第72話 怒らせてみましょう
翌朝、ルゼは騎士の制服に着替えると一心不乱に素振りをしていた。
ぶんぶんと頭を振ると、眠る前に交わしたクラウスとの会話を思い出す。誰かの優しさと好意に気づかないふりをした。だって気づいたら生きられない。
(……道理に逸れていても、目的がないと生きられない……)
弱い自分はいらない。あの人から言葉をもらってしまっては、弱くなるのは目に見えている。
(……気を引き締めなさい屑のくせに! 私は幸せになってはいけないの!)
乱暴に剣を振り下ろすと、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「剣の軌道が乱れてますよ」
「アラン様。それにイェリク様も、おはようございます」
ルゼは二人が腰に剣を携えていることを確認すると、笑顔を崩さないまま言った。
「お時間ありましたら、剣の相手をしていただけませんか」
「俺はいいですよ!」
「じゃあ俺は見ておきますから、殿下にバレたら全部イェリクのせいにしてください」
アランはいつも逃げの言葉を先に言う。真似はできないししたくもないが、それも強かで素敵だと思うのだ。
木剣を取りに行こうとするアランの腕を掴んで、にこりと微笑む。
「いえ、真剣で二人同時に私の相手をしていただけませんか」
魔法の使えない16の少女に騎士二人で襲いかかれ、と言っている。
ニコニコしながらそう言うルゼに、アランがピクリと眉を動かした。
「俺とこいつが、同時にお嬢様に斬りかかれと仰ってるんですか」
「はい。魔法も使ってください」
「……俺らを舐めていらっしゃるのですか」
「はい」
アランの額にピキリと筋が浮かんだ。対してイェリクはふむとルゼを眺めている。
「言っておきますけど、魔法は詠唱から発動までに間が生じるので実践向きではないです。どの魔法をどの場面で使うかも、瞬時に判断しなければなりません」
「存じております。でもアラン様は、剣よりも魔法の方が達者でしょう」
アランは隠しているのだろうが、魔力量だけ見ればクラウスより多い。体格に恵まれていない代わりに、持っている剣に魔力を通して威力を出しているように見える。
ルゼの言葉はおそらく図星であり、更にアランが騎士として最も恥じている部分だろう。イェリクは笑っているが、しん、と空気が冷えた。
「俺を馬鹿にしているのですか」
「皮肉も分からないの? 剣だけでは勝てないから、魔法の鍛錬をなさったのでしょ」
「口が悪いから、外に女を作られるんじゃないですか?」
「恥じていないなら、私の指摘に言い返したらいいのに」
「……分かりました。俺は魔法を使わないのでお嬢様は使ってください。俺だけで──」
「アラン、ちょっと落ち着け!」
アランが剣に手をかけると同時に、イェリクがその肩に手を置いて制止した。アランは我に返ったのか、びくり身を震わせて手を止めている。
「ルゼ様、こいつは臆病なくせにキレやすいんで、無闇に発火させないでください」
「誰が臆病だぶち殺すぞ!!」
「何の話です?」
ルゼのせいで、アランがちょっとした言葉にも噴火するようになってしまった。
イェリクはルゼがとぼけてもお見通しなようで、からうような笑みを浮かべている。
「今わざとアランを怒らせましたよね」
「……本心ではありますけどね」
アランが瞬間的に剣を抜いてルゼに斬りかかった。ルゼも瞬時に剣を抜き、キィンと鋭い音が鳴る。
キリキリと剣を交差させていがみ合っている二人を、イェリクがため息混じりに見ている。
「アラン、自分の努力くらい認めたらどうだ。戦い方なんて強ければどうでもいいだろう」
「勝手に俺を評すな!!」
「落ち着け。この人はこの顔だがカイルじゃない。お前より圧倒的に弱いからそう怒るな」
「は? 何を根拠に私を弱いとのたまっているのですか」
「簡単に挑発に乗せられる人間は一概して弱い。分かったら二人共剣を下ろせ!」
そう叫ぶと同時に勢いよく頭を叩かれ、アランとルゼはその痛みに剣を落とすと頭を押さえてしゃがみ込んだ。
しゃがみ込むアランを、イェリクがゴミを見る目で見下ろしている。
「アラン! 剣を人に向けるなら、相応の理由があったんだろうな。ないなら騎士を辞めろ」
「……」
「ルゼ様! 不純な理由で剣を持つ人間が、こいつの努力を馬鹿にする資格はないです。今のは貴方が悪い」
「……」
ルゼはしゃがみ込んだまま、目の前でしゃがむアランの手を両手で握りしめた。
「……ごめんなさい。まだ仲直りできますか」
「……最初から怒ってはいませんが、怒らせて何がしたいんですか」
「実戦を想定した練習を……」
アランが、自分の手を握る少女の、マメだらけの硬い皮膚をじっと見ている。何か言いかけて口を閉じ、むしゃくしゃしたように頭を掻くと、イェリクを睨みつけた。
「イェリク! お前良識が大好きだろ! 何か言ってやれよ」
「俺に丸投げするな」
「私は誰の言葉も求めてないです。アラン様に許しをもらったら帰ります」
「じゃあまだ許してないんで、手を握ったままここにいてください」
「……」
アランの右手を両手で包んだまましゃがんでいると、頭上からイェリクの声が降ってきた。
「お嬢様は、自分が何もできなかったことを後悔して、剣を振っておられるのではないですか」
「そうであったら何だというのですか。騎士道に生きる方は嫌忌されるかもしれませんが、私は後悔を糧に努力することで生きていられるんです」
「それ自体はよくある話です。目的の大小など些細な事だ。しかしお嬢様は、剣の目的と生きる目的を混同されている」
ルゼは自分をまっすぐに見つめてくるイェリクの瞳を見返すと、芯のある声で言い返した。
「私は、私の目的のために生きることに疑問を抱いたことなど一度もありません」
「本当にその目的が自分の人生を賭けるほど大義あるものだと考えているのですか」
「信念を持って貫き通せば、死ぬ間際には大義も感じられるのではないですか。それに、余計なものを省いた人生が一番有意義なんです。一度決めたことですのでこれ以外は考えません」
「人はそれほど単純には生きられませんよ。余計なものとして除かれた中に、大事なものがあったかもしれません」
「人生は有限なんですよ。できることには限りがあります。兄は何も成さないまま死にましたし、私もいつ死ぬか分かりません。優柔不断なままあらゆる物事に心を煩わせるのは、時間の無駄だと思いますが」
アランが、「手痛い……」と呟いたため、ルゼは立ち上がるとイェリクを睨みつけた。
イェリクはルゼの強い視線に、小さく息を吐くと言い放つ。
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