第65話 甘えられたいです
『お前のような魔力量が異常な化け物、私には愛せない。どうしても家にいたいと言うのならこの指輪をはめておきなさい』
六歳のルゼを、父ハインツが冷たい目で見下ろしてそう言い放つ。
『お前がいなかったら僕は生き残れたのに。自分一人だけのうのうと生きているなんてひどいじゃないか』
『私は魔女であることを隠していたのに、あなたが化け物だったせいで私まで疑われてしまったのよ』
ルゼは、憎しみに顔を歪める兄と母に、ごめんなさい、ごめんなさい、と嗚咽で言葉にならない声を漏らして謝り続ける。
『お前さえいなければ!!』
エルダがそう叫んで、ルゼに手を振り上げた。
「……っ……」
(……夢……)
バクバクと脈打つ心音に、ルゼは今見た映像が夢であることを確認した。しっとりと額に汗が滲んでいる。目元に滲む涙を拭ってぼんやりしたまま起き上がったのだが、すぐ横に広がる光景に意識がはっきりと呼び寄せられた。
「!」
なぜかよく分からないが至近距離にクラウスの胴があった。幸運なことにくっついてはいなかったようで、微妙に間が空いている。
朝とは言えまだ日が昇りきっておらず、早朝は肌寒い。ルゼは暫くじっとして微かな寝息に耳をそばだてていたのだが、暖を求めてクラウスの胸へ顔を埋めた。
(……あったかい……)
「……ふ」
「……」
(起きてる……)
寝たふりでもしていたのかと思ったが、その笑い声はまだ眠そうだ。朝に弱いのかもしれないが、もしかしたらルゼが安眠を阻害していたのかもしれない。
「……すみません……」
口の中でクラウスにも聞こえないような謝罪の言葉を呟いたのだが、クラウスの耳に届いてしまったようであった。怒らせてしまったのか、背を押すようにしてクラウスの胸元へ力強く押しつけられた。
「ちょっ……」
「……すぐ謝る……」
「くるしいです……」
「……」
衝動的に抱きしめないでほしいし、加減を知らないようだ。心臓が場所を主張してきている。
目が覚めてきたのか、クラウスはルゼの額に触れると先程より明瞭な声で尋ねた。
「……体調は」
「かなり良いです。最近は体内の魔力も増えたのではないのかと思うほど……」
「そうか」
魔力が増えることなど今のルゼにはあり得ないのだが、ルゼはここのところ以前のように倒れることもなくなっていた。
何も見えないのだが、隣で眠りかけているクラウスをじっと見つめていると、何故か唇に柔らかく触れられた。微かに押され、なぞられる。
「……」
ルゼの唇はよく乾燥するので、リップだけは毎日塗っている。おそらく乾燥はしていない。
何も言わずにじっと唇を引き結んでいると、特に何をされるでもなく、その手は頬にできた痣へと移動した。
「……え……」
唇は乾燥していないのだけれども、クラウスは眠いようだ。
ルゼが無言のままクラウスを押し返してもそもそと起き上がると、クラウスも無言で上体を起こしてルゼに毛布を掛けてきた。まだ寝たいという意思表示なのだろうか。
空はまだ暗いと言えども鳥がさえずっており、ルゼの中ではまごうことなき朝だ。
「……眠いんですか?」
「……いや……」
そうは言うものの、声がぼんやりしている。
「……抱き枕にします? 私を……」
「………………」
「………………」
顔が熱い。狡いかもしれない。
妙な沈黙があったので起きるものと思われたのだが、クラウスはルゼの肩に頭を乗せ、ルゼの寝起きでボサボサの髪の毛をわしわしと撫で回した。
これだけ会話をしていて目が覚めないというのは、朝が弱いと言うよりも、うまく眠れていないのかもしれない。
ルゼは、固い肩を枕に回復しようとしているクラウスをちらりと見やり、ゆらゆらと揺れながら囁くようにして尋ねた。
「……夢見が悪い?」
その質問にクラウスの手が止まり、ボソリと呟かれた。
「……それは俺じゃない……」
「…………あー…………」
大方、隣で寝ていたルゼが被害妄想を拡大させた悪夢に苛まれている様子を見て、どうしたものかと頭を悩ませていたのだろう。あるいは寝言で怨嗟を呟いていたせいで呪われたのかもしれない。
(……叩き起こしてくれればいいのに……)
苦悶に満ちた表情をするルゼを、困った顔をして一晩中慰めでもしたのだろうか。
ルゼはクラウスの首に手を回すと、クラウスと共に背後へドサリと倒れ込んだ。
口元にある耳に、クスクスと笑いながら囁く。
「貴方にも甘えられたいです」
一晩中気を遣ったせいで寝る間を逃したなんて、なんともおかしな話だ。慰め方がわからないと前に言っていたが、本当に不器用なようだ。そんなに優しくされたら離れ難くなってしまうじゃないか。
そう囁きながら、夜な夜な呪われたせいでルゼを覆うようにして倒れ込んでいるクラウスの背を、ぽんぽんと撫でた。
「ふふ、私が甘えたいだけかも」
「……」
「あったかいですよねえ……」
小さく笑いながらそう囁き、このまま一緒に寝るつもりで目を瞑ったのだが、ルゼに被さるようにして倒れていたクラウスは気だるげに起き上がってしまった。
ルゼの顔の横に手をおいて、じっと一瞬その顔を見ていたようだったが、すぐに目をそらすとルゼから離れた。
「……俺は起きる」
起きる、と宣言してから起きる人を見たことがない。面白い人だ……
「……じゃあ私も……」
ルゼは一人取り残されたまま全身で伸びをすると、クラウスに続いてのそのそと起き上がった。
毛布を除けてベッドから足を出したのだが、部屋を出ようとしていたクラウスが戻ってきて、ルゼの足を再び毛布の中へと収納している。
「……」
「……」
ルゼの肉のない足の皮膚に、冷たい手の感触が直に伝わっている。そう思うと、太ももにシャツの裾が触れている感覚がある。
今ふと思ったのだが、生足を晒す令嬢はただの痴女だ。
「……侍女を呼んでくるから」
「……忘れてま……忘れてください」
「うん」
ルゼの体は無事成体へ戻ったようだ。
クラウスは、カッと顔を赤くしたルゼを一瞥すると部屋を出ていき、代わりに一番早起きの侍女と言われるオリビアが入ってきた。
オリビアは、クラウスの部屋に呼ばれたことと、ルゼがクラウスのシャツを着てクラウスの部屋で顔を真っ赤にして毛布を引き寄せている状況に驚いたようだったが、一つ咳払いをすると何も見なかったような手際の良さで着付けてくれた。
* * *
クラウスは自分の隣で眠るルゼの頭を静かに撫でていた。どのように成体に戻るのか気になったために暫く起きていたのである。
ルゼに触れないようにしていたのだが、ルゼは体が元に戻るとすぐに寝返りを打って暖を取るようにクラウスの近くへ移動してきた。すやすやと眠るルゼを眺めていると、ボソボソと何かを呟いている。
「……ごめんなさい……、わたしのせいで……」
涙を流しながら寝言でしきりに謝るルゼに、クラウスは寝るに寝られなくなってしまっていた。
「おとうさま……そんなにわたしのこと……」
ルゼの涙を優しく拭うと、その額に自分の額をつけ、小さく呟く。
「……お前のせいじゃない。そんなに泣くな」
そう囁くとルゼの寝息が落ち着いたのを確認し、ルゼと額をつけたまま眠りについたのだった。
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