第96話 花と石
「でも私は、クラウス様のことを四六時中考えていますし、隙あらば触れたいと思っていますし、もっと話がしたいですし幸せになってほしいんです。そしてクラウス様も私に対してそう感じてくれたらいいなと思ってしまうんです」
ルゼはクラウスを見つめてそう言うと、青い薔薇と一緒に摘んできた赤い薔薇に軽く口づけし、クラウスの唇にふわりと当てた。
「どうでしょうか」
クラウスはルゼの瞳から薔薇へと視線を移し、赤い薔薇を手に取ると、先程渡した青い薔薇と一緒に握りしめてまじまじと眺めている。
二本とも地面に置くと、クラウスはもう一度ルゼと視線を交わらせた。
「俺は、都合良く現れた人間なだけだと思っている。お前のその境遇と裏表のない性格なら、俺がお前の内側に入るのは容易い」
「クラウス様でなくとも、優しくされれば私は誰でも好きになったということでしょうか」
「そう」
「……」
どうやら、クラウスの中のルゼは絶対にクラウスのことを好きにならない人間であるらしく、ルゼのクラウスに対する感情もまやかしだと思われているようだ。
熱があるときに告白したのが良くなかったかもしれない。
(……あんなに頑張って言ったのに)
「……私が他の人を好きになってもよろしいのですか」
「好きにすればいい」
「!」
即座に淡々とした調子で告げられてしまった。本当にクラウスの気持ちはルゼには向いていないようだ。
ルゼは手が土で汚れていることも忘れてクラウスの胸ぐらを掴むと、勢いよく顔を接近させた。その唇に自分の唇を当てようと思ったが、目がバッチリ合ってしまったため寸前で止めると、勢いよく頭突きをした。全部クラウスが悪いというのに、驚いたような表情をしている。
「こんなに私の心に入り込んでおいて、今更手放そうとするなんて身勝手なのではないですか。私はクラウス様が他の人を好きになるなんて絶対に嫌です」
ルゼの怒りに、クラウスが面食らったような顔をしている。
「手放すとは言っていない」
「たった今仰ったではないですか」
「お前が誰を気にかけようと構わないと言っただけだ。お前に対する俺の気持ちは変わらない」
変わらない以前に、何か特筆するような感情があるかどうかも怪しい。
「でも、私が違う男性と旅立つとか言い出した日には、結局はそれが私のためだと送り出すのではないですか。そのときに別れを惜しんで涙を流すのはきっと私だけでしょう」
「仮定の話など無意味だろう。俺はお前が自由に生きられるなら、そこに俺がいなくても構わない」
クラウスにとって他人の感情は掃いて捨てるものなのかもしれない、とルゼの混乱した脳みそに一瞬よぎる。
「……私はそんなに不誠実な人間に見えますか」
「そうではないから、俺に借りた恩を返そうとでもしているのだろう」
「好きだからだと言ったはずです」
「それは言っていない」
クラウスにとっては、ただの言葉なのだろうか。
「……私は飼い主が欲しいわけではないんですよ。一方的な感情で満足できるなんて、私はその辺で拾った動物と同じではないですか。しかも、言葉が使えるせいで動物ほどの可愛さがない」
「お前を飼っているつもりはないと言ったはずだが」
「それならなぜ、あなたが愛されないことが前提になっているのですか」
瑠璃色の瞳を真っ直ぐに見据えてそう尋ねるのだが、ただ見つめ返されるだけで、最早クラウスには会話をする気はないようだった。
クラウスの冷たい視線に先に目を逸らしてしまったのだが、左手を取られたために再び顔を向けた。
「……なぜ今」
「俺の言葉でお前を縛りたくない」
(だから私の告白に応えられないとでも……?)
どういうわけかこの状況で、ルゼの左手の薬指にいつしか約束していた指輪がはめられた。髪が乱れ服も汚れている今のルゼに不相応なほど、青い石が美しく輝いている。
「首輪……」
「指輪だろう」
いつから持ち歩いていたのかわからないが、この流れではどう考えても首輪以外の何物でもない。言葉で縛りたくないという割には、ルゼをここに繋ぎ止めておきたいのかもしれない。葛藤の表れのような青い石が左手に輝いている。
クラウスは二本の薔薇を持って立ち上がると、正座をして呆然としているルゼを置いて戻ってしまうようだった。
ルゼはハッと我に返ると、去ろうとするクラウスの手首を握って見上げる。
「私はクラウス様になら人生を滅茶苦茶にされてもいいと思えます」
「俺はお前が誰にも害されずに生きられればいいと思っている」
クラウスは、自分がルゼに関与することすらルゼの自由を阻害するものだと思っているのかもしれない。
ルゼも立ち上がると、クラウスと目を合わせて言い放った。
「私と恋をしませんか」
その突飛な提案にクラウスが怪訝な顔をしているが、続けて提案した。
「相手はお互いにお互い限定で、期間は無期限です」
「……必要ないと思う」
「でも、伝わらないままなのは寂しいです。時間ならたくさんありますし、生涯をかけて私の遊びに付き合っていただけませんか」
ルゼの真剣な眼差しが、クラウスの見透かすような視線と交差する。
「……なぜ」
「愛しているからです」
「……」
「でも私の片思いです」
クラウスも自分のことを好きだと思って頑張って告白したけれど、クラウスはルゼの口からそういう言葉を吐かせるだけで、絶対に返ってこないのだ。叩けば壊れたように鳴く玩具、不思議な生き物程度にしか思われていないような気がする。
ルゼのかけていた丸眼鏡がクラウスの手によって外された。
「……」
ルゼは固く目を閉じるとぎゅっと唇を引き結んだのだが、クラウスはルゼの唇を親指でなぞるだけであり、一向に口づけされる気配がなかった。
(……あれ……)
ちらりと片目を開けた瞬間、唇ではなく首筋にキスをされた。なぜか異様に心臓がバクバクと脈打っており、ルゼは数歩下がってクラウスから離れると首元に手を当てた。
「おわ……あ」
顔を真っ赤にして戸惑うルゼにクラウスは小さく笑うと、ルゼを置いてスタスタと屋敷へ歩き出したため、ルゼも慌てて後を追った。
「待っ……クラウス様!」
クラウスの隣に立つと、彼を見上げてにこりと笑う。
「指輪を贈る相手は私でよろしいのですか」
「ああ」
「好きです」
「気のせいだろ」
「やかましいですよ」
「……」
ルゼの精一杯の告白も軽くあしらわれてしまったのだが、今はそれでもいいと思うのだった。
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