第73話 うるさいんだよ
「幸せでないと意味がありません」
「……私が幸せではないとでも仰っているのですか」
「俺にはそう見えます」
「私が幸せかどうかはあなたが決めることではないです」
大体どこに幸せなどというものを見い出せばいいと言うのだろうか。何も考えずに汗だくで剣を振り下ろしている瞬間は幸せかもしれない。
「ではお嬢様は、ご自分が幸せだと胸を張って言い切ることができるのですか」
「……私だけが……」
「苦しむことが贖罪になるとでもお考えですか。カイルはそんなことは望んでいないと思いますが」
「おい、そのくらいにしろ」
カイルの名が出たため、存在を消していたアランが焦ったようにイェリクに言った。しかしイェリクは口を閉じる気は無いようで、黙り込んむルゼを見下ろしている。
「いえ、一つ言わせていただきたい。ルゼ様が健康で生きてくれていたら、あなたの兄上はそれで満足なのではないでしょうか」
「仮に兄がそれで満足するような人間であったとして、兄の願望通り過去を忘れてのうのうと過ごすと決めた場合、私の感情をどこにやればいいと言うのです。そんな風に生きることに私自身が納得できません」
「過去を忘れろとは言っていません。今のあなたの周りにいる人たちをもっとよく見ろと言っているんです!」
「あなたに何が分かるというのです!!」
ルゼはそう叫ぶと、俯いたまま木の幹を勢いよく拳の側面で殴った。木がさわさわと音を立てて揺れ、拳には粗い木屑が刺さって血が滲んでいる。
今まで怒りを抑えて静かに反論していたルゼが唐突に大声を出したため、アランがびくりと身を竦めたが、イェリクは依然としてルゼを見下ろしている。
ルゼは、ダン、と殴ったことで発された大きな音にはっと目を覚ますと、口を開いては閉じ、小さく頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「いえ、失礼なことを言っているのは俺の方なので構わないです。ただ、正しいことを言っているのも俺の方だと思いますが」
「……そうですね」
「お前早く口を閉じろ」
ルゼはいつの間にか落としていた剣を拾うと、イェリクとアランに深々と頭を下げる。
「……私もイェリク様が正しいと思います。アラン様、ご迷惑をおかけしてすみません」
「いや……」
そう言うと踵を返して部屋へ戻ろうと歩き出したのだが、イェリクがその細い肩を掴んで振り返らせた。
ルゼは抵抗もしないままにその力に身を委ねて振り返るが、目は合わせずに低い声で言う。
「……まだ何か仰りたいことがあるのですか。私にはありませんが」
「あるんじゃないですか。無くても捻り出してください。俺の気持ちが晴れません」
「ありません。放してください」
「無いなら無いで俺の目を見て言ってください」
ルゼはイェリクを見ないまま、消えるような声で呟いた。
「……言っても仕方のないことばかりですので」
「それなら尚更、何の立場も関係もない俺に言って、鬱憤を晴らせばいいではないですか」
「……私の言葉で他人を傷つけるわけにはいきません」
「俺らは傷つけても良いんですよ。既にお嬢様を傷つけてますし」
「いや俺は傷つきたくない……」
イェリクの背後でアランが何か呟いているが、誰も聞いていなかった。
「怨念なんて大事に醸成させるようなものではないですよ」
「傷つきたくない……」
無言を貫いていたルゼだったが、大きく剣を振り上げるとイェリクに斬りかかった。
イェリクはその剣を受け止め、キン、と甲高い音が鳴り響く。
ルゼは拮抗した状態でイェリクを睨み付けると、大きな声で叫んだ。
「……あなたがもっと早くに来ていたら、みんな助かっていたかもしれないじゃないですか! 遅いんですよ私もあなたも!!」
「子供のお嬢様ではたとえ間に合っても……」
「そんなことは分かってます!!」
ルゼはイェリクの言葉に被せてそう言うと、剣から右手を離して全力でイェリクの腹部を殴った。
「……ぐっ……」
殴られることは想定していなかったのか、腹を押えて後ろによろめいている。
ルゼは身を屈めるイェリクを一瞥すると、剣でアランを指して再度叫んだ。
「アラン様!」
「はい!!」
アランが急に名指しで睨まれたことで、姿勢を正して元気よく返事をしている。目がうろうろと中を泳いでおり、一番無関係なのに傷つけられようとしていて不憫である。
「あなたもお兄様の同期のはずですが、本当にイェリク様の言い分が全て正しいとお考えなのですか」
「……それは……」
「どうなんですか」
ルゼの納得する答えを探すアランに、ルゼは語気を強めて催促した。
「……イェリクの言い分が7割正しいと思う……」
「3割は私の言い分に納得してくださったと言うことですね。ありがとうございます」
「……いや、5割かな、とか……」
アランは自分がないので、よく他人に同調して場を収めていた。
ルゼは言いよどむアランを横目に、剣を下ろすとイェリクを見つめる。
「イェリク様も、私の考えに納得できない部分はあると思います。全て間違っているとお思いかもしれません。でも私は自分が信じたようにしか生きられませんし、昨日今日知り合ったような方から諭される意味も分かりません」
「……ごもっともで……」
「ルゼ様は他人を受け入れていないだけ……」
「お前は黙ってろ!」
「うるさいんですよ!!」
ルゼがアランよりも大きい声量で怒鳴ったため、アランがビクッと身を竦ませている。
「共感を求めているわけではありませんが、お二方の中にも多少なりとも私と同様、兄を救えなかった後悔があるのではないのですか。私が怨念を醸成しているだけなのだとしたら、あなたたちはどうしようもなかったと諦観して自分を守っているだけだわ」
「…………」
ルゼははっきりとそう述べると剣を握る手に力を込めた。
「あれ以上どうしようもなかったのは紛うことなき事実ですし、お二人が悩む意味も意義も全くありません。でも私は自分を守って目の前で死んだ兄を思い出して、後悔せずにはいられないんです」
そう言いきるとイェリクとアランに視線をやり、両手を前で揃えて直角に腰を曲げ、深く頭を下げた。
「……押しつけがましく主張した上、お二人を責めるような言葉を言ってしまい申し訳ございません」
ルゼが遠くまで通る声でそう述べると、呆然としていたイェリクが我に返り、アランを引っ張ってルゼの前で頭を下げた。
「俺も、申し訳ございませんでした。分かったようなことを言ってしまって……」
「……俺は何も言ってない……けど、すみません」
「いえ、言わないのが強さですよね。恥ずかしくなってきました……」
「いえ、言わせたのは俺の方なので……」
「いえ、言ったのは私なので……」
「……いえリク! そろそろ戻るぞ、馬鹿たれが! お嬢様も、今日のことは不問にしていただけると助かります!」
不問にするも何も、ルゼだけが幼稚なのである。
お互いに頭を下げていつまで経っても謝っている二人を前に、アランが珍しく場を仕切るとルゼに小さく頭を下げて、イェリクを引っ張っていった。
* * *
「……なあアラン」
「なんだ」
イェリクはアランに引っ張られながら、先程とは打って変わって静かな声で尋ねた。
「……カイルはお嬢様を守って亡くなったって、知ってたか?」
「知っていたら何だと言うんだ。全て知っているからといって何でも言っていいわけじゃないし、知らないなら知らないことを弁えて黙っとけ。俺も知らなかったが」
「……すまん」
「謝る相手は俺じゃないだろう馬鹿が」
「……すまん」
アランはイェリクの覇気の無い謝罪にため息をつくと、自分に言い聞かせるように言った。
「……お嬢様はまだ16なんだ。わざわざお前が言ってやらなくても、これから色々学んでいくさ」
「……」
イェリクに言わせたのはアランである。
「……言わないことが強さだなんて、ずっと一人で耐えてきたのかね……」
黙るイェリクを横目にアランは再度ため息をつくと、自分たちを見据えるルゼを思い出して小さくそう呟くのだった。
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