第92話 懐かしの侍女
「でも、お嬢様がお元気そうで本当に嬉しいです。子供の頃は毎日のように高熱をだしていらっしゃったのに、私の目を盗んで外に出てしまわれるので、この方は私が始終見守っていないと倒れてしまうと」
「え? 熱とか出してたかしら」
毎日元気に勉強し、兄に続いて外を駆け回り、抜けた歯を投げて遊んでいた記憶しかない。
「覚えていらっしゃらないのですか? 旦那様が仰るには、お嬢様は体の大きさに見合わず魔力が多いので、それが原因で熱が出てしまうんだとかなんとか……。それで旦那様はお嬢様の魔力を抑えようと奮闘なさったのではないでしょうか。あの方は実直な方でしたが、娘のこととなると多少我が身を省みないところがありましたし」
「…………」
(し、知らない……)
父は、娘の多すぎる魔力を抑えるすべを探して、悪事に片足を突っ込んだらしい。顰め面しかせず、部屋にこもりきりの母に手を尽くしていた父が、ルゼのために何かをしようとしていたなんて考えられない。
ルゼの驚いた顔に、テレーゼは優しく微笑んだ。
「でも結局、魔力を無理に抑えるとそれを解放したときの反動がすごいとかで、お嬢様の命に別状がないうちは見守ってほしいと言われました」
その結果、指輪を作るだけ作って使わなかったのだろう。
ルゼが一年も寝込んでいた理由は、魔力を抑え込んだ反動だったのかもしれない。
「……ありがとう、6年間私の面倒を見てくれて」
「仕事ですので」
「そっか」
(冷めてるな……)
妙にしんみりとした気持ちだったのだが、テレーゼはいつもどおり淡々と仕事をこなしているだけのようである。
ルゼがにこにこしながら緑茶を飲んでいると、テレーゼがクラウスを見定めるように眺めてからルゼに質問した。
「こちらの方が、お嬢様のご結婚相手ですか?」
「ゲホッ。な……急に何を……」
突然の質問に、ルゼは口に入れていた茶を吹き出さないように飲み込むとクラウスを一瞥したのだが、頬杖をつくクラウスとばっちり目が合ったのですぐに視線を逸らした。
「……」
「恥ずかしがり屋はご健在のようで」
「……報告の義務はないかと」
などと言いつつ、顔を真っ赤にして茶を飲み干しているルゼを、テレーゼとクラウスがじっと見ている。
「お似合いですよ」
「…………」
「お嬢様は奇天烈な方でしたので、もしかしたら本当にカイル様の妹として一生を終えるのではないか、と心配しておりました」
「きてれつ」
「自覚がないところが物語っております」
(悪口か……?)
父の書斎に忍び込んで片っ端から本を読み、兄の稽古に付き合ってがむしゃらに剣を振り回し、母に好かれたくて野の草を運んでいた記憶しかない。
お似合いだというが、ルゼがクラウスに釣り合っているものは何一つ無い。
ルゼはテレーゼを見据え、真剣な顔をして尋ねた。
「治したいのですが、例えばどこが奇天烈だというのか教えてほしいです」
「そちらの方はそこを愛していらっしゃるのではないですか」
「あっ……いとか言わないで……」
「そもそも手遅れかと存じますが」
「なんですって」
「お嬢さまの魅力の一つですよ。悪しきところにも直結しておりますが」
「なんですって」
「ふふ」
「……」
(教えてくれないの……?)
悪しきところに直結する性格なんて、ただの悪癖でしかない。
問いただして悪いところを改めたいのだが、これ以上何か聞いたところで、テレーゼはクラウスの前で余計なことしか言わないような気がする。
別れ際、ルゼは家に戻ろうとするテレーゼに、元気よく言った。
「テレーゼ、あなたが生きててくれて嬉しいわ」
「……はい。私もお嬢様と会えて幸せです」
「また会いに来てもいい?」
「あちらの方の奥様になるのだという自覚をお持ちくださいませ」
「……」
それはどういった類の自覚なのだろうか。
テレーゼの厳しい物言いにもぽやぽやと頬を赤く染めるルゼに、テレーゼが慈愛の目を向けた。
「忘れがたいこととは思いますが、新しい人生を歩んでくださいませ」
ルゼはテレーゼのその言葉に、にこりと笑う。
「私の人生はひとつしかないわ。過去も含めて私のものなの。新しい人生は存在しないけど、新しい人との繋がりを大切にしようと思っているの」
「……」
「でもテレーゼに会えてほんとに嬉しいです」
何か失敗したのなら新たな人生を歩むのも妥当かもしれないけれどそうではないし、過去を切り捨てて生きていこうとは思えない。本当にそう思っていたのかなんて分からないけれども、悩みながら生きていこうと思うのだ。
屈託のない明るい笑顔を浮かべてそう言うルゼを、テレーゼが感慨深げに眺めている。
「あなたの死に際には、城を抜け出してでもここへ来るわ」
「……変わりませんね。お待ちしております」
「ええ。元気で」
「はい」
そうして懐かしい侍女との再会を終えた。
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