第64話 すれ違い
ルゼの幼児化の薬はまだ解けていなかった。
傷だらけで子供のルゼを別邸に帰し、クラウスとの関係性を聞かれるのも面倒だということで、ルゼは本邸に一泊することになっていた。
というのがルゼの考えるところの理由で、その実クラウスが子供になったルゼを抱えたまま問答無用で本邸に戻ったのである。
ルゼは自室で寝ようとしていたのだが、深夜に部屋を抜け出すと暗い廊下を歩いていた。
寝ていたら戻ろうと思っていたけれど、部屋ではなく執務室の扉の隙間から光が漏れている。
もう夜も遅いというのに、この人はいつまで稼働しているのだろうか。
(……魔法具……)
クラウスは魔法具……。
そんな事を考えながら扉の下の方を叩くと、クラウス自ら扉を半分開けてくれた。深夜に訪問するルゼに怪訝な表情をしている。
ルゼも体に合わせた年相応の笑顔を浮かべながら、瞬時に扉の隙間に足を挟んだ。さながら悪質な訪問客である。
「えへへ、ちょっと入れてください」
頼んでいる体でそう言いつつも開いた戸の隙間から無理矢理中に入り込もうとするのだが、それに対抗するように扉を開ける範囲が徐々に狭くされていく。
しかしルゼも扉を押し返して応戦する。
「い、入れて入れて」
「……」
「あっ、なぜ閉めるんです」
ルゼは外見が幼児のままだったため、子供のふりをして入れてもらおうと思ったのだが駄目みたいだった。子どもは好きではないのだろう。
「廊下に閉め出さないで……」
「……」
半泣きでクラウスを見上げると、クラウスも観念してか顔をしかめつつも扉を開けてくれた。
「ありがとうございます!」
ルゼは扉の隙間からするり中に入り込むと、ふかふかのソファに勝手に座った。クラウスもルゼに何か事情があるのかと、ルゼの隣に着席して話を聞く態勢を整えてくれている。
ルゼはクラウスの手の指を二本無作為に握りしめながら足をパタパタと動かして、顔を見ずに明るい声を出した。
「いつもこんな夜中までお仕事されていらっしゃるんですか?」
「ああ」
「睡眠は大事ですよ。集中力もあがるとかなんとか」
「お前もだろう」
暗に早く寝ろと言っているのに、そして多分伝わっているのに、求めている返事が返ってこない。
ルゼは、クラウスの手をぎゅっと握りしめると足を揺らすのを止め、顔を見つめて尋ねた。
「……まだ眠らないのでしたら、ご公務の邪魔はしませんので、私もここにいさせてくださいませんか」
「何かあったのか」
「……うふ……」
恥ずかしそうに笑うルゼを、クラウスが顔を顰めて眺めている。
「どこか痛むのか」
「いえ……っ、ほんとにそういうものではなくて!」
ルゼはくだらない理由でクラウスのもとにおしかけていたのだが、この人は何か異常があったらすぐにルゼの不調と結びつけるのである。心配性な人間というものは、毎日何かに頭を悩ませて大変そうだ。
「……ここに来た理由はですね、……」
「うん」
「……あ……笑わないでいただけますか?」
「ああ」
兄にはよく笑われていたし、兄のようなこの人も笑うような気がする。
尚も言い淀むルゼの次の言葉を、クラウスが辛抱強く待ってくれている。ルゼはコホンと一つわざとらしく咳払いをすると、重要な話を切り出した。
「……私今、身体が子供じゃないですか。だから、勝てない可能性が出てきたんですよ……」
「何に?」
この人なら言わなくても伝わるのではないかと思ったのだが、やはり話さなければならないようである。
ルゼは俯きながら小さな声で告げた。
「……お化けに、です……」
お化けあるいは幽霊──まるで布のような質感で足が生えており、夜にしか咲かない花を見に行こうと家を出ると扉の向こうに立っている。そんな日はからかってくるのを承知で兄の部屋に行くしかないのだ。いないのなら強そうな人のところに行くしかない。
クラウスは本気で理解できないようで、しばしの静寂が訪れた。ルゼは顔を上げるとクラウスを見つめ、理解を求めるように矢継ぎ早に話し出した。
「いいえ、その気持ちもわかります。ですが、私が信じているのは幽霊の方ではなくてドーラさんの方なんです。つまり、ドーラさんの言うことを信じると幽霊もいる、ということになるではないですか。現に私のお借りしている部屋もガタガタガタガタ窓が音を立てています!」
「……」
「違いますよ! 私だっていないことは分かっています。でもいない証明ができるのですか? 私にはできないです」
断じて違う。お化けが怖いわけではない。ただ、理由も分からず音を立てる窓枠、奇妙な鳴き声に石のオーラ、小さな体では変質者に対抗できないじゃないか。しかも今となっては、絶対に死んだ母親が枕元に立っている。会いたいとは思えない。
「……ふ」
ルゼが持論を語りながらべそをかいていると、クラウスが堪えきれないというように小さく笑い声を漏らした。
「笑わないって仰ったのに!」
「……すまない。変なやつだなお前は……」
「う……いいです、変な人間でいいので、一緒に寝てください……」
「…………それで良いなら」
「本当ですか!?」
「いや……」
(嫌?)
嫌ではないらしく、クラウスは曖昧な返事をしたままルゼを担ぎ上げると、隣の自室へと移動してくれた。
こんな夜中の時間帯は当たり前に寝る時間なわけだし、断じて迷惑はかけていない。
✽ ✽ ✽
クラウスはベッドにルゼを下ろすと、自分のシャツを乱雑に被せてきた。頭から雑に被せられ、ルゼは大きな服の中でもぞもぞと蠢くと顔を出す。
「……大きすぎますけど……」
「着ておけ」
「? はい。最近肌寒いですしね。ありがとうございます」
「すまない」
「え?」
「先に謝っておくから俺に怒るなよ」
「殿下に怒るところなんてありませんよ」
「……」
この人は結構よく謝る。悪さでもしたのかもしれないが、どうせ大したことでもないのだろう。
袖や胴の丈が明らかに今のルゼには大きかったため、袖を折ろうとしたのだがクラウスに止められた。
ルゼは大きなシャツに身を包みながら毛布をめくって中に入り込むと、自分の隣を余った袖でぼふぼふと叩いてクラウスに隣で寝るように促した。
「あったかいですよ」
「……」
「私が」
「…………」
いつも低温のルゼであるが、幼体だと体温が高い。小さな体だと少ない魔力でも動きやすい。ニコニコしながらクラウスを見つめているのだが、いつも通り顔をしかめて見下ろされている。
しかし約束通り一緒に寝てくれるようで、どこか疲れたようなため息をついているが、のそのそと隣に来てくれた。
クラウスはルゼに向き合うようにして横になるとルゼの前髪をかきあげ、覗き込むようにして見ている。幼児化しているルゼが不思議であるらしい。
「お前のこれはいつ元に戻るんだ」
「明日までには戻ると思いますが、確証はないです」
「訳の分からない薬を飲むな。お前の寿命にどう影響するか知れない」
「でも面白いではないですか。子供ではここにいられませんか?」
「いてもいいが理由を決められない」
「……」
いてもいいらしい。でも理由は決められないらしい。婚約者にする以外の妥当な理由を決められないのにいてもいいと思うのは、理由が決められないのではなくて気づいていないだけで、その感情を理由にしてくれてもい──
二人目の妹では駄目ですか、と聞いたら怒られるだろうか。怒られたいかもしれない。
(……うーん……)
ここにいられませんかと衝動的に確認してしまったけれど、自分はここにいたいと思っているようだ。ここ、というのが屋敷のことを指していないから困る。
クラウスが、月明かりに照らされたルゼの赤い頰をぼんやりと眺めている。
「……熱でもあるのか」
「はっ?」
「顔が赤い」
「……いや……」
「温かいと言っていたが熱いのではないのか。薬を……」
「あっ、あーあーだいじょーぶですよおにーちゃん!」
「……」
ルゼがそう叫びながらクラウスの頬をぺちぺち音を立てながら叩くと、流石に気分を害したのか不機嫌そうな顔をさせてしまった。
ルゼも、叩いてしまった頬を小さな手でさすりながら困ったような笑顔を作っていると、ボソリと小さな呟きが聞こえてきた。
「兄にはなれない」
(……急に何だ……)
この人はもともとの立場的にお兄さんではなかっただろうか。そんなにシャーロットとの関係がうまくいっていないことを気に病んでいたのか。
何の脈絡もないけれど、この人から悩みを吐露されるのは初めてだ。正しい答えを渡したい。
「でも……──」
待て、他人の悩みというものに、不用意に自分の意見を押し付けてもいいものなのだろうか。単に兄妹という立ち位置が存在しているだけだから、妹との関係性だけで人格が決まるわけではないから気にするな、とか知ったようなことを言ったら嫌われるかもしれない。
「……でも、そのままでも兄のようですよ」
「……」
「合ってますか」
「……多分」
「おお……」
正しい答えだったのだろうか。
まだ眠りについていないというのにクラウスが起き上がろうとするので、ルゼはその服の裾をつかんで引き止めた。
心配してくれているのか、頬の痣が柔らかく押されている。
ルゼも微かに微笑むと、言ったら怒られそうだと思って言わないでいた気持ちを呟いた。
「船で私が行動を起こしてしまったのは、殿下が絶対に助けに来てくれるという安心があったからなんです。ありがとうございます」
「……俺がいるからと言って、危険を顧みずに行動するな」
「心配ですか」
「そう言ったはずだ」
確かにそう言われたような記憶がある。あるかな?
ルゼは黙り込んで目を閉じると、クラウス様もゆっくり眠れますように……と思いながら眠りにつくのだった。
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