第五章
第68話 同期
ルゼは朝早くから起きると地下書庫へと向かっていたのだが、銀髪の男性に呼び止められた。
「ウォルター様。朝がお早いのですね」
ウォルター・グラーツはクラウスの補佐役のような立ち位置にある。ルゼがクラウスに求婚しに行った日に、無謀にも部屋から追い出されていた人だ。
「……私はお二人に同じ事を言いたいのですが」
ウォルターは困った顔をしながらそう呟くと、いつものように人当たりの良い笑みを浮かべて事務的に言った。
「殿下は本日より暫くの間外出しておりますが、屋敷内は自由に使って良いと伝えるように言付かっております。休暇中の間はこの屋敷内でお過ごしください」
「……どちらへ? お一人でですか?」
(……何も言わずに……?)
人の行動には口を出してくるくせに、自分はふらふらと気の赴くままに動いているようである。
ルゼが少しだけ眉を寄せて聞き返すと、ウォルターはにこりと笑って答えた。
「心配なさらずとも大丈夫ですよ。ルゼ様にはどのように見えていらっしゃるのか分かりませんが、殿下をどうにかできる方はこの国にはいないかと。……ルゼ様を除いて」
「……」
(私はそこまで強くないんだけど……。私を猛獣か何かだと思っているのかしらこの方……)
一皇太子が一人で外出などあり得ない。秘密に動きたいなら護衛役を買って出たい。信頼はないからそうしないのだろうけれど。
不満げな顔をするルゼに、ウォルターが穏やかに微笑んでいる。
「殿下もルゼ様のことが気がかりでしょうから、不用意に屋敷の外へ出ないようにしてください。魔力も倒れるまでお使いになりませんよう」
誰かから頻繁に言い含められる、聞き慣れた苦言だ。
「……それもクラウス様からの伝言ですか?」
「おや、よく分かりましたね。他にも色々ルゼ様を案じたお言葉を申しつかっておりますが、お聞きになりますか?」
「いえ! おそらく全て一度は言われたことがあるお言葉だと思うので!」
いない時まで脳みそを奪うなんて、気の抜けない男だ。しかも伝言として残すような言葉でもない。
ルゼが手のひらをウォルターに向けて制止すると、ウォルターは何を考えているのかにこにこと楽しそうに笑っている。その柔和な微笑みに、ルゼもほんわかとした気持ちになるのだ。
「……あの、人に聞くようなことでもないのですが……」
「なんでしょうか?」
「……私も殿下のお役に立ちたいのですが、ウォルター様は何か思いつきますか?」
ルゼは未だに、クラウスに何か恩返しをしようと考えていた。今までは借りたものを返すという認識だったのだが、返せないので自分にできる範囲で最上のものを代替として返そうと考えたのだ。
自分で考えるべき事なのだが、ウォルターの方がクラウスの必要としていることが適切に判断できるだろう。もう十数年仕えているらしいから。
「……ルゼ様なら、殿下の近くにいるだけでよろしいのではないかと」
真面目な顔をしてわけのわからない提案をするウォルターを、ルゼはじっと見つめる。
「私は真剣に考えているのですが」
「私も真剣に答えておりますが」
やはりこのお屋敷には、変な人がよく集まるようだ。
ルゼはウォルターと暫く無言で見つめ合っていたのだが、ウォルターは、そうですねえ……と小さく呟くと躊躇いがちに次策を提示した。
「……今度夜会が開かれるのですが、その話を殿下に振ってみてください。あと、私が夜会の存在をルゼ様に教えたことはどうか内密に……」
「! 教えてくださってありがとうございます! 長く引き留めてしまって申し訳ございません」
(内密……秘密の夜会とか……?)
仮面舞踏会だろうか。どうやったらそこでルゼが役に立つのかはわからないが、それは自分で考えろということなのだろう。
ルゼはウォルターに礼をすると、本を返しに書庫へ向かった。
(でも、自由に過ごして良いなら、今日は読書じゃなくて別の所へ行こうかな……)
ルゼはかねてより行きたいところがあった。
* * *
昼、ルゼは騎士の訓練場へ出向いていた。騎士の訓練の様子を見に来たのだが、騎士達はちょうど昼休憩に入っているようで、皆自主的に訓練をしたり何か話し込んだりしている。
(……午後からの訓練を見学しても良いか聞きたいのだけど、ここの指揮官が誰か分からないわ……。やっぱり迷惑かしら……)
偉そうな人を探しに来たのだが、皆雑多に混じり合っており、誰に許可を得れば良いのかわからない。当日の、しかも直前ともなると余計に迷惑だろう。
帰ろうと踵を返したのだが、振り返ると同時に厚い胸とぶつかった。
「……何か御用で?」
騎士が二人立っているようで、片方はがたいが良く、もう片方は細身の男性のようだ。
ルゼは鼻を押さえながら顔を上げ、細身の男性騎士と目を合わせた。
「ご迷惑でなければ、午後の訓練を見学させ……」
「おお~!! 近くで見ると一層お綺麗ですね!」
がたいの良い方の騎士に、話す間もなく全力で褒められた。こんなに直球で褒められるなんて、さては手練れだろう。
「えと……」
「あ、俺らは殿下にお嬢様の護衛をするように言われたんですよ」
護衛騎士がつくなんて、自分の立場を感じる。何から守ってくれるのだろうか。
先程からルゼの言葉を遮る男に、ルゼとぶつかった騎士が我慢ならないというふうに怒り出した。
「おい、何か言いかけてるだろ!」
「俺がイェリクでこいつがアランって言います! あの時門番してたやつなんですけど覚……」
「黙れ! 覚えてるわけないだろうが!」
「お前もあの時凝視してただろ! 」
「黙れ!!」
「お前の方がうるさいわ!!」
あの時、とはルゼが初めて本邸に出向いた日のことを指しているのだろう。無駄に飾り立ててもらった様子を見られているのが恥ずかしい。
ルゼを無視して二人の騎士が言い合っているのだが、この二人はいつもこんな感じなのだろうか、結構な大声であるのに他の騎士はチラチラと見るだけである。
(……お兄様も、騎士団にいたらこんな感じだったのかしら……)
漫才のような口論をする二人を前にそんなことを考えていると、アランがイェリクの口を塞ぎながら尋ねてきた。
「見学したいと仰ってましたが、剣に興味があるのですか? 前に、素振りをしていらっしゃいましたよね」
「いえ見るだけです」
見られていたのか。剣を扱うのが本業の人に向かって、剣が好きだとか言いたくはない。
その理由でルゼは咄嗟に否定したのだが、イェリクは別の理由があると勘違いしたようで、ニカッと元気よく笑って言った。
「別に、剣を振る令嬢がいてもいいんじゃないですか? カイルも喜んで……」
「おい、そういう事を言うな! それにそれは口外するなと言われてるだろうが!」
一瞬兄の名前が聞こえたような気がする。
「……兄をご存知で?」
ルゼの困ったような泣きそうな笑みに、二人が一瞬沈黙してしまった。
アランも困ったように微笑みながら、イェリクの頭を一度全力で殴ってから口を開いた。
「……俺らはカイルの同期で部下なんですが、俺がアラン・ゼクロス、こっちがイェリク・アーベルです」
「……ルゼ・レンメルです」
同期で部下ということは、兄はやはり剣の才能があったようだ。努力をしたらできるようになると信じている節があったけれどそんな人が上にいるなんて、部下に嫌われていそうだ。
ルゼは、騎士の人に悪口を言われて言い返している兄を想像して僅かに微笑むと、同期だと言う二人に尋ねた。
「兄は……嫌われてはいませんでしたか? 鬱陶しい性格をしていましたが」
その質問に、二人が柔和に微笑んでいる。
「あいつ、同期の中では群を抜いて剣の才能があったんですよ。魔法が全く使えないくせに昇格していくから妬むやつもいたんですけど、度を超えたシスコンぶりにみんな絆されていったというか……」
「シスコン」
「はい。『僕の妹は国一番の魔導師になれる! そして僕が剣を教えるから強い騎士にもなれるに違いない!』とかほざいてましたよ。常に」
「……それは忘れても良い記憶かと」
「忘れられない熱意と頻度でした」
「……」
(恥ずかしいのだけど……。私今魔法使えないし)
イェリクも力強く頷きながら聞いているので、本当に色んな人に言いふらしていたのだろう。
魔導師になる努力をしたほうが良かったのかもしれない。終わったら騎士でも目指してみようか……。
「お嬢様」
「ルゼでいいですよ」
「ルゼ殿。騎士の制服が余っていると思うので、殿下がここにいない間だけでも騎士団に混じって訓練をされてみてはいかがですか? 剣がお好きなようでしたし」
「馬鹿かお前!」
「「バレなければ問題ない」のでは!?」
ルゼとイェリクの重なった声に、アランが困惑した声を出した。
「バレなければってお前……」
「どうせ監督が不在の間、ヤナ殿が統率するんだろう。バレても融通が利きそうだ」
「なんでお前は、いつもそう恐れ知らずなんだ」
(……ヤナ様……? どなたかしら)
アランは渋々と言った様子ではあるものの、ルゼの輝く瞳とイェリクの暑苦しい熱意に負けて折れてくれたようだった。
(……自由に過ごせってこういうこと……!?)
ルゼはそんなことを考えながら二人に頭を下げると、明日からの騎士訓練に胸を弾ませるのだ。
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