第82話 最善手だよ

「随分遅いですね」

「……あと数時間は目覚めないはずだが……」


 ルゼは眠さを我慢して虚勢を張っているだけだったのだが、ヨハンはニコニコと微笑むルゼを怪訝な表情で見つめている。

 ヨハンの手にはルゼが見たものと同じ水晶が二つあった。


(……ここ以外にも拠点があったのか……)


 ヨハンはルゼが先程乗せた水晶の隣に水晶を二つ並べて置き、コツコツと静かにルゼに近づいた。ルゼもヨハンの歩幅に合わせて歩み寄る。


「眠っておけば楽に……」


 ルゼはヨハンが言い終わる前に首元めがけて短剣を振ったのだが、杖で防がれてしまった。小さく舌打ちをすると後退して距離を取る。


(……初老のくせに……)


 ヨハンはルゼの動きに驚いた顔をしていたが、コン、と音を立てて杖を床に立てると睨み付けてくるルゼに微笑んだ。


「やはり若い体は衰えを知らないな」

「悪趣味ですよ。他人の体を自分の物と思い込むなんてどうかしてる」

「私が有意義に使ってやっているんだよ」

「自分のものだけで満足したらいかがですか」

「口の減らない女だ」


 ヨハンはそう言うとルゼに杖を向けて詠唱し、魔法を発動させた。

 ルゼはノアのいる方向へ飛んだ魔法弾を結界魔法で弾き、椅子に隠れて自分の方へ飛んできたものを避ける。


「その腰の剣は使わないんですか!?」

「そんなに遠くから叫ぶくらい怖いなら、おとなしく捕まっておけばどうだ!」

「嫌です!!」


 ルゼは最早あまり魔法が使えないために、男からかなり距離を取ったところで叫んでいた。ノアが蔑みの目で、負け犬の遠吠えを積極的に行うルゼを見ている。


(私を侮蔑の目で見るな! ガキが!)


 ルゼも目でノアに訴えると、ヨハンの喉元めがけて短剣を投げた。

 ヨハンは短剣を杖で払ったのだが、ルゼはその隙に部屋の隅まで走って立てかけてあったモップを掴み、ブラシのついていない方でヨハンの杖に打ち付ける。


「ふざけているのか」

「意外と使いやすいです」


 モップの柄と杖がギリギリと拮抗した状態で触れ合っていたのだが、ルゼはモップを回転させるとブラシの方を男の顔に押しつけ、杖を蹴ってとばした。

 カンッ、と音を立てて床に落ちた杖にヨハンが視線をやった瞬間、モップを横に振り抜いてこめかみを殴り、そのまま男の胴を蹴る。ヨハンがよろけた隙に落ちている杖の所へ駆け寄り、男を見ながら掲げた。


「もう魔法は使えません!」

「馬鹿が!」

「えっ」


 ルゼの目の前に魔法弾がとんできたため、ルゼは慌てて椅子の裏に隠れた。魔法弾が椅子を壊し、頭上に木片が降りかかっている。

 ルゼは半分壊れた椅子に体だけを隠すようにして残骸から顔を出すと、威勢よくヨハンに怒鳴りつけた。


「……なぜ杖など持っているのですか!」

「騙されたな!」

「まさかそういう戦略ですか!?」

「単に使いやすいからに決まってるだろう!」

「紛らわしいです!!」


 ルゼの隠れている椅子はノアのいる右最奥列のちょうど反対だった。ノアは顔を少し出して、愚かなルゼと中身初老の若い男をじっとりと見ている。


(隠れてて!)


 ルゼが右手を小さく左右に振ってノアに合図していると、男がノアにチラリと視線をやった。


「!」


 ルゼは椅子の影から飛び出すとヨハンの顎を膝で蹴り、その勢いで男と一緒に倒れ込んだ。


「グアッ」

「いでっ」


 ヨハンの腹の上に乗って顔を殴打したのだが、首を掴まれて押し倒されてしまった。男の手首を掴んで抵抗するのだが、その腕はぴくりとも動かない。


「……ちょうどいい。ここで本当にお前が生き返るのか確かめてやろう」


 ルゼは首を絞められた状態で、ヨハンの腰から剣を引き抜こうと手を伸ばした。


「お姉さん!!」

「!」


 しかし、いつの間に出てきたのかノアが叫ぶと短剣を投げ飛ばしたため、剣を引き抜こうとしていた手で受け取った。


 短剣を手に取ると男の左胸へ突き立て、ぐるりと右へ回す。すぐに引き抜くと次は喉をかき切った。ルゼの顔と体に、大量の汚い血しぶきが滴り落ちている。

 ヨハンは自分の首を押えてゴボゴボと口から血を溢れさせているが、あまり深くは刺さらなかったのか、修復魔法を自分にかける余力はあるようだ。


(しぶとい……)


 ルゼは既に首の傷を治している男の腹部を蹴って立ち上がると再度短剣を振り下ろしたのだが、男は呻くと同時に片手をノアに向けて短く詠唱した。


「……!!」


 その詠唱を聞いてすぐにノアの元へ駆けると、ノアを庇うようにして丸まった。

 男がノアに向かって放った魔法がルゼに当たり、ルゼのもう片方のイヤリングが弾け飛んでいる。


 パキン、と高い音が鳴り、ルゼの腕の中で目を瞑っていた少年が、イヤリングの割れる音に目を開けるとルゼの肩を凝視した。


「今の詠唱……」

「耳が良く……」

「……風呂の魔法じゃないじゃん……」

「腐蝕の魔法でした……」

「……なんか……ぐちゃぐちゃになってるよ……」

「うーん」


 子どものノアのは放つ魔法はそんなに威力がなかったのだが、ヨハンの魔法だとそう上手くもいかないらしい。

 イヤリングは片耳では防御力に劣るようで、ルゼの肩は肉が崩れかけていた。肩から右胸へと徐々に腐敗が進んでいき、痛みも広がっている。


「でもこのまま死んだら、あいつの目的は果たされないよ」

「僕の寝覚めが悪いじゃん」


 背後から魔法の弾丸が飛んできたためルゼは振り返って短剣で弾き返したのだが、肩の痛みとその衝撃で短剣が払い落とされてしまった。


「あっ」


 ヨハンは左胸の傷も治したようで、怒りを抑えて静かにこちらに歩み寄ってくる。コツコツと教会内に響く足音に、ノアが震える声でルゼに尋ねた。


「ぼ、僕どうしたらいいかな?」

「私に聞くなばか!」

「守ってよ!」


 ルゼはその叫びに瞬時に腐敗の進んでいない方の腕でノアを担ぎ上げると、男から離れる方向に走って既に割れかけている窓に風の魔法を放った。

 パンッ、と乾いた音を立ててガラスが砕ける。


「逃げるの!?」

「全然無理そう!」


 ルゼはノアと叫びあいながら窓枠に残っているガラスをバリバリと破って外に出た。

 外はもう暗く、足元を丸い月が照らすだけである。


「ごめんガラスが刺さってしまった」

「お姉さんの方が刺さってるよ」


 教会は森の中にあり、月明かりを頼りに森を駆け下りた。人通りのある方へ逃げるのはいかがなものかとも思うのだが、救助に来てくれた人と途中ですれ違う可能性に賭けたのである。

 ノアはルゼの腐敗の進んでいない方の肩に掴まりながら、ルゼを心配そうに見上げている。


「良いの? 殺さなくて」

「貴方の前で死にたくない」

「うあぐちゃぐちゃ……」

「触るんじゃないよ」

「止まらないの?」

「私の心臓が止まったら止まるよ」


 ルゼの右肩の腐敗は右頬へ広がり、左胸にも浸食していた。破れた服の隙間から紫色に変色した皮膚が見え、ノアが怯えた表情を見せる。


「わっ。どうしたの」


 急に転けるようにしゃがんだルゼに、ノアが小さな悲鳴を上げた。肺が焼けるように痛い。

 ルゼはノアを地面に下ろすと木に左腕をつき、ひゅっ、と小さく息を吸った。


「お……お姉さん、汗すごいよ……」


 ノアは怯えた表情でそう言うと躊躇いがちにルゼに手を伸ばしたのだが、ルゼはその手を避けるように座り込むと、地面を凝視したままノアに話しかけた。


「……一人で逃げられる?」

「一緒に……」

「ごめんもう走れない」

「一緒に死ぬんでしょ」

「死ぬとか言うな!」


 ルゼが荒い息を吐きながら木を殴ったため、ノアがびくりと身を竦めた。しかしノアに走り出す様子はなく、しゃがみこむルゼを見下ろしたまま小さく呟く。


「……でも僕も、足に魔法が当たっちゃって走れない」


 ルゼはノアのその声に顔を上げると目の前にある足に触れたのだが、確かに魔法が当たっていたようで、その細い足からドクドクと血が流れている。


「……お姉さんの結界魔法が途中でなくなっちゃった」

「……それで飛び出してきたの? 勇敢だ……」

「ちょっと後悔してる」

「……庇った意味ないじゃん……」

「いや、僕苦しいのは嫌だから」

「痛いのも嫌なんだろ」

「うん」

「付き合わせてごめん」

「いいよ」


 背後から二人に近づいてくる足音がする。

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