第79話 嫌だ!
部屋の扉が開かれ、二人の男性が入ってきた。一人はルゼを攫った男であるようだが、もう一人は体格の良い男性である。
ルゼは二人のいる方向にニコリと微笑んで名乗った。
「初めまして、ルゼ・レンメルです」
「……」
「あなたも名乗ってくださらないかしら」
「……ヨハンだ。その高慢な態度、本当にあの女にそっくりだよ」
(……若い? 初老ではなかったのかしら)
モーリスからは初老の男だと聞いていたのだが、その声は20代の男性のような張りがあった。
男のその低い声に、ルゼも張りのある声で返す。
「残念ですが、私に魔女の血は流れていませんよ」
血を流したところで何も起こらないのは、すでに実験済みだ。ルゼが檻に近づくヨハンを見据えてそう言うと、男は可笑しそうに笑った。
「いいや、お前は魔女だよ。私が長年求めていた力を持つ魔女だ」
「……」
(求めていた力?)
ルゼの訝しげな表情に、ヨハンは満足げな笑みを浮かべて檻の前に立った。
「お前は死ぬのが怖いか?」
ルゼは突然の質問に眉をひそめ、相手の機嫌を見計らいながら答える。
「……そう思ったことはありません」
「愚かだな」
「随分臆病なんですね」
ルゼがそう言うと、ヨハンは檻の中に手を伸ばしてルゼの髪を掴み、ルゼの頭を檻にぶつけた。ガンッと鈍い音が響き、隅で見ている子供二人がビクッと震えている。
「……っ」
ルゼはその痛みに一瞬顔をしかめてしまったが、尚もヨハンを睨みつけると、ヨハンはルゼの髪を引っ張ったまま苛立った声で話し出した。
「お前はそうやって、恐れ知らずに吠えるから死ぬんだよ。お前たちは死を恐れないまま馬鹿のように生きて死んでいくだけだろう。私はそんな雑輩とは違う。私はお前らより明確に死を意識しているからこそ、意義のある人生が送れる」
「それで、その意義ある人生とは始終死を恐れることを言っているのですか。私に講釈を垂れないでください」
その言葉に、ヨハンがルゼをギリギリと力強く檻に押しつけた。右手を掴むとルゼのその右腕に薬を注射し、ちくりと鋭い痛みが一瞬腕に走る。
「!! 何……っ」
「ただの睡眠薬だよ。もう二度と目覚めることはないだろうがな。最期に何か聞きたいことはあるか? なんでも答えてあげよう」
ヨハンはルゼを解放すると、後ろにある椅子に腰をかけた。
小さく深呼吸をすると目を開いて美しく微笑み、檻から少し距離を取って男を見下ろす。
「それでは、あなたが10年もの年月をかけて成そうとしていることが何なのか、教えていただけますか」
ルゼの質問にヨハンはクツクツと小さく笑い声を立て、何かを思い出すようにゆっくりと語り出した。
「私は20の時に魔女の処刑を見たんだよ。赤い髪に赤い瞳、それに劣らないくらいに鮮やかな赤い血が首から流れていた。あの光景を忘れたことなど一度もない。魔女として生まれたために若くして死に、魔女かどうかも分からない人間の死を見て満足する愚かな……」
「要点を話してください。薬が効く前に寝そうです」
どうでもいい男の修辞混じりの過去の話など聞いていられない。
ルゼが頰に手を当てて困ったようにそう言うと、ヨハンはピクリと眉を動かしたが、再び可笑しそうに微笑んだ。
「堪え性のない女だな。私は10年前、お前の屋敷の近くで、赤い髪、赤い瞳の女を見たんだよ。ほんの偶然だったが、その女は処刑されたはずの魔女と全く同じ、恐ろしいほどに整った顔をしていた」
「……それが私の母ですか」
ヨハンは不死の魔女を探して歩き回り、やっと見つけたその感動はいかほどのものだったのだろうか。というか、あの母が外に出ていたことが信じられない。
「そうだ。伝承のように不死の能力をもつ魔女が実在するとは、この目で見るまで信じられなかったよ。お前の母親の体を乗っ取れば私も不死の能力を得られると思い、お前らを殺してエルダを誘拐したんだが……」
「……」
不死ではなかったのだろう。ヨハンのその憎々しげな目は、全ての魔女に向かっているようだ。
「あれが本当に魔女だったのかも怪しい。くそっ、私はあれのせいで人生を狂わされたと言うのに!」
母は最期、この檻の中で一人で死んだのだろうか。処刑場からはエルダのおかげで逃げられたとアデリナは言っていたが、それならここを逃げなかったのは母の意思なのかもしれない。
ルゼは小さく息を吸うと、男を見据えて落ち着いた声で尋ねた。
「なぜ私だけ生かしたのですか」
あの時一緒に殺されたかったとずっと思っていた。毎日何をしているのかわからないまま日々が過ぎるだけである。
その質問にヨハンは一瞬目を丸くすると、部屋中に気味の悪い笑い声を響かせた。
「殺したさ。私がエルダを連れて出ようとした頃には姿を消していたがな」
「……!」
「お前こそが私の求めていた魔女だと気がついて、10年かけて探したよ。夜会でレンメルを耳にした時は耳を疑ったが、お前のその顔は本当にあの女に似ている」
しかしこの男も、年頃の令嬢が集まる夜会に逐一顔を出していたとなると、随分執念深い。
「なぜ子どもたちまで攫っているのですか」
「お前が死んだときに魔力が枯渇した暗殺者が数人転がっていたからな、蘇生には魔力が必要なのではないかと考えたんだよ。あの夜会は人が多いから最適だったんだがな」
「……」
無駄足を運ぶことになる前に、ルゼが生き返るかどうか検証したかったのだろう。しかしルゼが不本意にも一命をとりとめたせいで、しびれを切らして手を出してきたようだ。
あの事件の詳細は公表されなかったために、暗殺者を殺していたという事実はルゼもこの時初めて知るものだった。自分がすでに人殺しだったとしても記憶がないからか、無責任にも罪悪感が微塵もわかない。
喋らなくなったルゼを見て、ヨハンが飽きたように立ち上がると二人の子供に視線をやった。子ども達はビクリと身を震わせ、ルゼは睡眠薬が回ってきたのか、足がふらつき、数歩後ろによろめく。
「お前が本当に不死の能力を持っていると分かったら、私と魂を入れ替えてやる。この体で数年は生きられるだろうさ」
「……え!? 嫌だ!!」
クラウスはどこまでなら許容してくれるのだろうか。しかし何であれ、クラウスとこいつの外見が言葉を交わしているのを見たくはない。
初めてぎょっとした顔をして叫ぶルゼに、その場にいた全員がぽかんとした顔をしている。
「心配せずとも、この体は若い。お前とそう変わらないさ」
「……私に触れたら殺します」
「薬の効きが悪いな。流石に化け物か」
外見と性別が変わった自分とクラウス、外見と性別が変わったクラウスと自分、殺人犯と……。眠らないように必死に頭を動かすのだが、いつもの妄想癖がクラウスの方向にしか向かない。
ヨハンは話し尽くしたのか、ふうと息を吐いてルゼを一瞥すると扉へ向かった。しかし思い出したように振り向くと、一緒に入ってきた体格の良い男に言い放つ。
「お前、なぜまだこいつに服を着せている。逃げられたら困るんだ、払った金の分はしっかり仕事をしろ。傷はつけるなよ」
そう言い捨てると部屋を後にした。
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