第91話 懐かしの侍女
ルゼはクラウスと共に山奥の小さな小屋へと出向いていた。一人で来ようとも思ったのだが、ない墓を巡る代わりにクラウスを強引に連れてきたのである。
小屋は古びてはいるもののよく手入れされてあり、近くにある小さな花壇には白や黄の花が植えられてある。
躊躇いがちに小屋の戸を叩くと、中から中年の女性が出てきた。女性はルゼを見ると、少し驚いたように息を呑み、深々と頭を下げた。
「……お嬢様。お元気そうでなによりです」
「……テレーゼ……?」
「はい。お久しぶりでございます」
この、感情を必要以上に押し隠して、終始淑女としての落ち着きを保とうとする女性が目の前で話していることに、喜びが抑えられない。
「〜〜!! テレ……」
「お嬢様、はしたない行為はなさらないよう」
「……」
(……確かに、クラウス様もいらっしゃるから気品を持たないと……!)
衝動的に抱きつこうとしたのだが、華麗に身を躱してきっぱりと断られてしまった。
テレーゼ・アイスフェルトは、かつてレンメル家に仕えていた侍女である。十年もの間音信不通だったけれど、主人に礼節を叩き込もうとする侍女の鑑とも言うべきその根性は、変わっていないようだ。
こほんと咳払いをして今の無作法を帳消しにしようとしているルゼに、テレーゼがため息混じりに微笑んで中へ入れてくれた。
木でできた家の内部は、全て木製の家具で調和が取られてある。刺繍や小物など、そこかしこにテレーゼの趣味が見られた。
(テレーゼだ……)
「お嬢様も、大きくおなりに……」
「や、やだな、テレーゼまだ30でしょ? なんだか年寄りみたいだわ」
「ふふ。十年は長いものですよ」
十年の間、テレーゼは何を見て、何を考えて、何を後悔したのだろうか。
一人で暮らしているのかと思ったが、テレーゼよりも少し年嵩の男性が、淡い緑色のお茶を出してくれた。
そのお茶を一口口に含むと、テレーゼはゆっくりと語りだした。
「……あの時、お嬢様だけは逃がそうと探しに行ったのですが、どうやらすれ違ってしまったようで見つけることができず……。危険な目に遭わせてしまって、申し訳ございませんでした」
ルゼはあの時、幸か不幸か、山奥で走り回っていた。皆死んだものと思われたが、テレーゼはお転婆のルゼを探して屋敷から遠くにでていたようだ。
机に額がつくほど深々と頭を下げるテレーゼに、慌てて頭を振る。
「いえ、あなただけでも生きてくれてて幸せよ! 嬉しい! 今日はテレーゼの顔を見に来たのよ、そんなに下がっていては見えないじゃないの!」
(謝られる意味がわからない……!)
別に主人が死んだからといって、下の者まで腹を切る必要はない。こうしてルゼは生きており、テレーゼも自分の人生を歩んでいるだけだと言うのに、謝られる意味がわからない。
ルゼが明らかに作り笑いでお茶を飲み、「美味しいから顔上げて! ね、ね!」とまくしたてる様子に、テレーゼとクラウスは目を合わせていた。
「お嬢様の、人から謝られると不必要に焦ってしまうご様子、懐かしいです」
「えっ」
(悪口か……?)
「ふふ。私はお嬢様を探すこともせずにここで身を隠していたのですが、そちらの方が私を見つけてくださったので、また再会することができました。果報者です」
「わっ、私も! 私も幸せ!」
再び深く頭を下げようとするテレーゼを手で制して、焦ったようにそう言うと、テレーゼは緊張が解けたのか柔らかく微笑んでくれた。
「お嬢様が幸せそうでなによりです」
「私もテレーゼが元気そうで嬉しいです」
「見ないうちにお美しく……」
「世辞はいらないです」
「奥様にそっくりで」
母の顔を思い出せないのだが、母譲りの血に母譲りの顔となると、もう自分が母なのかもしれない。
「ねえ、私の両親について何か覚えていることがあったら、聞かせてくれない? 知りたいの」
今日ここへ出向いた2つ目の目的である。先日ヤナたちから兄の思い出話を聞いて、父母のことも知りたくなったのだ。2人共滅多に顔を合わせてくれ中tらが、たとえどんな回答であろうとも、勝手に夢の中で悪者にしているよりは断然マシだろう。
花が咲いたような微笑みにテレーゼは安堵のような笑みを見せ、頬に手を当てて、そうですねえ……と考え込んでいる。
「私はお嬢様付きの侍女でして、奥様とは全く接点がないままでしたので、語れることはないのですが……。もう時効でしょうか、あまり褒められたことではないのですが、旦那様がご友人の方とお話しなさっているのを、盗み聞きしたことがあるんですよ」
「盗み聞き」
「申し訳ございません。お嬢様から預かっていた小石を探していたらお二人が来てしまって、それで咄嗟にソファに身を隠してしまったんです」
「石」
(あげたかな……?)
ルゼが鼻水を垂らしてなんの気なしにあげた小石だろうに、「お嬢様から頂いた宝物を無くして、私は侍女として失格だわ!」と涙を浮かべて探していたのかと思うと、かなり申し訳ない。
そして小石を押し付けていたという過去の痴態を、隣でクラウスが聞いているのも恥ずかしい。
「その、旦那様の隣にいらっしゃった方が赤い髪に赤い瞳でしたので、噂に聞く美しい奥様なのではないか、と思ってしまって」
「へえ……。お父様にも屋敷に呼ぶような知り合いがいたのね」
ルゼの父親は友人が少なかった。一日中書斎にこもって何かを読んだり書いたりしており、愛想は良いが自分の話を全くしないために、皆仕事仲間止まりだったのである。
テレーゼもその言葉に小さく笑っている。
「はい。背の高い女性でした。長い一つの三つ編みが素敵で、あの赤い髪はよく手入れされていらっしゃるな、と」
「……隠れている割にはよく見てるね」
「いえ、なぜか入室してすぐに、私の隠れているソファまで歩いてきたんですよ。目が合うとウインクしながら人差し指を口に当てていらっしゃって、私も見惚れてしまいました」
女性をなんの気なしに口説き落とそうとする、三つ編みの赤髪が素敵な長身の女性及び男性という情報で、ルゼの脳内にある解像度がマックスまで高まった。
「…………多分その方、私も知っていると思うわ」
「あら、人の繋がりとは狭いものですねえ」
テレーゼの返しはいつも素敵だ。
「難しい話ばかりでよく分からなかったのですが、旦那様はお嬢様の魔力を抑える方法を探して、あの方を頼ったようでした。なんでも、すごい魔法の本があるようで、そこにその方法が書いてあるのではないか、というお話でした」
「すごい魔法の本」
凄い魔法の本とは、どれだけ凄いのだろうか。
ルゼの好奇心に満ちた瞳に、テレーゼは申し訳なさそうに眉尻を下げている。
「申し訳ございません。学がないもので、言葉を聞いても理解できずすぐに忘れてしまいまして……。そのご友人の方だけが読んだことがあるらしく、旦那様はその内容を聞きたがってらっしゃるようでしたよ」
「……」
どこかで聞いたような話だ。
「ただ話しぶりから、その行為は公にはできないことのような感じでいらっしゃったので、私もすぐに忘れようと耳を塞いでいたのですが」
「……ああ……」
悪事はバレていないように見えて、大抵誰かが認識している。
つまらなそうに息を吐いて茶を飲むルゼに、テレーゼは顔をしかめて問いただした。
「……心当たりがあるのですか?」
「ええ!? えっへっへっへ、ないね! 全くない!」
(やべ……)
テレーゼは不正に厳しい。しかも、明らかに悪いこととわかっていながら誤魔化そうとしているルゼに、テレーゼが呆れたような視線を向けた。
「お嬢様、分かっていて悪いことをするのは大罪だと再三言いましたよね」
「……はい。すみませんでした」
「お嬢様と私の秘密にしましょうか」
「ありがとうございます……」
かつての侍女とお嬢様の姿に、クラウスが小さく笑っている。
(……いや、殿下の方が罪重いですよ)
読んだだけのルゼとは違って、クラウスは実際に使っている。きっ、と睨みつけるルゼに、クラウスがしれっとした顔をしている。
テレーゼは呆れたようにため息をつくと、眼前でしょんぼり頭を下げるルゼに懐かしそうに微笑んだ。
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