第95話 花と石
温室には春の陽光が差し込み、ぽかぽかと暖かい。陽光差し込み、植物は鮮やかに生っているというのに、ルゼはボサボサの髪の毛を団子にして束ね、クマの深い瞳を眼鏡で隠していた。あれから徹夜での看病の後、仮眠も取らずに温室で作業をしているのだ。服も手も泥で汚れてしなっている。
ルゼは温室に立て札を立てていた。温室はルゼがいない時には施錠されているため誰かが入る心配はないのだが、万が一に備えたいのである。
ヒメイダチの前に、『有毒 観賞用』と書いた立て札を立てたいのだが、字が汚かったので裏面にクラウスに書き直してもらった。ついでに『無毒の野菜 お好きにどうぞ!』と書いた立て札も用意し、裏面に書き直してもらった。
「なぜ毒草など植えているんだ」
立て札を土に刺すルゼを見ながら、クラウスが顔をしかめてそう尋ねた。
ルゼは柔らかい土に木の札を押し込みながら答える。
「ヒメイダチの球根は薬になるんです。毒も薬も人との関わりの中で定義されてしまうものですので、そんなに嫌わないであげてください。このお姫様も、クラウス様の風邪を治してくださることがあるんですよ」
「お姫様?」
ルゼの妙な言い回しにクラウスが怪訝な表情をした。
「ヒメイダチは、秋になったら美しい白い花を咲かせるんです。その白い花が綺麗なので観賞用に飾られることもあるんですよ」
「それで姫? 毒があるんだろう」
「シャーロット様のようではないですか? 美しく鋭い」
「……」
「ふふ。あの方の毒は誰をも虜にしますよね」
「そうだな」
「はい」
(……仲は悪くないのかな)
ルゼが眠っている間にシャーロットは他国へ嫁いでしまったらしく、結局二人は言葉を交わせたのかどうかは定かではない。しかしクラウス側に確執はないように感じられるため、シャーロットが何か勘違いしているのではないかと思うのだ。
クラウスの同意はやけに穏やかな声をしている。
「花が咲いたら、クラウス様の味気ない部屋に飾ってもよろしいですか? 毒物を皇太子様に差し上げたら殺されるのでしょうか。食べるのも、花瓶の水を飲むのもいけませんよ」
「俺を何だと思っている」
「花を愛でる心はないと思っています」
「……」
図星のようだ。
ルゼがどうしても倒れてくる立て札をどうにか差し込もうと奮闘していると、背後から声が飛んできた。
「……花を置くのは構わないが、お前でも花を愛でることがあるのか」
「どういう意味ですか。私にも美的感覚があるのですよ。クラウス様の周りに美しいものを沢山飾……、花は飾るものですしね」
ルゼはいつしかの、美しいものだけ見ていろという自分の発言を思い出してしまい、その時のクラウスの反応を思い出して言葉を濁した。
クラウスもルゼと同じことを思ったのか、小さく笑っている。
「お前は飾りではない」
「あなたの隣に飾っていただけませんか。他の花に見劣りするかもしれませんが」
いつものルゼなら照れているところであろうが、不眠不休で看病したせいか、クラウスを見つめて言い返していた。
土に刺せたと思っていた立て札がルゼの背後から倒れかかり、クラウスがそれを止めてくれた。
「……ありがとうございます」
「俺は、お前が信念に従って無鉄砲に動いている姿を見たいんだよ。飾られるような人間ではないだろう」
クラウスを見上げるルゼと、木の立て札を支えたままルゼを見下ろすクラウスの目が合う。
「無鉄砲は欠点ですよ」
「自分を顧みずに動くなとは言ったが、俺はお前のその強さを見たいんだ。正しいと思えば後先考えずに行動する」
「……」
(欠点では……)
クラウスは勢いよく立て札を土に押し込むと、ルゼに向き合う形で座った。ルゼの伸びた長い髪の毛を一房指に絡めている。
ルゼももはや動く気力がなく、野菜用の立て札を膝に置いたままクラウスを眺めた。
「……それでいてなぜ、私の告白に応えていただけないのでしょうか」
「……いつ告白したと……」
「もう二回くらい言いました」
「……聞いてなかった」
「しょうがないな」
ルゼは立ち上がると温室の隅の方へ行き、隠れて育てていた花を二本、茎から千切ってクラウスのもとへ戻った。
急にどこかへ行ったルゼを、クラウスが不思議そうに眺めている。
ルゼはクラウスの前に立つと、見下ろして言った。
「私は花よりも薬草が好きなのですが、最近好きな花が完成しました」
「……?」
クラウスが怪訝な表情をしているが、ルゼはそれ以上説明せずに青い薔薇を一本、クラウスの顔の前に差し出した。
「あなたの瞳の色の花を育てたかったのですが、明るい青色になってしまいました。あなたの瞳ほどに美しいものは、おそらく自然界では再現できません。茎に棘がありますが受け取ってください」
「……」
怒気をはらんだルゼの声に、クラウスはルゼと見つめ合いながら、差し出された薔薇を一本、呆然とした顔で受け取っている。
クラウスが青い薔薇を手にしたのを確認すると、クラウスの前にしゃがんで正面から目を合わせた。
「クラウス様は最初私に求婚してくださった時、私に好意など抱いておりませんでしたよね。多少関心があった程度なのではないですか」
「……いや……」
クラウス自身もよくわかっていないのか、ルゼの質問とも言えない質問に歯切れ悪く答えている。ルゼも答えを求めていたわけではなく自分の認識を吐露しただけに過ぎず、構わずに続けた。
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