アデリナ同様ルゼを挟んでクラウスの対面に座ると、静かな空気に消えるような細い声を出す。

 クラウスはルゼを眺めるシャーロットを一瞥すると、淡々と告げる。

 

「いつ起きるか分からない」

「いつ死ぬか分からないからではなくて?」


 シャーロットは答えも求めずにそう呟くと、美しく眠っている少女の唇をふにふにとつついている。アデリナの置いていった加湿器のおかげか、ルゼの荒れた唇の状態は随分良くなっていた。

 シャーロットはルゼの鎖骨あたりをちらりと見やり、呆れたように声を出した。


「ねえ、この子の体って誰が拭いてるの?」

「……さあ」

「貴方怒られるわよ」

「……」

 

 ルゼがクラウスを刺殺したという事実のおかげで本邸の人たちがルゼを受け付けなかったため、別邸で休養させている。しかし別邸にいる侍女の数人は、ルゼが魔女であることと、自分が世話をしている間に死んで責を問われることが怖いらしい。

 

 シャーロットは白を切るクラウスをちらりと見ると、ルゼの頬を撫でながら呟いた。


「この子の背中の傷をご覧になったことは」

「ある」


 シャーロットはいつどういう流れで見るに至ったのだろうか。クラウスが見たときにはルゼ自身は背中に傷があることに気がついていないようだったので、時系列としてはその後なのだろう。


 シャーロットは少し妙な間を入れてから、ふう、と小さく息を吐いて言った。


「私が見た時号泣してたんだけど」

「……」

「うるさいわねどうせ貴方は泣かれていないのでしょう。うるさいのよ聞いてないわよ」

「…………」


 シャーロットは持ってきた花を一輪クラウスに向かって投げつけると、怒涛の勢いで不満を吐き出した。クラウスは投げられた花を掴むと、ルゼの枕元に置く。

 ルゼは泣くほど嫌がってはいなかったような気がしたが、嫌だったのかもしれない。


 ルゼを見つめて黙り込むクラウスを、シャーロットが一瞥して舌打ちをしている。


「大丈夫じゃないの? 『殿下に見せるのは理に適ってるけど、それ以外は嫌なんだもん!』とか言うんじゃないの」

「……言わないだろ……」

「言ってたけど」

「……」


 シャーロットの物真似のルゼは随分幼いが、シャーロットの前にいるルゼが幼いのかもしれない。

 ルゼは自分のできないことや劣っている面に対する劣等感が強い。他人と比べて足りないと思うところは努力で補うようにしているようだが、肌の傷に関しては、シャーロットと比べたのかもしれない。


 シャーロットがルゼの鎖骨あたりを拭いながら、ボソリと呟いた。


「理に適ってるって婚約関係にあるからという意味でしょうけど、この子自分の感情誤魔化そうとしてるだけよね」

「俺に聞くな」

「複雑な気持ち」


 そう呟くと、シャーロットはクラウスの隣まで歩いて薄い冊子をドサドサとその手の上に落した。

 最近シャーロットの周りがうるさいようで、その話は派生してクラウスの新たな婚約へと繋がるらしい。この沢山の冊子にも、婚約者にふさわしい令嬢の身辺の情報が書かれていることだろう。


 見上げれば、冷たい視線で見下される。


「お薦めの順番」

「持ってくるな」

「嫌なら早く起こして」


 シャーロットはどうやらクラウスにも怒っているらしい。

 憎らしいと言うようなた顔をして出ていった。


────────

♢クラウス


 毎朝ルゼの様子を見に来るが、いつも目を閉じて微動だにしない。

 この日も早朝ルゼの部屋の戸を開けたところ、ベッドがもぬけの殻だった。


「!」


 シーツは誰かがいた形跡を示すようにシワができており、開けられた窓からは冷たい風に乗って雪が入り込んでいる。窓から下を覗けば、随分前に出たのだろうか、足跡は降り積もる雪で消されていた。

 クラウスも窓から外へ出ると、西の方へと歩く。ぐるりと屋敷を一周したところ、最初に下りた位置から数歩も動かないところでルゼが埋まっていた。

 暫く眺めていると、くしゃみと同時に頭に積もった雪が払われた。


「さ、寒いかも……」

「……当たり前だ」


 クラウスがそう返答すると、ずっと閉じられていた瞳が驚きに開かれた。その目には何か映されているのか、雪が反射して青藤色に光るだけである。美しい人形のような───


「───え!?」

「な……なんだ」

「なんでもありません」

 

 ぎょっとしたように目が丸く開かれると、体を起こしてブルブルと全身の雪を払っている。

 クラウスがその隣にしゃがめば、困ったような微笑をたたえて前髪に手が触れた。


「積もってますよ」

「───窓から出るな」


 何が嬉しいのやら、ニヤけた笑みを必死に隠そうとしている。

 クラウスも、ルゼに積もっている雪を払おうと手を伸ばしたが、なぜか華麗に避けられた。


「……は……初めまして……」

「……」


 どうやら視力は回復しているようだ。目が見えないうちは相手の顔を見て話そうとしていたのに、目が見えるようになったら伏し目がちになってしまった。

 一年昏睡していたことを告げると、驚きに目が見開かれている。


「───殿下、もう他の人と婚姻されてますか?」

「…………」


 驚くべき場所が違う。ルゼの思考回路はいつもよくわからない。

 潤ったよく動く唇をぼんやり眺めていると、無言の不安からか、か細く震えた声が続いた。


「もう駄目ですか? あなたを殺すような人間では駄目ですか」


 その不安そうな声色にハッとして顔を上げると、泣きそうな顔をしていた。

 1年昏睡していたと告げて真っ先に気になることが、婚姻関係の有無である意味が分からない。


「俺の婚約者はお前しかいない」

「……ずっと?」

「ああ」


 乱雑に頭を撫でて伸びた髪を乱せば、ルゼは多少恥ずかしくなったのかゆるゆると顔を下げて、撫でられるままに身を揺らしている。


「どうして?」

「……言いました」

「聞こえなかった」

「……」


 指の隙間から音は届いていたのだが、もう少しちゃんと聞きたい。催促しなければ言ってくれないだろうし、言い逃れできない今の状況なら言わせられる気がする。

 ルゼは俯いたまま、ボソボソと喋りだした。


「……私の意見を聞いてくれる所とか、諭すことに躊躇いがない所とか、人に弱いと言う割に私ならできると期待しちゃう所とか、を、……」

「……を?」

「……」

「……」


 普段どうでもいいことばかり口走っている割に言えないらしい。理由までは要らなかった。

 

「…………貴族の人みんな石鹸捨てたのに貴方だけ使ってたり、手とか腕の長さで大きさ測ってたり、シャツが毎日パキッとしてたり、とか……が、……」

「……」

「……」

「……」


 そこまで言うなら、結論まで話せそうな気もする。一体手尺の何に惹かれているのか分からない。雪に置かれた手に触れればビクリと揺れ、急に立ち上がって雪を投げつけてきた。


「二度も言えるか!!」


 そう言って真っ赤な顔でもう一度雪を投げつけると、ふるふると肩を震わせて踵を返してしまった。


「お前一度も言ってないだろ」

「貴方もですけどね!」

「そうだったかな」

「白々しいんですよ」


 ルゼが寝ている間に何度か言った。覚えていないのは一年も寝ているからだろう。

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