第93話 食中毒
ルゼが学院に残した魔力のこもった野菜たちは、どうやら物好きな学生によって受け継がれているらしい。ルゼも卒業時にニンジンとジャガイモの苗をいくつか持ち帰り、屋敷の花壇で栽培していた。
(栽培はできるんだけど、調理ができないのよね)
深夜、ルゼは書庫で本を読みながらそんな事を考えていた。
(栄養が摂れれば十分だし、まあいいか。料理の勉強は諦めよう。クラウス様を引っ張って早く寝ないと……)
ルゼはクラウスを早く寝かせるために早めに寝ようとしているのだが、ほぼ毎日作業に熱中してしまうために二人とも就寝が遅くなっていた。
「ルゼ様! 夜分にすみません!」
「! はい。どうされましたか」
(こんな格好でお目見えしてしまうなんて……!)
最近のルゼは読書時、縁の薄い丸眼鏡をかけ、長い髪をお団子にしていた。書庫は人気がないために読書のしやすさを追求してしまったのだが、なぜかこの日はアランが深夜だと言うのに書庫に来た。
蒼白な顔をしており、かなり焦っているようだ。
「嘔吐に効く薬を調合していただけませんか!」
「まさか体調がお悪いのですか!?」
「俺ではなくて、先程同僚が数名倒れたんです。原因は分からないのですが皆嘔吐と腹痛を訴えておりまして」
「!」
(確か今日は医師が不在なはず……。しかも深夜なのに私の所に来るなんて、尋常ではないのかも……)
アランはルゼの知る中で一番体裁を気にする人間であり、深夜に女性のもとへ押しかけてくるような人間とは思えなかった。
「案内していただけますか。私では力不足かもしれませんが、見ないことには薬を処方できません」
「いえ、できればここで……」
「黙って早く私を案内しなさい!!」
「はい!!」
ルゼの怒号にアランが姿勢を正していた。
✽ ✽ ✽
場所は騎士に宿直室であるようだった。ルゼは急いで中に入ろうとしたのだが、ここまで来てアランはまだ渋る様子である。
「すみません、感染症の恐れがあるので中には入れられません」
「先程も言いましたが、症状を見ないことには薬を処方できません。私は大丈夫ですので入れていただけませんか」
「で、ですが殿下が……」
「クラウス様も中にいらっしゃるのですか!?」
ルゼの驚きように、アランがビクリと身を竦めて宿直室に視線をやった。おそらく中にいるクラウスに、ルゼを連れてきてしまったことがバレるのを危惧したのだろう。
「み、見つけたのが殿下でして、ルゼ様には知らせるなと言われたのですが」
「どいてください」
「できません」
「私に頼るというのはそういうことです。間に合わなかったら共に責任を取りましょう」
ルゼは睨むようにしてそう言うと、アランを押しのけて中に入った。宿直室の木の扉が勢いよく開かれる音に、クラウスが怪訝な表情でルゼを見下ろしている。
室内には11名の騎士が木のベッドに寝かされており、クラウスが壁によりかかって騎士を眺めていた。
(クラウス様が処置なさったんだわ! なぜこの方は……)
「殿下! なぜあなたが率先して動くのですか。マスクも手袋もせずに、感染症であったらどうするおつもりですか! 早く出ていってください!」
ルゼも手袋しかしていなかったが、棚に上げている。
ルゼがクラウスに怒鳴りつけると、クラウスは一層怪訝な表情を深めた。
「何か毒性があるものを口にしただけだろう。原因はまだ判明していないが数日寝れば良くなるだろう。お前は来るな。早く寝ろ」
「言ってる場合ですか! クラウス様はご気分が優れない所などはないのですか」
「問題ない」
「……」
(この人嘘つくんだよな……)
嘘つきとは恋愛したくないのに、クラウスは嘘つきを改めないし、ルゼも改めさせようと思えない。
ルゼはクラウスを一瞥すると部屋を見渡し、騎士の一人に近づいたのだがクラウスに肩を掴まれた。
「おい……」
「あなたにも同じことを言いたいです。感染症でしたら頑張って二人で看病し合いましょう」
「……」
ルゼが本気で睨んだからか、クラウスは何を言うこともなく肩から手を放した。
(毒性があるもの? 騎士の皆様は同じものを口にしたのかしら。なぜアラン様は元気そうなの)
騎士の食事内容は皆同じである。
ルゼはまだ状態の良さそうな騎士に近づくと、近くにあった丸い木の椅子に腰掛けて声をかけた。
「話せそうですか? いくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか」
「はい……」
にこやかに微笑んでそう言いながら、騎士の汗だくの額に触れる。
(発汗……)
「どこが悪いのか教えていただけますか?」
「腹と頭……。吐き気もあります……」
(頭痛、腹痛、吐き気……)
「今日何を食べたのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
ルゼが騎士の額に浮かぶ汗を拭いながらそう尋ねると、騎士の男性は一層顔色を悪くして上体を起こした。
「横になったままで……」
「あの、すみませ……うっ、吐く……」
「!」
クラウスが用意したのか桶はあったのだが、騎士が吐くまでに間に合いそうにない。
ルゼは咄嗟に両手を出して受け止め、受け止めきれなかった分がドレスにいくらか飛び散った。アランが驚愕の目で見つめ、クラウスが何か言いたげな顔で見ている。
「気持ち悪いものは全て吐き出してしまいましょうか」
「う……すみません……」
「大丈夫ですよ。構わずに全て吐いてしまってください。何か悪いものでも召し上がってしまいましたか」
ルゼが微笑むほどに騎士が申し訳なさそうな顔をしている。
「お……お嬢様、それ以上聖母になられると俺の首が飛ぶ……」
アランが後ろで何かブツブツ呟いていたが、ルゼは構わずに男に話を促した。
「あの……イダチの茎……」
「ああ! なるほど。安静にしていてくださいね、すぐに薬を調合しますから」
「……すみません」
「大丈夫ですよ。今はお辛いでしょうが、すぐに楽になると思います。お水を汲んできますので横になっていてくださいね」
ルゼが騎士にそう言って笑いかけると、騎士の男性は多少気分が良くなったのかぼんやりと頰を赤くした。
「すみませんクラ……アラン様、そこの桶を取っていただだけませんか。それと、何時間前にどのくらいの量を口にしたのか聞いておいてほしいです」
ルゼはアランに頼んだのだが、アランが動く前にクラウスが無言で桶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます。あなたは早く部屋を出てくださいませんか」
「お前……」
「後で聞きます」
何の防護服も身に着けずに、原因不明の病かもしれない密室に佇むような人間の説教は聞けない。
ルゼは桶に手袋ごと入れると井戸へ向かい、手を洗って水を汲んだ。
(致死量ではないと思うけど……)
宿直室に戻ると先程ルゼに向かって吐いた騎士が、蒼白な顔をしてベッドの上に座っていた。その横でアランが、「あんまり理想を抱くな。あの人はただ馬鹿なだけだから……」と慰めるように語りかけている。
(え……クラウス様に尋問されたのかしら。アラン様に頼んだのに……。か、可哀想だ……)
しかしそんなことはなかったようで、アランが、30分前にイダチの茎を5本食べたようだと教えてくれた。
「アラン様は体調に問題はありませんか」
「俺はイダチが嫌いなんで……」
「あれは免疫機能の維持に良いですよ」
ルゼは蒼白な顔をしている騎士の隣に座ると、水の入ったコップを渡しながら、背中をさすって話を聞く。
「口をゆすいでいただけますか? すみません、冷たいものしか用意できなかったのですが」
「……いえあの、すみません……」
「謝ることは何もないですよ。それと、イダチはどなたかが採ってきたものでしょうか?」
「俺が……」
「素晴らしいです! あれはおいしいですからね」
背中をさすりながらそう言うと、騎士の男性も落ち着いてきたようであった。
ルゼは男ににこりと微笑んで状態を告げる。
「二日間は苦しいかもしれませんが、私もここにいますので何でも言いつけてください」
「いえ、放っておいて……」
「シーツもすぐに綺麗にしますからね。今は横になっていてください」
「すみません」
「いえ、私の看病では心許ないかと思いますが……」
「いやあの、ドレスが……」
「え?」
男性騎士はルゼの服を自分の吐瀉物まみれにしてしまったことに謝っているようだった。
(優しい……)
「何も気にしなくて大丈夫ですよ。感染する類のものではありませんから」
「え……」
「今夜を乗り越えればあとは楽になりますよ! 一緒に頑張りましょう」
「……」
再びぼんやりと頰を赤らめる男と、気合を入れているルゼの背後で、クラウスとアランが何か言いたげな顔をしていた。
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