第75話 皿の上で美しく舞う

「それで、ダンスはできるようになったのか」

「……ぬへ……」


 夜会へと向かう馬車に揺られながら、ルゼとクラウスは向き合って座っていた。


 ルゼはこの日、濃い青色のロングスカートのドレスを着ていた。いつも適当に選ぶドレスはふわりと膨らんだかわいらしいものばかりであったため、クラウスの反応を見ようと大人っぽい印象のドレスを選んだのである。

 クラウスがルゼを数刻無言で眺めた後髪は短いままでも構わないとだけ言ったため、短いままの髪で夜会へ出席しようと決めたのであった。


 ルゼが気持ち悪い笑い声を立てて目をそらすと、クラウスは想定していたのであろう、どうでも良さそうにそうかと一言呟くだけである。


「殿下は踊れるのですか?」

「回るだけだろ」

「絶対違いますよ」

「はは」


 ルゼは自分の記憶力に全幅の信頼を寄せているので、夜会中に覚えようとしていた。


「すぐに覚えますので、一緒に踊りましょうよ。くるくるしたらきっと楽しいですよ」

「……」

「お嫌いですか?」

「……覚えられたらな」

「頑張ります!」


 ルゼは両手を胸の前で握りしめ、頑張る! と決意表明をし、クラウスは小さく笑ってそれを見下ろしていた。


 馬車から下りるとクラウスの腕に自分の手を乗せ、エスコートに従うように歩く。最低限の作法は覚えてきたのだ。

 入った途端に若い男が声をかけてきた。


「殿下、ご出席されるとは珍しいですね。そちらの女性は……?」

「婚約者だ」

「こん……!?」

「ルゼ・レンメルです」


 ルゼは、クラウスがルゼの名を言う前に自分で名前を言い、ドレスの裾を両手で持ち上げて片足を後ろに下げ、淑女の礼を見せる。


「……」

「…………」

(先手必勝ですから!)


 顔を上げると咎めるような視線を感じたが、ルゼは、ふふんと勝ち誇った笑みを向けた。


 ルゼの姓はまだ学院内にしか広まっておらず、それもあまり外に影響力のあるような広まり方をしていなかった。

 ルゼは黒幕本人から近づいてくるように名を広めたいのであり、クラウスがそれを嫌がっているのを知っておきながら自己紹介をしたのだ。


「れ、レンメル……!? あの!?」

「はい。あのレンメルの娘です。今後ともよろしくお願いします」

「あ、ああ……」

「うふふん」

「う、うふふん?」


 “あの”を強調させて笑顔でそう言うと、若い男は引きつった笑顔で去って行ってしまった。

 その後も数人の女性がクラウスに近づきルゼに見下した笑みを浮かべながら名前を聞いてきたのだが、その度にルゼがにこりと微笑んで名を述べたため、皆すぐに立ち去ってしまった。


「なんだか皆様遠くないですか」

「すぐに寄ってくる」


 その結果ルゼは、ホールにある階段の前でクラウスの腕に手を乗せたまま佇むことになっていた。夜会にはレンメルを知っていた者が多かったのだろう、知らなかった者も知っていた人から話を聞いて驚いたような顔をし、二人から距離を置いた所で噂話に花を咲かせていた。


 ホールに入ってすぐはまだ寄ってくる人もいたのだが、犯人が捕まっておらず目的も分からない惨殺事件の生き残りと関わりを持ちたくないのか、皆一様に遠くから奇異の目でルゼを見るだけである。


「殿下が怖いからですね」

「お前が見境なく挨拶するからだろう」

「これだけ人が多いと、情報の巡りも速そうだと判断いたしました!」


 夜会の行われるホールは、派手な上に広く、見たことないくらいに人が多い。

 見えない目でキョロキョロと首を動かすルゼを、クラウスがじっと見つめている。


「身を危険に晒すのが好きだな」

「殿下の隣は安全ですからね」

「……」


 大きなホールには人が沢山いるのだが未だに盛り上がりを見せず、小さく演奏されている穏やかな音楽がよく聞こえてくる。


「所在ないです」


 ルゼが想定外に避けられていることに笑顔のままため息をついてそう言うと、クラウスはどうでも良さげに返事をした。


「そこで舞ってみろ。ちょうど人がいない」

「……意外と自由に生きていらっしゃいますよね」

「はは。冗談だ」

「……」


 こんな、自分のせいで静まり返っているホールの中心で、余計に奇特な人間だと思われるような真似はできない。


 遠くから眺めていたご令嬢が頬を赤らめている。「殿下が微笑んでいるわ! 素敵!」という声がちらほらちらほら──

 

「ムッ!」

「?」

「剣をお借りできますか?」

「構わないが……」


 ルゼは鞘ごと渡そうとしてくるクラウスの手を止めると、勝手に鞘から刀身だけを抜いた。

 普段微妙に距離を置いて隣を歩くルゼであるが、クラウスの懐に入り込んで手を伸ばすと、剣に伸ばされたクラウスの手が僅かに震えて止まった。


 ルゼは剣を持つと、夜会なのに人のいないホールの中央付近へ進んだ。ルゼの動きに応じて他の貴族が距離を取るように後ずさっている。

 

 にこりと笑うと一礼し、剣をゆっくりと上げ、前方に向ける。少し曲調の速い演奏に切り替わり、ルゼは演奏に合わせて剣を回し、優雅に回った。


(……重い……)


 クラウスから借りた剣は、自分が普段から使っているものよりも断然重い。こんな人前で失敗してなるものか、と余裕そうな笑みを浮かべて舞うものの、上げた腕が痺れている。

 曲の終了に合わせてルゼが地面に座ると、ホールの端の方からちらほらと拍手が聞こえ、次第に大きくなっていった。


(……緊張……)


 普段あまり緊張しないルゼであったが、疲れと相まって心臓が大きく鳴っており、ルゼは悟られないようにゆっくりと立ち上がると再び礼をしてクラウスの所へと戻った。


「ちょっと重かったです」


 ルゼがクラウスにヘラヘラと笑いかけながらそう言うと、クラウスは無言でルゼから剣を受け取って鞘に収めた。


「なぜ剣を使う舞にしたんだ」

「他の舞は、衣装があった方がより綺麗に見えると言われたからです」

「へえ」

「ね、剣を使える令嬢なんて私くらいですよ」

「そうだろうな」

「ムッ!」

「……?」


 

 クラウスがあまりワインを飲むなと言い捨ててどこかへ行っている間、ルゼは給仕から受け取ったワインを次々と飲み干し、さらなるワインを片手に壁を背にして、ダンスをする令嬢の足の動きを見ていた。


(……くるぶしが一、ニ、……)

「私と一曲踊りませんか?」


 ぼんやりしているように見えたのか、若い声の男性がルゼににこやかに話しかけてきた。ルゼも男性に焦点を合わせると、にこりと微笑む。


「わたくしダンスは苦手なの」


 さもダンスだけが苦手であるかのように言うのだ。


「ご謙遜を」

「足を踏んでしまうかも」

「構いませんよ」

「あら、ヒールで踏まれたら痛いわよ」

「あなたは軽いでしょうし大丈夫ですよ」

「うふふ。そう?」


 ワインが気分を心地よいものにしてくれている。

 

「でもごめんなさい。最初の一曲は殿下と踊ろうと思っているの」

「お上手でないのでしたら、私と練習しませんか」

「たぁしかにねぇ」

「ルゼ」

「おお! この声は殿下です!」

「……」


 ルゼは差し伸べられた男の手を取ろうとしたのだが、名を呼ばれたため笑顔で振り返った。

 男はルゼのその笑顔に顔を赤らめたのが、クラウスから睨まれて立ち去ってしまった。


 クラウスは壁を背にルゼの隣に立つと、呆れたように小言を言ってくる。


「酒は弱いなら飲むな」

「醜態は晒していないです」

「……」

「ええ? やっぱりかあ」

「何も言ってない」


 ルゼはクラウスの手を取ると引っ張るようにしてホールの中心へ移動し、自分たちのために演奏されている曲に合わせてダンスをした。握った手を横に伸ばし、大きく足を動かす。


「覚えました! くるぶしを」

「……足を踏んでいる」

「うふふふ」

「痛い」

「すみません」


 クラウスはため息をつくとルゼを誘導するように動いてくれた。ルゼもクラウスに誘われるようにしてくるくると回る。


「……苦手なこととかありますか?」

「お前の行動を予測することかな」

「なんですかそれ」

「さあ」


 クラウスは曲の終わりに合わせてルゼの腰を掴み、押し倒すようにして動きを止めた。

 二人のダンスを見ていた人たちが拍手を浴びせ、ルゼはさっさと帰ろうとするクラウスに急いでついて行くのだった。

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