第66話 もこもこ

 孤児院はルゼが想像していたよりも小さく、古びた外見をしていた。庭には丈の短い植物が生えているだけで、見た目に美しい植物は植える余裕がないようである。


「この辺りにいろ」

「あの、お話の最後の方にでも、この書類とこちらの物を院長様にお渡しいただけませんか?」

(自分で紹介したいけど、身元も知れない人間の話なんて聞いてもらえないだろうし……)


 ルゼはそう言うと、紙と紙で包んだ物体を鞄から取り出してクラウスに手渡した。仕事の邪魔になるかな?  と考えていたのだが、クラウスは無言で受け取るとさっさと行ってしまった。


(ありがとうございます……!)


 ルゼはクラウスと別れると、庭の片隅で土で団子を作って遊ぶ4人の子供達に近づいた。子どもたちは肉付きが良くないが、頬が子供らしく赤く染まっている。


「何をしているんですか?」

「泥団子を作ってるんだよ! 誰が一番綺麗に作れるか、勝負してるの!」


 泥団子とは、ルゼも幼少の頃作ったような記憶がある。兄に投げられた泥団子を小さな剣で弾き飛ばし、運が悪ければ体が泥まみれになるという遊びをよくしていた。泥まみれになった服は、あの家で兄の他に唯一顔を見てくれた侍女が、説教のあとに洗濯してくれたものだ。


 6歳ほどの女の子が勢いよく答え、ルゼはそれを聞いて目を輝かせると、子供達に提案する。


「私もその勝負に混ざっていいかしら」

「いいよお! 勝ったらね、一つだけお願いを聞いてもらえるんだよ!」

「え~頑張ります!!」


 ルゼは今日、お願いしたいことがあってここに来たのだ。この試合の勝利を大人気なく掻っ攫って、合法的にお願いするしかない。

 ルゼは勝つために近くにあった井戸から水を汲んできたのだが、四人の子供達は次々に批判的な声を上げた。


「お水つかうの?」

「土なんて、水に入れたらぼろぼろになっちゃうぞ」

「やっぱり大人はしらないんだ」

「……知ってるに決まってるでしょ!」


 むしろ大人の方が知っている。

 子供と大人の境目とはおそらく、きれいな泥団子を作った日にあるのだろう。ルゼがせっせと泥を捏ねると、最初はルゼを批判していた子供達も、次第にピカピカに磨かれていくルゼの泥団子に夢中で見入っていた。


 ルゼが井戸から綺麗な水を汲んできて遊んでいる子供達を眺めていると、背後から聞き覚えのある声が飛んできた。


「誰だお前」

「あ! お名前聞きそびれたの、気になってたんです」

「……初対面だと思うんだけど……」

「……んん……」

「おまえもしかして、あいつの家族か? 顔が似てる」

「そ、そう! あいつの姉なの! ルゼです!」

「俺はファル……とか」


 あいつ、とはルナのことだろう。都合良く解釈してくれたようで助かった。

 また会えたことが嬉しいのだが、ファルは綺麗なドレスを着ているルゼを睨んでいる。


「お前自分だけ良い服着て、あいつにも着せてやれよ」

「……ごめんなさい」

「ま、まあ、俺が言うことじゃないよな。お前、そこに座ってるとその綺麗なドレスが汚れるぞ」


 ファルは、相手が悲しそうな顔をすれば説教するのを辞める人間であるようだ。根気というものを教えても良いかもしれない。


 ルゼはファルのその言葉に目を輝かせると、鞄から紙に包まれた角形の物体を一つ取り出し、中から白い固形物を出した。


「今日はその汚れを解決するために、これを持ってきました!」


 ルゼはそう言うと、先程汲んできた水で自分の手を濡らし、白い固形物を滑らせて泡を作った。もこもこと、ルゼの両手に白くきめ細かい泡がたつ。


「お、おい、なんだそれ……」


 ファルは見たこともない白い泡がもこもこと膨らんでいくのを見て、慌てたようである。


「これは、汚れた手を綺麗にしてくれるんです! これを使って、ご飯を食べる前と外で遊んだ後に手を洗えば、病気にもかかりにくくなります」


 肌荒れに良いとか、環境に害が少ないとか、皮膚病の何に効果があるだとかもっと色々説明したいのだが、見た目のインパクトだけあれば十分だろう。

 ルゼはそう言うと、泡に息を吹きかけてシャボン玉をいくつか飛ばした。その光景に、懸命に泥団子を作っていた四人の子供達がはしゃぎだしている。


「……それ、俺にもしてくれよ」

「いいですよ……あ」


 ファルはもじもじと恥ずかしそうな顔をして自分の両手をルゼに差し出したのだが、ルゼがファルの手を取ろうとして寸前で手を止めたために、心を開きかけていた少年が出会った時と同じ表情に戻ってしまった。


「……やっぱりお前も他の貴族と同じで、俺らを汚いと思ってるんだろ」


 やはり貴族というものは、どこに行っても受けが悪い。しかもこの手のタイプは、違うと言ったところで聞いてはくれないのだ。


「……手は洗わなければ汚いですよね。私も今土を触りましたし大分汚れてました。あーでも、土に住んでいる微生物たちを人間の都合で汚いと評するのもおかしいですよね。すみません。ですが病原菌を持ち込まないためにも手洗いは推奨したいところです」

「は?」

「ルゼ」


 ルゼの頭上からクラウスの声が降り注いだ。

 ルゼは急いで手の泡を洗い流すと立ち上がり、クラウスが差し出してくれている書類を濡らさないように受け取らずに見ると、歓喜の声を上げた。


「……印鑑!! クラウス様、ありがとうございます!」

「俺は何もしていない」

「いえ、ありがとうございます。すみません、もう少しだけ時間をいただけますか?」

「いくらでも」


 ルゼは軽くクラウスに頭を下げると、呆然と佇むファルの前にもう一度しゃがみ、今度はファルの手を両手で包んで水で濡らし、白く柔らかい泡を立てた。子供の手はふかふかしている。

 小さな手を傷つけないように、泡だけを触れさせるようにして手を動かす。


「爪の間や手首まで、綺麗に洗ってくださいね。私も洗い方が伝わるような絵を描いてみたのですが下手だったので、ファルが他の子に教えてあげていただけますか?」


 ルゼがファルの手を包んで洗いながらそう説明すると、ファルは無言で頷いてくれた。


「ありがとうございます!」

(……元気ないな?)


 ルゼも鼻歌を歌いながらファルの手を丁寧に洗っていると、ファルが小さな声で呟いた。


「……もこもこ」

「もこもこ?」

「……ふわふわ」

「もこもこ~~」

「…………ふっ」

「!!」


 もこもこ~と言いながら、自分でしたのと同じようにファルの手にできた泡に息を吹きかけてシャボン玉を飛ばしたのだが、頭の上からクラウスの小さな笑い声が聞こえてきた。

 クラウスは子どもが好きなのだろうか。子供っぽい大人と子どものような大人ならどちらも拒絶されそうだ。


「えと、洗い終わったらすぐに綺麗な水で流して、清潔なタオルで拭いたら完了です! これから毎日使っていただけますか?」

「うん……」

「うん!」


 ルゼも大きく頷くとファルの手を綺麗に洗い流し、持ってきたタオルでふわりと包んで水気を拭き取った。フワフワの白いタオルで手を包めば、より一層綺麗になったような感じがするものである。


 そのまま帰ろうとしたのだが、他の四人にもせがまれて手を洗ってあげることになった。クラウスを待たせてしまっているのが申し訳ないのだけれど、確認しようとしたら幼女に求婚されている様子であったので、無視して四人の手を洗うことにした。


「おねーちゃん手ガサガサー」

「ケアを怠っています」

「ちゃんとしなよ」

「すみません」


 小さな男の子に毒づかれながらも手を泡立てていく。三人目の子供の手を洗っているときに、待つのに飽きた子供が、クラウスにルゼの作った泥団子を見せびらかしていた。


「おにーちゃん、これ、あのおねえちゃんがつくった泥団子なんだよ。きれーだよね!」

「……」


 女の子は歯の抜けた笑顔を見せるとクラウスに泥団子を手渡し、あろうことかクラウスはその泥団子をためらいもなく受け取ると、丸く光る泥の塊を眺めている。

 幼年の彼は泥団子どころか外で遊ぶことですら縁がないだろうに、よく庶民に混じれるな、とルゼは毎回不思議な気持ちになるのだ。


「感想はっ?」

「……性格が出ている」

(ぎゃあーーっっ)


 謎の感想を呟いている。キラキラと輝く固い泥に表れる性格とは、一体何なのか教えてほしい。

 ルゼは3人目の子の泡だらけになった手を急いで洗い流すと、クラウスの手から素早く泥団子を奪い取ってぐしゃりと握り潰し、女の子と目を合わせた。


「この方は、すっっっごく偉い人だから、泥団子には興味がないの!」

「偉い人だと興味がないの?」

「そりゃあ……──」


 偉い人は一概して泥団子に興味がないだろう。中でもクラウスは、泥団子にも子どもにも人間にもルゼの泥団子の出来にも興味がないだろう。

 しかし、キラキラと輝く純粋な子供の前で、そんな無粋なことは言えない。


 ルゼはごほんっと咳き込むと、少女を半ば睨むようにして言った。


「──……私が恥ずかしくなるからダメ! 手を洗うから両手を出してくれますか?」

「私はあっちの子に洗ってもらうから、おねえちゃんは偉い人の手を洗ってあげなさい!」

「……え? いえ、この方は自浄作用が……」

「おだまり! こうりつか、ってやつよ!」

(む、難しい言葉を……)


 殿下は洗わなくても常にきれいなのだ。


 女の子は誇らしげにそう言うと、他の子のもとへ走って行ってしまった。

 ルゼはしゃがんだまま固まってしまったのだが、クラウスはどういうわけか井戸から水を汲んでくると、ルゼの隣にどんと置き、自分もそこにしゃがんでいる。

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